22 デウス・エクス・マキナ

 時が凍った。


 そうとしか言いようがない。


 破滅の塔の円い屋上に立っているのは、俺とルシアス、シルヴィアだけだ。

 「暁の星」の他のメンバ――ーサードリック、エイダ、ディーネは、急所に赤い棘を生やしたまま、事切れて床に転がっている。


 勇者のパーティメンバーはすぐには死なない。

 HPがゼロになったメンバーは「戦闘不能」状態になる。

 その状態のまま蘇生魔法をかけられないでいると、蘇生猶予時間が過ぎたのちに、ようやく死亡することになる。

 僧侶であるシルヴィアは、もちろん蘇生魔法を使えるが、蘇生魔法の長い詠唱を俺とダーナが黙って待つはずもない。

 ダーナが「サンダーストーム」を定期的に振らせていたのは、シルヴィアの回復魔法をキャンセルさせる意味合いもあったのだ。


 ルシアスは限界まで追い詰められていた。

 自身がかなりのダメージを負って身動きが悪くなってるだけじゃない。

 刻一刻と減っていく蘇生猶予もまた、ルシアスを精神的に追い詰めていた。


 ルシアスは間違いなく絶望した。

 その絶望をダンジョンコアに回収したことを確認し、俺はこいつにとどめを刺そうとした。


 その瞬間に、すべてが凍りついた。


 屋上の上にいる者たちは、全員その場で動きを止めている。

 空中を飛んでいるダーナすら、翼をはばたかせる途中の半端な姿勢で、落ちることもなく空中にピタリと静止していた。


 空を覆うどす黒い雲も、流れることをやめている。

 その合間では、稲光が、光りかけた状態で固まっていた。


(なっ……、なんだこれは!?)


 「停止」の状態異常にかかった時の感じに似てはいる。

 だが、「停止」状態であっても、時の経過まで感じられなくなるようなことはない。

 自分が「停止」していても、それ以外の世界が動き続けていることはわかるのだ。


 しかし、今の状態はそうではない。


 時が、完全無欠に止まっていた。


 止まっているのは俺だけじゃない。

 この場に見える全員が凍りついている。

 空の雲や稲光、屋上を吹き抜けていた風といった、止まるはずのないあらゆるものが止まっている。

 身体にかかるはずの「重み」すら、今は感じ取ることができないほどだ。


(考えることだけはできる……意識は正常通りだ)


 俺は、息を吸おうとして気がついた。


 俺の呼吸が止まってる。


 心臓の拍動すら感じられない。


 俺の体内の血流までもが止まっていた。


(俺は死んだのか?)


 一瞬そう錯覚するが、じゃあ、今考えてるこの俺は何なのか?


 わからない。


 わかるのは、この場の主導権が、俺の掌中から転げ落ちたってことだけだ。


(なんだ……何が起こってる!?)


 空間を、圧倒的な静寂が支配した。


 その静寂が長かったのか短かったのか――それすら、時間の流れそのものがないのでわからない。


 だが、一瞬とも永遠ともつかない静寂の後、突如、予想もしない変化が起きていた。


 真っ黒な雲に覆われていた空が明るく輝き、にわかに開いた雲間から、黄金こがね色に輝く光が射し込んだ。

 黒い空を斜めに走る幾条もの金色の光。

 神々しいという言葉が、俺の心にすら浮かんできた。


(これを神と呼ばずしてなんと呼ぶ……なんだ、これは俺の気持ちじゃない。あの光を見るだけで、「そう思わされる」?)


 金色の光が空を走り、同時に高らかな喇叭ラッパの音が聞こえてきた。


 煌めきの神に仕える天使たちは、神の登場に際して喇叭を吹く――

 そんな伝説を思い出す。


 どこからともなく響く喇叭の音とともに、胸に激しい畏怖の気持ちが込み上げてくる。

 今すぐにでも地面に身を投げ出し、神の前にひれ伏したい。

 そんな抑えがたい衝動が、強い渇きのように襲ってくる。

 もし時間が止まってなかったら、実際に地面に這いつくばっていたかもしれない。


(くそっ! なんなんだこれは!?)


