25 贖罪

「シルヴィアと言ったな」


 ダーナがシルヴィアに言った。

 シルヴィアが顔を上げ、おっかなびっくりダーナを見た。


「は、はい」


「おまえの所属していた『暁の星』は消滅した。

 おまえはこれからどうしたい? また別の勇者について、魔族との戦いに身を投じるのか? 煌めきの神のあの所業を見た後でも?」


 ダーナの問いに、シルヴィアがきっぱりと答えた。


「そんなことは、どうでもいいんです」


「どうでもいい、だと?」


「はい。わたしにとって、魔王も神も、所詮は空の上のお話です。

 もちろん、勇者パーティである以上、最終目的は魔王の討伐ではありましたが、『暁の星』の実力では、魔王との直接対決が叶うとは思えませんでした」


「おい、俺はあくまでも魔王を倒すためにあのパーティにいたんだぞ?」


「そこが、キリクさんとルシアスさんたちの違いです。

 いえ、ルシアスさんはああいう人ですから、魔王を倒すと息巻いてるうちに、自分でもそう思い込んでた可能性がありますけど……。

 でも、他のメンバーにとっては、魔王討伐はあくまでも建前だったんです。魔王を倒すとさえ言っておけば、人間の領域では少々の無茶も通りますから。むしろ、魔王がいなくなっては困ります。

 その温度差が、探索や攻略に向ける意欲の差となって、キリクさんとのあいだに溝ができたのではないでしょうか?」


「……そうかもな」


 自己陶酔の激しいルシアスは、わりと本気で旗を振ってたと思う。

 だが、サードリックやエイダは、どうか。

 勇者の旗を掲げはしても、それはあくまでも自分の欲望を満たすためだ。


 ディーネは……どうだろうな。

 もともと、エルフなのに魔法が苦手で、その代わりに弓の腕を磨いたという経歴の持ち主だ。

 ディーネには、プライドと劣等感が複雑に入り混じっていた。

 だからこそディーネは、威勢よく旗を振るルシアスに、本心から傾倒してたと思う。

 勇者パーティの一員であることは、ディーネにとって、劣等感を埋め、プライドをくすぐる格好の立場だったに違いない。

 いちばん冷静そうでいて、その実いちばん勇者パーティという立場にこだわっていたのがディーネだろう。

 ある意味、哀れな奴だと言えなくもない。

 もちろん、ルシアスを全肯定して調子に乗らせた罪は重い。

 さらには、「暁の星」の行状を隠そうと、後ろ暗い計画を積極的に案出していた。

 総合的に見て、やはり許せる余地はないのだが。


 一方、シルヴィアは、教団から命じられるままに「暁の星」に加わっただけだ。

 その意味では、あの中でいちばん冷めた目を持っていたのは、冷静なふりをしているディーネでも、魔王への復讐に逸る俺でもなく、怯えながら後ろからついてきていたシルヴィアだったのかもしれない。


 もっとも、その冷静な目も、シルヴィアの臆病さが災いして、パーティに利益をもたらすことはほとんどなかった。

 もちろん、シルヴィアが勇を鼓して他のメンバーを諌めたとしても、それを聞き入れる奴なんていなかっただろうけどな。


 シルヴィアに焦れったさを感じることはしょっちゅうだったが、本気で憎めるかと言われれば微妙なところだ。

 追放の時に、事実上見殺しにされかけたことも事実なんだけどな。


「わたしは、魔王がどうとか、煌めきの神がどうとか、そんな大それたことのためにここに来たわけではありません」


 首を振って言ったシルヴィアに、ダーナが問う。


「では、どうしておまえはここに現れた?

 一度はおまえを見捨てた『暁の星』に合流してまで、なぜ破滅の塔に乗り込んできたのだ?

 キリクがこちらについた以上、『暁の星』に勝ち目などないと、おまえにだけはわかっていたはずだな?」


「はい。わかっていました。

 このダンジョンが攻略できなければ、教団から処分を受けることにはなりますが、攻略できる可能性のないダンジョンに突っ込むよりは、死なずに済む可能性は高いです。

 ただ宿に引きこもって怯えながら待っていれば、最悪の事態だけは避けられたでしょう。

 でも、それじゃあ、これまでと何も変わりません。

 キリクさんに言われた通り、私はこれから先もずっと無責任な弱さに甘えて生きていくことになる。そんなのは嫌だと思ったんです」


 シルヴィアはダーナに言ってから、俺の顔をまっすぐに見た。

 いつも怯えて、人と目を合わせないシルヴィアの顔を、俺は初めてまともに見たような気がする。


「私がここに来たのは、キリクさんに謝るためです」


「謝る、ね」


 俺は顔をしかめた。

 仲間としてともに窮地を乗り越えてきた相手を、話し合いもせずに除名し、身ぐるみを剥いで、危険な街道筋に放置する。

 そんな目に遭わされたんだ。

 それを、口先だけの謝罪で許せる奴は、頭がお花畑のお人好しだけだ。


「謝って許してもらえると思ってんのか?

