24 決着
闇色の渦――ダンジョンズゲートに呑み込まれ、「ルシアス」がその場から消え失せた。
ゲートによって、ダンジョンの内部へと転移させられたのだ。
だが、このままではすぐに戻ってくる。
ダンジョンズゲートは一度中に誰かを取り込んだら、その誰かが死ぬか脱出するまで閉じることができないらしい。
もしそうじゃなかったら、勇者パーティがダンジョンに入ったところでゲートを閉ざし、ダンジョンに閉じ込めることができてしまう。
だからこのままでは、「ルシアス」はゲートを通って戻ってくる。
それを防ぐには、
「どうとでもなりやがれっ!」
俺は「ルシアス」の消えたゲートへと飛び込んだ。
視界が闇に包まれる。
浮遊感とめまい。
俺は、黒曜石の積み石で囲まれた、さして広くない部屋へと抜け出した。
俺の背後には今くぐってきたゲートがあり、俺の目の前には「ルシアス」がいる。
「ルシアス」は、力を失っていた。
もとから力の入ってなかった全身は、糸の切れたパペット人形のように黒い床に崩れ。
さっきまで天に掲げていた手も、だらりとぶら下がって床についていた。
手に吸い付いていた剣は、そのすぐそばに転がってる。
「ルシアス」の手の甲の烙印が、ちかちかと不安定に明滅しながら、「ルシアス」の腕を持ち上げようとしては落とすことを繰り返していた。
「ルシアス」は地面を這って、ゲート――つまり、俺の方へと向かってくる。
首なし死体が地を這って近づいてくる――夢にでも見そうな光景だったが、現実的な脅威はもはやなさそうだ。
それでも、放っておいていいわけではない。
「あばよ――『ダンシングニードル』」
俺の放った赤い棘が、「ルシアス」の手の甲を貫いた。
生きている赤い棘は、ぶるぶると小刻みに振動しながら、「ルシアス」の烙印のある手の甲へと潜り込む。
ぎぢっ、ぎぢっ、と音がした。
赤い棘は、烙印の抵抗に遭いながらも押し破り、その中央へと、尖った先端を食い込ませる。
ぱきん、と澄んだ音を立てて、黄金色の烙印が砕け散った。
と同時に、「ルシアス」の腕から力が抜けた。
今度こそ死を迎えた「ルシアス」の全身が、白に、灰色に、黒に染まり、肌に荒野の地割れのような亀裂が走る。
亀裂は、広がるにつれて枝分かれし、その度に細かくなっていく。
亀裂が目ではわからないほど細かくなったところで、「ルシアス」の身体が、どす黒い砂となって崩壊した。
砂は、泥水のような濃い瘴気となって周囲に拡がり、ダンジョンに吸収されて消え去った。
「ルシアス」はもはや跡形もない。
「ルシアス」の着ていた鎧だけが、ダンジョンの黒い床に転がっていた。
念のために「
「ルシアス」は完全に滅んだってことだ。
「はあああっ……なんとかなったか」
俺は、思わずその場にへたり込む。
背後のダンジョンズゲートから二つの気配が現れた。
「無事か、キリク!?」
「ああ、なんとかな」
俺はへたり込んだまま、首だけで振り返ってダーナに答える。
ダーナと一緒に、なぜかシルヴィアまでついてきていた。
「なんだ、シルヴィアも来たのか。馬鹿だな。逃げればよかったのに」
「その悪魔さんじゃないですし、塔の屋上から逃げる方法なんてありませんよ」
「そりゃそうか」
この破滅の塔の屋上は、ダンジョンの外の空間だ。
ダーナのように空でも飛べれば逃げられるが、シルヴィアには無理だろう。俺なら「
「『ルシアス』は消滅した……んでいいんだよな?」
「うむ。あの勇者の成れの果ては、ダンジョン内で崩壊し、瘴気となってダンジョンコアに吸収された。キリクの機転のおかげだな」
「やれやれ……うまくいってよかったよ」
俺はほっと安堵の息をついた。
「あの、どういうことなんです?」
シルヴィアがおずおずと聞いてくる。
俺は、シルヴィアに顔を向けて言った。
「さっきのあれは、もうルシアスじゃなくなってた。それくらいは察しがついてたよな?」