 自分のものではない感情をかき消す俺。

 それを嘲笑うかのように、どこからともなく聞こえてくる喇叭が、俺に感動を強制する。


 凍った時の中で動くこともできずに感情の暴力に抗っていると、黄金色の光のひとつがここ――破滅の塔の屋上に向かって降り注いできた。


 黄金色の光に包まれたのは――ルシアスだ。

 ルシアスへと降り注いだ黄金色の光は、巨大な光の柱となった。

 光の柱は、周囲を舞う粒子とともに、破滅の塔の黒一色の屋上を、黄金色へと染め上げる。


「おお、神よ……!」


 ルシアスが歓喜の声を上げた。


 俺はまだ、時間が止まったままで動けない。

 この場で動いているのは、ルシアスと、空から降り注ぐ黄金色の光だけだ。


 光の中で、瀕死だったルシアスが、まるで何事もなかったかのように元通りになった。


 それは、回復魔法ですらなかった。

 回復魔法なら、傷が急速に塞がっていくさまが見て取れる。

 それだって、回復魔法を見たことのない者からすれば、奇跡のような光景だろう。

 だが、今ルシアスに起こったことは、そんな「奇跡」をも凌駕してる。

 紙芝居が次の紙へと切り替わったかのように、あいだの経過をすっ飛ばして、結果だけがそこに現れた。

 原因があって結果が出たわけではなく、ただ何者かがそれを欲したから、欲された通りの結果が実現した――

 理不尽なまでに勇者にとって都合のいい、勇者以外のすべてをコケにしたような端的な「結果」が。


(ふざ……けるなっ!)


 俺は心の中で、悲鳴にも似た叫びを上げる。


 まるで、将棋で負けのこんだ子どもが盤面をひっくり返したかのような、幼稚極まりない逆転劇。


 その劇の主役に抜擢されたルシアスは、傷ひとつなくなった両腕を天にかざし、光のたもとにいるはずの「何か」に向かって呼びかける。


「煌めきの神よ! 悪魔と結びし男を討つ力を、この俺に! そのためなら俺は、なんだって差し出そう!」


 ルシアスの絶叫に応えるように、雲間がひときわ強く輝いた。

 天にかざしたルシアスの手の甲に、黄金色の光が集まって――


「ぐあああっ!?」


 ルシアスが苦悶の声を上げた。

 ルシアスの右の手の甲が、黄金色の光に灼かれている。

 肉を灼く苦痛に苛まれながらも、ルシアスは頑なに、かざした手を下ろさない。


「もっと……もっとだ!

 この痛みが俺の力に変わるというのなら……!

 神よ、俺に極限までの痛みを与えよ! 俺は誓うっ! あなたに与えられた以上の痛みを、神の敵にもたらすことを!

 ぐおあああああ゛あ゛あ゛っっ!!」


 ルシアスが目に血の涙を浮かべながら、天へと手を突き出した。


 光は、ほどなくしてやんだ。


 ルシアスの手の甲に、まるで焼きごてを当てられたかのように、大きな印が刻まれていた。

 その烙印は、黄金色の光を放っている。




クローバー」。




 その烙印はそう見えた。


「くくく……はははっ……あーっはっはっはぁっ!」


 ルシアスが仰け反り、広げた片手で顔を覆いながら哄笑する。

 前髪をかきあげた手の甲からは、いまだに白煙が上ってる。


「はっはははっ! そうだっ! 俺は神に選ばれし存在なんだ! この確信は、やはり間違ってなどいなかった! 俺は神の使徒であり、俺の敵はすなわち神の敵ッ! 俺には、俺の邪魔をするすべてのものをめっし尽くす、神にも等しき権利があるっ! 煌めきの神ご自身が、それをお認めになったのだからなぁっ! は――っはっはっはぁっっ!」


