3 同情

 俺は、悪魔の女を抱えたまま森を進み、盗賊の砦を発見した。

 あの盗賊が言ってた通り、砦は跳ね橋が上げられ、櫓には見張りが立っている。

 日は既に暮れていた。

 砦のやぐらには篝火が焚かれ、砦の黒々とした姿が、揺らめく炎の中に浮かび上がっている。


「盗賊にしちゃあ、なかなかしっかりした警備体制だな」


 気の赴くままに他人から奪うことしか考えてないような連中だ。

 留守番などと言ってはいても、どうせ酒をかっ食らって博打でもやってるくらいだろうと思ったのだが。


「ひょっとすると、ただの盗賊団じゃねえのかもな」


 「毒蠍」、とか名乗ってたか。

 この盗賊団には、なんらかのバックがあるのかもしれない。

 より広域に活動する盗賊団の下部組織になってるとか、どこかの街の有力者や大商人と結託してるとか。

 魔王の軍勢と戦わねばならない中でも、そうした腹黒い連中はどこにでもいる。

 魔王退治は勇者や教団に任せ、自分たちは己の利益を確保する。

 いや、魔王との戦いで混乱している今こそが稼ぎ時。

 人間というのがどんなに汚いものなのか、勇者パーティにいれば嫌でもわかる。


「こいつはまだ起きねえか」


 抱えたままの悪魔女は、時折うなされながらも、静かな寝息を立てるようになった。

 「虚無の波紋」――状態異常を解除できるスキルを使ってるのだが、小康状態にはなっても、完全に癒えそうな気配はない。


「このスキルも万能じゃないしな」


 もしこのスキルがあらゆる毒や病気に効くのなら、ディネリンドの矢で受けた麻痺毒だって解除できた。

 このスキルが解除できるのは、あくまでも状態異常だけなのだ。


 状態異常とは、魔法やスキルによってもたらされる擬似的な「毒」や「麻痺」、「停止」、「錯乱」などのことを言う。

 天然もの毒物によって与えられるただの・・・毒や麻痺などは、状態異常とは別のものだ。


 ただし、この「虚無の波紋」にとって、状態異常の解除はどちらかといえばおまけに近い。

 このスキルの本元の効果は、使用者の周囲に存在するすべての強化効果バフ弱体化効果デバフを強制的に解除する、というものだ。

 つまり、敵味方問わず、また、バフ・デバフを問わずに、すべての効果を消してしまう。

 そのついでに、状態異常も解除してくれるってわけだ。


 それだけの効果を持ちながら、「虚無の波紋」はMPすら消費しない。

 本来魔物が使うスキルだけに、コストも効果も大味なのだ。


 強力といえば強力だが、はっきり言って使いにくい。

 勇者パーティとして行動する場合、僧侶や賢者などが、味方にはバフを、敵にはデバフをかけていることがほとんどだ。

 味方の状態異常をまとめて解除できるとはいえ、味方のバフ・敵のデバフ・敵の状態異常まで消してしまう。


 これだけでも十分使いにくいわけだが、「虚無の波紋」には、さらにおそろしい効果が付いている。

 「戦闘不能」状態の解除だ。


 HPがゼロになった場合、勇者パーティのメンバーであれば、煌めきの神の加護により、「死亡」まで一定時間の猶予がある。

 この猶予時間の間に、僧侶などが蘇生魔法を使えば、対象者はHPが目減りした状態で生き返る。

 この猶予期間のことを蘇生猶予という。

 蘇生猶予中の者は、HPがゼロのまま、「戦闘不能」という状態異常にかかっている。

 すなわち、蘇生魔法とは、「戦闘不能」の状態異常を解除するための状態異常解除魔法と見ることもできる。


 この猶予のおかげで、どれほどの数の勇者やそのパーティメンバーたちが生き延びたかは言うまでもない。


 ただし、この蘇生猶予は、魔族や一部の魔物にも存在する。


 仮に、「暁の星」がボスモンスターとの戦闘に入ったとしよう。

 ボスモンスターには取り巻きがいることがほとんどだ。

 ボス戦の定石通り、邪魔な取り巻きをまず倒す。

 その後、ボスを追い詰めたものの、ボスの強力な状態異常をくらってしまった。

 そこで、待ってましたとばかりに俺が「虚無の波紋」を使ったらどうなるか。

 もちろん、取り巻きの「戦闘不能」までもが解除され、パーティは窮地に追い込まれる。


(まあ、俺以外のメンバーが何人か死んでるような状況だったら使えるが……)