 それとも、許してもらえるとは思ってないけど、謝るだけ謝って、自分だけ楽になりたいってことか?

 どっちにせよ甘ったれてるな」


「最初は、許してもらえるとは思えないけど、精一杯謝ろう、そんなふうにも思いました。

 でも、そんなの自己満足ですよね。

 謝ったわたしは悪くない、謝られたのに許さない方が悪いのだ――そうやってキリクさんを責めるようなものです。

 被害者であるキリクさんをダシに使って、自分の罪悪感をなくそうとする。

 それはとても卑怯なことだと思いました」


「じゃあ、どうするんだよ?」


「どうもこうも、わたしにできることはひとつしかないです。

 ――ごめんなさい」


 シルヴィアが、俺に向かって頭を下げた。

 深く――長い髪がダンジョンの床に届きそうなほどに。


「どうか、許してください。

 許してもらえるまで、わたしにできることならなんでもします」


「結局、許してほしいってのが結論か」


「はい……許してください。

 わたしに、罪を償う機会をください」


「その機会ってのが、おまえをここで殺すことだとしても、か?」


「だとしても、です。

 もとより、生きて帰れると思ってこのダンジョンに足を踏み入れたわけではありません。

 『暁の星』に罪を償わせ、わたしの命もキリクさんに委ねる。

 そのつもりで、教団に一部の情報を隠したり、ルシアスさんたちにキリクさんがいることを明かしたりして、『暁の星』が破滅の塔再攻略に乗り出さざるをえない状況を作りました」


「なるほど。連中が勢い込んでここに乗り込んできたのはそのせいか」


 「暁の星」は、俺とダーナの想定より早く、破滅の塔に乗り込んできた。

 準備ができないほど早くはなかったが、あいつらなら、攻略に乗り出すまでに、内輪もめで時間を取られると思ってたのだ。


「どうするのだ、キリク。

 いっそ、おまえの奴隷にでもして、好きなように弄ぶか? その娘ならかえって喜びそうな気もするが」


 ダーナが、面白くなさそうに言ってくる。


「何拗ねてんだよ、ダーナ」


「べつに……自分の男がモテるのは悪いことじゃないわ。浮気さえしなければね」


「素が出てるぞ」


 俺とダーナのやりとりに、シルヴィアが顔を上げて聞いてくる。


「そ、その……お二人は、そういう関係で……?」


「ん、ああ」


「間違っても割り込もうなどとは思うなよ?」


「い、いえ……お似合いだと思います……。はぁ……」


 俺とダーナを見比べ、シルヴィアがため息をついた。


「ふん。それがわかっているならよい。

 だが、これ以上は時間の無駄だな」


「何がだよ?」


「キリク、おまえはこの娘を殺したいほど憎んではいないのだろう。

 恨みはあるが、正面切って謝られて、それでも収まりがつかないほどに深い鬱憤があるわけではない。

 まったく、そんな目に遭わされたというのに、人がいいにもほどがある。

 それとも、こういうか弱そうな女のほうが好みだったのか?」


「なっ、ちげえよ!」


 慌てて否定する俺に、


「ふん。それならそれで構わんのだぞ?」


「は? 何言ってんだ?」


「ダンジョンコアのレベルアップに必要な絶望は、勇者どもから存分に絞れた。

 今更小娘一人殺しても、たいして足しにもならんからな。

 それに、その娘が覚悟を決めている以上、絶望に突き落とすのも難しい」


 それは……たしかに。

 俺に殺されることで許されるとシルヴィアが本気で思ってるのなら。

 俺に殺されたところで、シルヴィアが抱くのは絶望ではなく救いだろう。


「贖罪のために何でもするとこの娘は言った。

 ならば、何でもやってもらおうではないか。

 『暁の星』で突出した戦力は、キリク、おまえだったが、その次に有望なのはこの娘であろう」


「わ、わたし……ですか?」


「ああ。キリクに比べれば数段劣るものの、Aランクパーティの僧侶としては優秀な部類だ。高い素質がある上に、戦闘での役回りを適切にこなしていた。判断は少々トロいがな。