 ルシアスが叫ぶと同時に、黄金色の光がふっと消えた。

 雲間も、再び黒い雲に覆われる。


 その瞬間、身体に急に重みが戻ってきて、俺はたたらを踏んでいた。

 身体には重みが戻り、肌は吹きすさぶ風を感じている。

 時間が動き出したのだ。


「……んだよ、これは!?」


 俺は毒づき、ルシアスから大きく距離を取る。

 あまりにわけのわからない事態に、膝がかすかに震えていた。


(こんな……こんな脈絡のない展開があってたまるか!)


 ――窮地に追い込まれた勇者ルシアスに、煌めきの神が力を授けた。


 そうとしか解釈のしようがない。


(そんなことがありえるのか!?)


 たしかに、英雄詩サーガの主役にはありがちなことかもしれない。

 だがそんなのは、ありえないからこそサーガの題材にされるのだ。

 現実の世界で、そう都合よく、窮地に陥った者が神によって救済されるなんてことがあるはずがない。

 だいたい、そんなことが神にできるのなら、この世界はもっとマシな形になってるはずだ。


(くそっ……落ち着け。起きたことは起きたと認めるしかねえだろうが……)


 驚くべきことが次々に起こるのが、勇者の冒険というものだ。

 今に始まったことじゃない。


(しかし、それにしたって……)


 機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ、という言葉がある。

 演劇なんかで、終幕近くに唐突に神が登場し、悪役を懲らしめ、善人たちを救済する。

 それまでの流れを全てぶった切り、無理やり話をまとめるためだけに登場する、脚本家にとって都合の良すぎる道具としての神。

 デウス・エクス・マキナとは、くだらない三文芝居を茶化すための言葉だった。


(こんなの、デウス・エクス・マキナもいいとこじゃねえか!)


 こっちのすべての努力をご破算にし、ただ神の都合のみを押し通す。


 演劇だったら脚本家が罵言を浴びせられるような、そんなクソくだらなくてクソ都合のいい、神の起こす万能の奇跡。

 今目の前で起こったのはそういうことだ。


「な、何が起きて……」


 シルヴィアもあれを見たらしく、ただ呆然とルシアスを見る。


「キリク! 逃げるぞ!」


 上空からダーナが言ってくる。


 だが、


「待て! うかつに近寄るな!」


 俺はダーナを制止する。


 ルシアスが、俺に向かって、印のついた手をかざしていた。

 床に転がってたルシアスの剣が宙に浮かぶ。

 剣は、吸い込まれるようにルシアスの手の中に収まった。

 剣を横向きに構えたまま、ルシアスが俺に嘲りの笑みを向けてくる。


「ちっ……戦闘中に使いたくはなかったが……『盟神探湯くかたち』」


 ダークドルイドから盗んだスキルを使って、ルシアスのステータスを見る。



ルシアス・クライスハーゼ

勇者♣

レベル740

HP 3440/3440

MP 2570/2570

STR 2190

INT 1970

DEX 1880

JOB SKILL 「勇者魔法♣」「勇者魔法」



「印が……!」


 最初に目についたのはそこだった。

 ルシアスの甲に押された烙印と同じ印が、勇者と勇者魔法の後についている。


 それ以外は変わらない――


 一瞬そう思いかけた俺は、次の瞬間、わが目を疑った。


「はぁっ!? ステータスの桁が……そんな馬鹿な!?」


 見たことのある数字だと、最初は思った。

 だが、ルシアスのあらゆるステータスの桁が、一桁ずつ上がってる。

 各パラメーターの尻に0をつけただけの、雑な仕事にしか見えなかった。

 だが、もしこの数値が事実なら――


「キリクっっ!!」


 ダーナの警告に、俺の身体が動こうとした。


 だが、それより早く、俺の身体を一陣の風が駆け抜けた。


 ――ルシアスが突進して俺を斬った。


 目の前に剣を振り下ろしたルシアスが現れたことで、俺はそのことにようやく気がついた。

 あまりにルシアスが速かったために、俺にはその動きが見えなかったのだ。


 斬られたという感覚に、俺の背筋がすくみ上がる。


「やはり、剣は効かないか」


 ルシアスがぽつりとつぶやいた。


 そのつぶやきで、俺は事態を理解する。


(「物理無効」が効いたのか……)