 そんな状況で瀕死の味方を蘇生したところで、「虚無の波紋」のクールダウンが終わる前に全滅するだろうけどな。


 だが、今の俺は単独行動中だ。

 さっきからクールダウンが終わるたびに、「虚無の波紋」を使ってる。

 病素が原因だった場合、「虚無の波紋」で病素を取り除くことはできない。

 それなのに、「虚無の波紋」を使うたびに若干だが持ち直す。

 そんな現象が起こるのは、


(病素が魔物なんだろうな)


 目に見えないほど小さな魔物が、体内に入り込んでいるのだ。

 その魔物が、「衰弱」の状態異常を宿主にかける。

 「衰弱」は状態異常だから、「虚無の波紋」を使うたびに消去される。

 だが、体内に入り込んだ極小の魔物が、そのたびに状態異常をかけ直す。

 そうして宿主を状態異常で弱らせながら、魔物は体内で繁殖していく。

 宿主から栄養を奪うくらいならかわいいものだ。

 ものによっては宿主を食い殺したり、体内に成体の卵を植え付けたりすることもある。脳にまで侵入すれば、宿主を凶暴化させたり、異常行動を起こさせたりもするらしい。


「この女は、怪我をして森を彷徨ううちに、森に漂う魔物性の病素に感染したってことだろうな」


 宿主が健康であれば、宿主の身体が病素を倒すと言われてる。

 だが、病素そのものが状態異常を引き起こしている現状では、彼女の自然治癒力に期待することはできなかった。

 それ以外でこの状態を治療できる方法は、


「高レベル僧侶の浄化魔法……は、無理だからな」


 シルヴィアの顔が頭に浮かび、俺は顔をしかめて首を振った。

 街にある教団の支部になら、他にも病素を治療できる僧侶がいるかもしれない。

 だが、勇者の拠点である教団支部に、悪魔の女を連れていけるはずもない。


「それ以外だと、あれくらいしかねえ。

 ちっ、厄介なことだぜ」


 この女を、俺が助ける義理はない。

 むしろ、とどめを刺すべき相手だろう。

 だが、勇者パーティの一員として戦ってた時と違って、なぜか今は、この女に以前ほど激しい敵意を感じないのだ。


「魔王は失敗した部下を許さねえって話だ。任されてた破滅の塔をむざむざ勇者に攻略された以上、この女は、たとえ生き延びたところで、魔王に処刑されるんだろう。他の悪魔への見せしめのために、な」