 どうせ、キリクがこの娘に指南したのであろうが」


「そう……ですね」


 シルヴィアが複雑そうにうなずいた。

 たしかに、俺は経験の浅いシルヴィアに、回復役の立ち回りを細かく指南していた。

 他職である俺の指南がどこまで適切かはわからなかったが、ダーナが認めるくらいなら、そう間違ってはいなかったのだろう。


「キリク、この娘はおまえがきちんと手懐けろ。

 配下としてだけじゃない、女としてもな。おまえなしには生きられない、依存心の塊のような女に仕立て上げるのだ。

 支配欲に満ちた魔族の男どもは、好んで女をそうしたがるものなのだ。

 連中はうそぶく。妻を子を、家庭を支配できないようで、一軍や国を支配できるものか……などとな。

 反吐の出そうな言い分だが、それが魔族の世界なのだ」


「な、なんで俺が魔族の真似事なんぞしなくちゃなんねえんだよ? 俺にそんな趣味はないぞ」


「ふん、貴様の性癖など知っている。

 だがな、なまじ我慢などされて、裏で逢い引きされるほうが我慢がならぬ」


「俺は、ダーナが他の女に手を出すなと言えばその通りにするぞ。

 いや、言われなくてもそのつもりだ。

 一度に愛せる女は一人だけだぜ」


「その言葉は嬉しいがな。

 そんな不安定な関係が長続きするものか。

 おまえのいいなりになると言ってのけた女がすぐそばにいるのだぞ?

 いずれ、どちらかが我慢できなくなるだろう。

 この娘が状況に耐えかねて逃げ出したり、私を恨んでよからぬことを企んだり、キリクに辛く当たられて弱ったところを他の男にたぶらかされたり……そのような隙を作るくらいなら、キリクがきちんとモノにしておいたほうが間違いがない。

 おまえは一度に愛する女は一人と言ったが、私はおまえが複数の女を愛そうとも構わぬ。私がいちばんでありさえすればな」


「お、おい! そんな無茶苦茶な……!」


「知ってるか? 魔族の男どもは、人間の女を珍重するのだ。シルヴィアがいつまでもおぼこくさい立ち居振る舞いをしていれば、欲望の矛先を向けられることになるだろう。

 誰がどう見ても貴様の情婦にしか見えぬというくらい、淫蕩で妖艶な女に仕立て上げろ。

 魔族の男どもは、そういう手合いには飽き飽きしている。好きこのんで手を出そうとはしなくなるはずだ」


「い、淫蕩って……」


 シルヴィアが顔を赤くした。


「いや、おぼこって。おまえだってつい先日まで処……痛っ!」


 いきなり脛を蹴られ、俺は悲鳴を上げて飛び上がる。

 ダーナは、ちょっと赤くなった頬を隠すように顔を逸らし、


「と、ともかく!