 わけのわからない強化をされたルシアスにも、「物理無効」は有効だったらしい。

 いくらパラメーターが高くても、物理攻撃は物理攻撃だってことだろう。


「となれば……」


 ルシアスが、剣を引いて一歩飛びのく。


 そして、印のついた左手を掲げてくる。


「魔法で仕留める!」


 来る……勇者魔法が。

 いや、「勇者魔法♣」だ!


「キリク――――――っ!」


 ダーナが叫びながら急降下してくる。

 俺を拾い上げて逃げる気だろう。


 だが、それでは間に合わない。


 ルシアスが魔法を唱えるまでの一瞬が、まるで永遠のように引き伸ばされた。


 命がけの戦いでまれに訪れる、意識が加速した状態だ。

 「フロー」あるいは「ゾーン」などと呼ぶらしい。

 熟練の剣士の中には、意図的にそうした状態に突入できると豪語する者もいる。

 俺の場合は、尻の穴が縮こまるような恐怖を感じた時に、偶発的に入り込むことがほとんどだ。

 生き延びるために魂が覚醒するのだ、とも言われるが、本当のところはわからない。


 だが、そのおかげで、貴重な判断の時間ができた。


 引き伸ばされた時間の中で、俺はとっさにスキルを使う。


「『ドロースペル:クロック・アクセラレーション』!」


 勇者のみが扱える、時間加速魔法を盗用する。


 俺は、おのれのDEXの限界を超えて加速する。


 逃げるのではなく――前へ。


(「勇者魔法♣」とやらが、パラメーターと同じく十倍に強化された「勇者魔法」なのだとしたら――

 あるいは、「勇者魔法」より十倍強力な、未知の魔法群なのだとしたら――)


 ルシアスのINTも、以前の十倍になっている。

 十倍のINTで放たれる、十倍強力な勇者魔法。

 単純計算で百倍――場合によってはそれ以上の威力かもしれない勇者魔法が、それ以上の範囲で吹き荒れる。

 今から逃げても、安全圏にたどり着けるとは思えなかった。


(なら、発動される前に……!)


 前に跳びながら、俺は右手の短剣を手放した。

 今からやることに短剣は邪魔だ。


 ルシアスの唇が、緩慢に言葉を紡いでいく。


「『デ・ィ、ヴ・ァ、イ、――」


 スキル名を唱えていては間に合わない。

 俺は脳裏に浮かぶスキル一覧から、目的のスキルを選択する。



 選んだスキルは――「ぬすむ☆」。



(間に合えっ!)


 俺は地を蹴り、ルシアスに向かって手を伸ばす。


 ルシアスもまた、俺へと手を向けている。

 その手のひらに、黄金色の光が集まってくる。


「……、・、ア、ニ、ヒ――」


 俺の中指の先が、ルシアスの手のひらにかすかに触れた。


 ルシアスの手から、金色の光がかき消えた。

 ルシアスの顔に驚愕が浮かぶ。


 俺は、勢いあまってルシアスに突っ込んだ。


 ルシアスを押し倒す格好で、俺はルシアスに馬乗りになる。


 ルシアスが、俺の目には見えない速さで剣を振るう。


 その前に俺は、「屠竜の構え」を使ってる。


 「屠竜の構え」の反射攻撃の威力は、元の攻撃の二倍にもなる。


 ルシアスがSTR2190で繰り出した攻撃が、二倍になって反射され――




 ルシアスの、首から上が消し飛んだ。

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