 そうつぶやいて、なぜ自分がこの女を見捨てられなかったかにようやく気づく。

 俺は、自嘲するようにつぶやいた。


「同情か。勇者パーティから追放された俺は、失敗して行き場のないこの女に憐れみを覚えたってわけだ」


 改めて観察するまでもなく、悪魔女は美女だった。

 張りのある褐色の肌。紫色のゆるくウェーブした髪は、腰まで届くほどに長かった。

 やや吊り気味の目を、驚くほど長い睫毛が縁取っている。

 両耳はエルフの耳のように尖っていて、両耳のすぐ上には大きな巻角。

 戦っている時は悪鬼のようだと思った顔も、こうして眠っている分にはあどけなくすら見えた。

 年齢は二十歳くらいだろう。

 エルフと同じで、悪魔の年齢が見た目通りとは限らないのだが。


 持ち上げるのに邪魔になりそうだった大きな翼は今はない。

 傷を回復のスキルで治してやったら、腰の後ろに吸い込まれて消えた。

 便利なもんだ。


「それにしても、目に毒だな……」


 腕の中にいる悪魔の女は、とんでもないプロポーションの持ち主だ。

 人間離れした(悪魔だから当然だが)、大きな胸。

 脂肪の塊のはずのそれは、つんと上を向いている。

 胸のすぐ下には、うっすらとあばらが浮いていた。

 腹にはほどよく筋肉と脂肪がついていて、胴はくっきりとしたくびれを描く。

 その下の腰は、打って変わって肉付きが豊かになってくる。

 大きな尻からなだらかに続く曲線は、むっちりとしたふとももと、きゅっと締まったふくらはぎを経て、ヒールのついた黒い革のブーツで終わっている。

 そんな抜群のスタイルが、魔獣革のレオタードでさらに強調されているのだからたまらない。


 今の俺は、腰に布を巻いただけの半裸状態だ。

 悪魔の女の、汗にしっとりと湿った肌が、俺の素肌に直に触れている。

 気をつけていないと、腰の布が膨らんで、歩くのに支障が出かねない。


 俺は、森の木立の奥に見える、盗賊の砦に目を戻す。

 森の中は暗いが、俺は夜目が利く。

 そういうスキルもあるが、それを使わなくても、これくらいなら通常のシーフの範疇だ。


「さすがにこいつを抱えたままで乗り込むのはな」


 やってできないとも思わないが、どんな不測の事態がないとも限らない。

 盗賊に知恵をつけてる者がいるとすれば、あの砦には罠が仕掛けられている可能性もある。


「あそこの木のうろなら、岩の陰にもなってるから安全か?」


 俺は倒木がいくつか折り重なってる場所にある、大きな木のうろに悪魔の女を押し込んだ。


「待っててくれよ」


 意識のない女にそう言って、俺は短剣を手に立ち上がる。


 森を進んで、盗賊が根城にしてる廃砦を観察する。

 櫓には篝火が焚かれ、盗賊の歩哨が時折森の方を警戒している。

 ……といっても、所詮は盗賊だ。

 何をどう警戒するか?という意識がなく、言われた通りにただ漠然と「警戒」してるだけだ。目で森のうわっつらをなぞるばかりで、何かを見つけようという意思がない。


 それでも一応、この時間に見張りを立ててるだけ、盗賊としては殊勝なほうだ。

 おそらくは、獲物を狩りに出かけていった頭たちが戻ってないので、警戒を厳にしてるのだろう。


 砦の周囲には空堀があり、木々を伐って見通しもよくされている。

 だが、篝火の数が足りていない。

 見張りの監視も、俺にとってはヌルすぎた。

 俺は難なく砦の堀の近くまで忍び寄る。


「十五人って言ってたか」


 あの盗賊がどこまで本当のことを言ったかはわからない。

 人数に齟齬があるとすれば、どっちかといえば、あの盗賊は数を多く申告したはずだ。

 仲間が多いと知れば俺がビビって、自分を見逃すかもしれない。

 薄すぎる可能性ではあるが、あいつにとっては生き延びる最後のチャンスなんだからな。


「まあ、見てみればわかるか。『ウォールトランスペアレント』」


 俺がつぶやくと、堀の向こうにある壁が一気に透けた。

 その奥に、人の影が黒く見える。

 座ったり寝たりしてるやつが大半だ。

 車座になって何やら札遊びをやってるようなのが四人。他に、奥で寝てるのが五人。櫓で歩哨に立ってるのが三人。それ以上先は、このスキルでは見通せなかった。


「おや? 案外正確な数だったっぽいな」


 盗賊の癖に素直な奴だ。


「それなら、さっさと片付けるかね」


 俺は、空掘の向こうにそびえる城壁の上のほうへと手を伸ばす。


「『捕食蔓ほしょくづる』」


 腕から薄緑色の光のロープが宙に走る。

 ロープの先端が、狙い通り城壁の上のほうに巻きついた。


「蔓よ、縮め!」


 伸びきったロープが急激に縮む。

 そのロープに引っ張られ、俺の身体が宙に浮く。

 俺は勢いよく宙を舞って、城壁へと取り付いた。

 さすがに、ドン、と音がする。

 ロープの光も見えたかもしれない。


「な、なんだ!?」


 櫓から身を乗り出し、盗賊が周囲を見回した。

 俺はロープを上りながら、片手をその盗賊に向け、


「『ダンシングニードル』」


「がっ!?」


 俺の放った赤い棘は、その盗賊の喉に突き刺さった。

 盗賊が櫓から転げ落ちる。

 ぐしゃっという音は、砦の中にも響いたらしい。


「敵襲だ! 警戒しろ!」


 砦の奥で、どたどたと人の動く気配がする。

 計算通り、逃げるつもりはないようだ。

 ここには連中の財産があるだろうし、この砦ほどに便利な拠点はそうそうない。

 もしこの砦に攻撃をしかける奴がいるとしたら、どこかの街の兵だろう。

 その場合、砦は逃げ場のないよう包囲されてるはずだから、敵襲があってから逃げるのでは遅すぎる。


(まあ、こいつらがそこまで考えてるかどうかは知らんけどな)