「は、はい。もう人間とは思えませんでした。煌めきの神が与えた……のだと思いますが、あの『力』が暴走し、ルシアスさんの亡骸を操っていたのでは、と」
「そうだな。あの手の烙印がルシアスを操ってるようだった。
だが、それにしたって乱暴というか、周囲があまり見えてない感じだったろ?」
とんでもない速度ではあったものの、俺への攻撃は単調で力任せのものだった。
攻撃の駆け引きも何もなく、ただ剣をくっつけた手を俺に向かって振り下ろす。
それはまるで――
「そうですね。まるでパペット人形を誰かが上から操ってるかのような……って、ああっ!」
「わかったか?」
俺の確認に、シルヴィアがうなずいた。
「あの烙印は、たしかに力の源泉なのだと思いますが、それ自体に意識があったようには思えません。
もしそうなら、ルシアスさんの身体を操るにしても、あんなふうに上から引っ張るのではなく、横に引っ張る感じになるのではないでしょうか。
あの操り方は、高みからここを見下ろしている何者かが、糸で人形を引きずり回して、なんとかキリクさんにぶつけようとしているかのようでした」
「そうだな」
子どもの頃に、人形遊びをしたことは誰にだってあるだろう。
とくに男の子なんかはそうだが、おもちゃの兵隊を手で持って振り回し、魔物の人形にぶつけて「やっつけた!」なんて言って喜んでたりする。
神が喜んでるかどうかは知らないが、さっきの「ルシアス」の動きは、そんな子どもの人形遊びにそっくりだった。
「もし、ルシアスさんを操っていたのが煌めきの神なのだとしたら、神には盲点があります。
煌めきの神は、ダンジョン内に力を及ぼすことができません。回復の泉は例外ですが、逆に言えば、回復の泉のような形でしか、神はダンジョン内に力を及ぼすことができないのです。
だからキリクさんは、ルシアスさんをダンジョンの内部に取り込むことで、神がルシアスさんを操れないようにしたんですね」
「そういうこった。
まぁ、やっぱり烙印が操ってて、ダンジョンに落としても『ルシアス』が問題なく動き続ける可能性だってあったけどな」
シルヴィアの言った通り、「ルシアス」の動きには、はるか上空から操られてるような感じがあった。
なら、「ルシアス」をこの「下」――神の力の届かないダンジョンの中に放り込んだらどうなるか?
結果、神からの操り糸が「ルシアス」に届かなくなって、「ルシアス」はダンジョン内で動けなくなった。
「……私は、ダンジョンのボスがダンジョンの奥という逃げ場のない場所で勇者を待ち受けるのは合理的ではないと思い、破滅の塔ではダンジョン外の屋上をボス部屋としたのだ」
ダーナが、眉間に皺を寄せながらぼそりと言う。
「ああ。俺も、最初この構造を見た時は、既成観念にとらわれない悪魔がいるもんだなと思ったよ。ダーナがやったように、ダンジョン外の空間なら、危険になったら逃げることもできるしな」
「だが、こうなってみると、ボスがダンジョンの奥にいるべき理由はたしかにあった……とも言えないか?」
「そうか……こういう現象が起こると誰かが知っていたからこそ、ダンジョンマスターはダンジョンの最奥に陣取ることになってたってわけか」
「そんなことを知っている者がいるとしたら……」
「歴代の魔王の誰か、あるいは、魔王に代々受け継がれてる秘密の知識ってことか」
覚えておく必要がありそうだ。
俺たちは最後には魔王を倒そうと思ってるんだからな。
「ダンジョンは、煌めきの神からの干渉を遮るための装置でもあるってことなんだな。あのめちゃくちゃな『ルシアス』ですら、ダンジョンの中に落ちたら何もできなかったわけだし」
「まったく……よくとっさに気づけたものだ」
「本当ですよ! あの厳しい戦いの中でそんなことに気づくなんて……さすがはキリクさんです!」