 殺せぬのならば飼い殺せ。

 この娘にとってはまるで罰になっておらんような気もするが……キリクへの褒賞ということで割り切ろう。

 いかにも男好きのしそうな娘ではないか。おまえの好きなようにすればよい。

 それとも、キリク。やはりこの娘が憎いのか?」


「……簡単に許しちまっていいのか、とは思うけどな」


 ためらう俺の前に、ダーナが右手を突き出した。

 その手のひらの上にあったものに息を呑む。

 見覚えのありすぎるものだった。

 陶器でできた、ロケット付きのペンダントだ。


「あっ! そ、それは……!」


 シルヴィアが声を上げ、僧衣の懐をまさぐった。


「戦闘中にシルヴィアの懐からこぼれ落ちたものだ。何の気なしに拾ってみたのだが……これはおまえのものだったのではないか、キリク?」


 俺は、無言でそれを手に取った。

 ロケットを開くと、そこには、破れたままの古い写真が収まっていた。

 破れてはいるものの、しわを丁寧に伸ばした様子がある。

 サードリックに踏みにじられ、壊れていたはずのロケットも、若干歪ながら、元の形を取り戻していた。


「……シルヴィアが直したのか?」


 優秀な僧侶であるシルヴィアは、復元魔法も使えたはずだ。

 本来は武器防具の綻びを直すための魔法だが、消費MPに比べて効果が弱く、ほとんど死にスキルになっている。

 回復役のMPはパーティの生命線だ。

 それを復元魔法で消費してしまうくらいなら、最初から予備の武器防具や手入れの道具を用意しておいたほうがよっぽどいい。

 「暁の星」でも、武器防具の修理は俺の仕事になっていた。


 だが、よく言えば真面目な――悪く言えば融通の利かないシルヴィアは、習得したスキルや魔法のすべてを定期的に練習していた。

 一日の終わりにMPを残すのはもったいない。

 たとえ疲れていても、MPのある限り、魔法の一発でも使うこと。

 教団のそんな教えを、旅の最中でも愚直に守っていたのがシルヴィアだ。

 復元魔法をある程度モノにしていたとしてもおかしくはない。


 シルヴィアが、観念したようにうなずいた。


「は、はい……」


「俺が置き去りにされた場所にペンダントの残骸が残ってなかったのは……」


「わたしが拾ったからです」


「どうして?」


「その、キリクさんが大切にされていたので……。

 そのまましておいたら、キリクさんが気がつく前に、カケラが風で飛び散ってしまいそうでした。

 復元魔法は、カケラが揃っていないと使えません」


 復元魔法の効率は悪い。

 シルヴィアは毎晩時間をかけて、少しずつこのペンダントを復元したのだろう。


 ペンダントの中から、優しげな両親と生意気そうな妹が、じっと俺を見つめてくる。

 一人だけ照れたように視線を逸らしてる過去の俺も、一緒にこっちを見るべきだった。

 おまえが当たり前のものだと思ってるしあわせは、他人の悪意で簡単に砕け散るものなのだと、肩を掴んで懇々と言い含めてやりたかった。


「それは、小さい頃のキリクだろう?

 なかなかかわいらしいではないか」


 ダーナがロケットを覗き込んで言ってくる。


「……この直後なんだよ。俺の家族が魔王に皆殺しにされたのはな」


 俺の言葉に、ダーナとシルヴィアが息を呑む。


「あの、キリクさん。

 それならどうして、あなたは魔王軍についたんですか?

 『暁の星』への復讐のためかと思いましたが、それだけのようには思えません。

 以前からキリクさんが魔王を倒すことに強い気持ちを持ってることは知っていました。

 なおさら、魔王軍につく理由がありません」


 シルヴィアが、当然の疑問をぶつけてきた。


「俺は魔王軍についたんじゃない。ダーナについたんだ」


「どう違うんです?」


「ダーナは、今の魔王を倒し、自分が次の魔王になるそうだ」


「なっ……!」


 シルヴィアが絶句する。


「『暁の星』なんぞにいるより、よほど復讐のチャンスがありそうだろ?」


「たしかに、本気で魔王を倒そうと思えば、最低でもAランク……できればSランクの勇者パーティに入る必要があります。

 でも、『暁の星』を除名されたキリクさんには、その望みはほとんど残ってない。

 だから、魔王を倒すという悪魔についた……そういうことだったんですね」


 納得がいったという顔で、シルヴィアがうなずいた。


「そういうこった。

 はぁ……しかたねえ。こんなことまでされて、まだ殺すほどに怨み続けるなんて俺には無理だ」


「い、いえ、そういうつもりで直してたんじゃありません……。これを渡して許してください、なんて、それこそ卑怯すぎると思います……」


「状況から見て、シルヴィアが計算ずくでこれを落としてみせたとは思えんな。もしそうだったら、私がシルヴィアを殺している」


 慌てるシルヴィアに、ダーナが言った。


「わかってるよ。

 そういうことなら、よろしく頼むぜ、シルヴィア。

 魔王への復讐に手を貸してもらう」


「は、はい。キリクさんがそれを望まれるのならば」


「言っとくが、綺麗事ばかりじゃ済まねえぞ?」


「覚悟の上です。

 今までわたしの弱さのせいでどれだけの人を傷つけてきたか……。

 そういう無責任はもうやめます。トロール洞でキリクさんに言われてそう決めたんです」


 シルヴィアがしっかりした口調でそう言った。


「ついでに、淫蕩で妖艶な女になってもらわないといけないらしい」


「う、うう……。

 お望みとあらば、そっちもがんばります。

 おてやわらかにお願いしますね?」


 もじもじと言ってくるシルヴィアに、ダーナが冷たい目を向けた。


「何を言っているのだ?

 シルヴィアの調教には私も参加する。

 言っておくが、魔族の性技を人間のそれと一緒にするなよ?

 キリクのためなら人間どもを喜んで血祭りに上げる、そんな正真正銘の魔女に仕立て上げてやる。

 これは復讐でもあるのだからな」


「おまえも参加するのかよ」


 これは大変なことになったな。

 そう思いつつも、シルヴィアを殺さずに済んだことに、内心で安堵している自分がいた。

 生ぬるいことだと、自分でも思うけどな。

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