 本能的に身を寄せ合って根城を守ろうとしてるだけかもしれない。


 どっちにせよ、固まってくれてるのは好都合だ。


 俺はロープをつたって城壁を上ると、もう一度『ウォールトランスペアレント』を使って盗賊どもの位置を確認する。

 盗賊どもは、集団になって、物音のした城門へと向かってきてる。

 寝てた奴まで合流し、見張り以外の全員で、だ。


 俺は城門の上に立って、やってくる盗賊どもを待ち受ける。

 目立つように、篝火のそばに立ってやった。


「いたぞ! あそこだ!」


 砦の奥から駆けつけた盗賊の一人が、俺を指差してそう叫ぶ。

 その背後から続々と盗賊どもが湧いてくる。


「てめえ、一体何者なにもんだ!」


 殺気だった声で叫ぶ盗賊に、俺はただ一言で答えてやる。


「『コールドブレス』」


 下に見える盗賊どもに向かって、力強く息を吐く。

 その息は、人間の呼吸ではありえない暴風となり、盗賊どもを呑み込んだ。


「な、なん……っ!」


 盗賊どもが暴風に動きを止める。

 だが、今使ったスキルの真価はこれからだ。

 盗賊どもを呑み込んだ暴風はその場でつむじ風となって回転し、徐々にその速度を増していく。

 同時に、盗賊どもの身体を、輝くものが覆いだす。

 風によって瞬く間に冷却された盗賊どもは、厚くなっていく氷に閉じ込められ、死に物狂いで抵抗する。

 暴風のせいで、その悲鳴や絶叫は俺のところまで届かない。


 ほどなくして、城門の下には、十数個の氷像が出来上がっていた。


「ちょろいな」


 俺は踵を返し、城壁の上を巡って、別の方向を見張っていた、他の櫓の盗賊どもを始末する。

 盗賊は合計十五名。ぴったりだ。


 城門の裏から跳ね橋を下ろし、帰りは正面から砦を出て、悪魔の女を回収に向かう。


「うう……」


 近づくと、木のうろからうめき声が聞こえた。


「よかった。俺がいないあいだにどこかに行かれたらどうしようかと思ったぜ」


 木のうろを覗き込むと、女は俺がそこに押し込んだ時のままの姿勢でうなされていた。

 まだ意識はないようだ。


 うなされている女を木のうろから抱え上げる。

 俺は跳ね橋を渡り、盗賊どもの根城だった、砦の奥の建物に入る。


 比較的マシな寝床を見つけて女を寝かせ、盗賊どもの略奪品から自分の服を見繕う。

 女の服も着替えさせるべきかもしれないが、このレオタードがどんな装備なのかわからない以上やめておくべきだ。この装備の効果で、かろうじて死を免れている可能性だってある。


「この砦の奥は、ダンジョン化してると言っていた」


 だとしたら、その中には「あれ」があるはずだ。


 俺は、略奪品で申し訳程度に装備を整えると、砦の奥へ駆け出した。


「あれか、ダンジョンの入り口は」


 天井の高い、長椅子の並んだ空間の奥に、漆黒の闇が渦巻いていた。

 あの渦が、ダンジョンの入り口だ。


 俺は、朽ちかけた長椅子の間を進んで渦に近づく。

 アーチ状の天井に向かって、左右に数本の円柱が立っていた。


「煌めきの教団の礼拝所だったみたいだな」


 そんな場所にダンジョンの入り口ができたとは皮肉なものだ。


「急がねえとな」


 俺は躊躇なく、漆黒の渦の中へと飛び込んだ。

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