ダーナとシルヴィアが、なぜか揃って俺を褒める。
シルヴィアが俺のことを無邪気に持ち上げてくるのは、べつに命乞いのためじゃなく、本心からのものなんだろうな。
(こいつを今から殺さないといけないんだっけ)
俺が微妙な気持ちを持て余していると、
「もういいのではないか?」
ダーナが俺に言ってくる。
「いいって……何が」
「この娘のことだ。キリクがそんなに辛い想いをするのなら、無理に殺すこともないだろう」
「いいのかよ、それで」
「人間が今更一人多く死んだところでたかが知れている。勇者たちの絶望と、さっき回収した瘴気によって、当分不自由しないだけのエネルギーが集まった。事前に想定していたよりはるかに多い」
気持ちほくほく顔でダーナが言った。
「け、けど、口封じとか」
「キリクがそれを望んでいるようには思えんな」
ダーナに切り捨てられ、俺は一瞬言葉に詰まる。
そこで、シルヴィアがおずおずと言ってきた。
「あ、あの……どうしてわたしはその悪魔……の方?の言葉がわかるのでしょうか?
その方が人間語を話しているのかとも思いましたが、戦闘中はその方の言葉はわかりませんでした。
でも、その状態でその方とキリクとは言葉が通じている様子でした。
だとすると、戦闘中は、その方は悪魔語でしゃべっていて、キリクはその悪魔語を理解していた、ということになりますよね? しかも、キリクが使っていた人間語を、その方も理解していた。
それなら、悪魔語か人間語のどちらか……この場合、わたしたちには理解できない悪魔語で会話した方が有利だったはずです。なぜお互いに違う言語でしゃべりあうようなことをしていたのか……。
いえ、それは、しゃべる分には自分の言語の方が迷わずに済むということかもしれませんが、それなら、今になってわたしの前で、わざわざ人間語で会話をしている理由がわかりません。わたしに聞かせるために話しているわけでもないはずですし……」
シルヴィアはそう言いながら、しきりに首をひねってる。
俺とダーナは、思わず顔を見合わせた。
ダーナが言う。
「そうだったな。人間たちは、煌めきの神の呪いによって、魔族の言葉がわからなくなるということを知らないのだったか」
「の、呪い……ですか?」
ダーナが怖いのか、シルヴィアは俺に目を向けて聞いてくる。
「ああ。勇者パーティに所属すると、煌めきの神の祝福によって、さまざまな恩恵が受けられる。それは、シルヴィアも知っての通りだ。
でも同時に、煌めきの神に祝福された者は、魔族への強い敵意を植え付けられる。
さらには、魔族のしゃべってることが理解できなくなるらしい。
俺も、『暁の星』から除名され、ダーナと出会ってからそれを知った」
補足してそう説明する俺に、シルヴィアが目を見開いた。
「そ、そのようなことがあるのですか!?」
「事実、私はずっと人間と同じ言葉しかしゃべっていない。
おまえが今言った通り、キリクが『人間語』で、私が『悪魔語』とやらを使ってそれぞれしゃべるなど、やりにくくてしかたがないだろう?」
「そ、それはそうですが……」
「もしそんな言語があるのだとしたら、キリクも私もその両方が使えたことになるし、もし私たちが両方の言語を使えるのなら、戦闘中くらいどちらかに統一しておくのが筋というものだ。
そんな道理の通らぬ仮定を重ねるより、私とキリクの言い分を信じた方が、よほど自然だと思うがな。
あの勇者が死んだことで、そのパーティメンバーであったおまえからも呪いが消え、私の言葉を理解できるようになった。あるいは、私の言葉を理解できなくしていた『何か』が消えた。
そういうことだ」
「まさか、祝福にそんな効果があったとは……」
シルヴィアは眉根に皺を寄せ、深刻な表情で俯いた。
「信じられないか?」
俺が聞くと、
「いえ、信じます。
過去にも、悪魔を生け捕りにして、『悪魔語』を解明しようとした勇者はいたのです。『悪魔語』は人間には理解できない狂気の言語であるという結論に至ったそうですが……」
「そんなわけがなかろう。言語である以上、伝えるべき内容があるはずで、伝えるべき内容があるのなら、その言語は必ず理解できるはずではないか」
ダーナが、小さく鼻息をついてそう言った。
「言われてみればその通りです。なぜこんな単純なことが、教団では知られていなかったのでしょう……」
「まあな。勇者とパーティメンバー以外なら、魔族が『悪魔語』なんてしゃべってないことは、すぐにわかるはずなんだけどな」
いや……そうでもないか。
もし、勇者パーティのメンバー以外が捕らえた悪魔の言葉を理解できたとして、そのことを勇者たちに伝えたらどうなるか。
狂言だと思われるくらいならいい方だ。
悪くすれば、悪魔に魅入られた危険人物として、車裂きや火あぶりにもされかねない。
だが、そういう例は少数だろう。
そもそも、勇者以外の一般人は、あえて悪魔に近づきたいとは思わない。
シルヴィアも、同じことを考えたらしい。
「勇者以外で、悪魔に近づこうと思う人は普通はいません。煌めきの教団が、悪魔は危険だと喧伝しているからです」
ちらりと、ダーナを気にするような視線を向けて、シルヴィアが言った。
ダーナは肩をすくめた。
「人間にとって魔族が危険であるのは事実であろう。勇者という刺客を恒常的に送り込まれている魔族は、人間を強く怨んでいるからな」
「そこは、どちらが先かはわかりません。
すくなくとも人間は、魔王の脅威と戦うために勇者という存在を送り出しているつもりでいます。
魔王軍や魔物たちのやってることは、さすがに正当化できないのではないでしょうか?」
やや語気を強めて、シルヴィアがダーナに言った。
気の弱いシルヴィアではあるが、これでも勇者パーティの一員だったのだ。ダーナの言い分を聞き捨てることはできなかったようだ。
だが、ダーナの方は、平然とした顔でうなずいた。
「であろうな。私も魔族が正義だなどと主張するつもりはない。よくてどっちもどっち、悪くすればやはり魔族側に原因があることになろう」
「そうとわかっていても、あなたは人間を殺すんですか?」
「他にどうしようがある? 人間と魔族が互いを敵視し、血で血を洗うような戦いを繰り広げている以上、私個人にできることなど何もない。
まして勇者どもは、煌めきの神の呪いによって、こちらに強い敵意を植え付けられ、言葉すら通じなくなっている。
この状況で戦いを避けることなどできるはずもない」
「……そうですね」
シルヴィアが、顎に手を当てて黙り込む。
「敵意の件も、気になってはいました。
たしかに、今わたしはあなたに対して以前ほどの敵意を感じません」
「俺もだ、シルヴィア。
最初の攻略の時にダーナに抱いてた敵意は、一体なんだったのかってくらい綺麗さっぱりなくなった。
煌めきの神の祝福――あるいは『呪い』については、ダーナの言い分が正しそうだ」
「わたしは、綺麗さっぱりなくなったわけじゃないですけどね……。キリクさんのこともありますし……」
ぼそりとシルヴィアがつぶやいた。
「ともあれ、さっきのルシアスさんを操った烙印や、それを与えた天空からの光などのことまで考え合わせると、煌めきの神のご意図が掴みかねるのはたしかです。
悪魔を倒すための力を、窮地にある勇者に授けた――といえば聞こえはいいですが、死んだルシアスさんを、まるでおもちゃの人形のように扱うさまを見せられると、とても……」
「魔王が巨悪であることに疑いはないけどよ。煌めきの神のほうも、腹に一物ありそうな感じがするよな」
「ですね……」
シルヴィアがそう言って黙り込む。
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