2 シルヴィアの不安

 一方、キリクを追放した勇者一行は、破滅の塔攻略の報酬をギエンナの街から受け取ると、街道を進んで次の街に向かっていた。


「なかなかいい金になったな」


 男賢者サードリックが、目を細め、唇の端を吊り上げてそう言った。


 サードリックは、金の刺繍の入った高価な法衣に身を包み、ねじくれたヤドリギの杖を手にしている。

 中肉中背で、やや猫背。おとぎ話の魔法使いのような長く垂れた鼻が特徴的だ。

 薄い唇は、左右の頬に食い込むように広がって、薄笑いの状態で固まっている。

 何かをまぶしがるように細められた目は、上弦の月のような形に醜く歪み、サードリックの上機嫌を表現していた。

 まだ二十代後半のはずだが、年老いた魔術師のような、老獪で性根のねじくれた雰囲気がある。

 歳の割に量の少ない褪せた灰色の髪を、後ろに向かって撫で付けている。


「で、でも、よかったんでしょうか……。あの悪魔を、わたしたちは逃してしまったのに……」


 形のいい眉をハの字に寄せて、女僧侶――シルヴィアがおずおずと言った。


 シルヴィアは、小柄で内気そうな金髪碧眼の美少女だ。

 弱冠十六歳で勇者パーティに加わるというのは、煌めきの教団では最優秀の部類に入る。

 ……のだが、シルヴィアは、常に他人の顔色をうかがっておどおどしているような少女だった。

 その様子がまた、他人をじれったくさせ、嗜虐心を刺激する。

 なまじ優秀なだけに、同年輩の教団の僧侶にとっては、そのもじもじした態度がなおさらに気に入らない。

 優秀な僧侶を教団が手放すことは稀なのだが、教団に居場所のなかったシルヴィアは、半ば厄介払いされるような形で、このパーティへと参加した。


 白く裾の長い僧衣は質素そうに見えるが、魔力を強化する特殊な絹で織られた一品モノだ。

 手には、浄化の鈴のついた短杖を握っている。

 鈴は、そのままにしていると音が鳴る。

 以前キリクにそれを指摘されたシルヴィアは、移動中は布を巻きつけ鈴が鳴らないように気を配っていた。

 ……とはいえ、ただ街道を進んでいるだけの今の状況で、かすかな鈴の音をさほど気にする必要はない。

 それでも言われたことを守っているのは、単に融通の利かない真面目な性格をしているからだ。


 心配そうなシルヴィアに、女戦士――エイダがぱたぱたと手を振った。


「わかりっこないって。悪魔はちゃんと倒した。そう言っておいたほうが、街の人間だって安心する」


「で、ですが、もしあの悪魔が街の人間を襲ったら……」


「その場合、街の人間は確実におっ死ぬだろうさ。なんの問題も起きないね」


「……? な、なぜ死んでしまうのに問題がないのですか?」


「死んじまえば、やったのがあの悪魔かどうかなんざわかりっこないってことさ」


「そ、そんな!」


 肩をすくめて平然と言ってのけたエイダに、シルヴィアは顔を青くした。


 その様子を、エイダはいかにもうとましげに眺めている。


 エイダは、赤い金属鎧を身につけた大柄な美女だ。

 年齢は二十代半ばくらいだろう。

 炎のような赤い癖毛と、同色の瞳を持つ切れ長の目、すらりと通った鼻梁。

 エイダが戦士としても女としても、自分に絶大な自信を持っていることがうかがえる。


 金属鎧は軽量化のために、腕や胴、ふとももなどがごっそり削られ、そこから日に焼けた引き締まった肉体がはっきりとのぞいていた。

 腹という急所を晒していることになるが、エイダの鎧は特別製だ。神の加護により、敵の攻撃は鎧のある部分に吸い寄せられる。因果すら歪める鎧など、現代の人間の技術では想像もつかない。エイダはこの鎧を、同じく戦士だった母親から受け継いでいた。


 もちろん、鎧頼みで戦っているわけでもない。

 そもそも、エイダが敵の攻撃をまともに受けること自体が稀だ。

 エイダは、身の丈ほどもある大剣を、縦横無尽に振り回す。

 そんなエイダに近づける者など、滅多にいない。

 仮に近づき、攻撃できたとしても、エイダはそれを軽々とかわし、あるいは剣で撃墜する。


 エイダは、面倒くさそうにシルヴィアに言った。


「じゃあ何かい? 真正直に悪魔を取り逃がしましたって報告して、あの街に足止めを食えばよかったって言うのかい? あのクソ広い森に逃げ込んだ、生きてるか死んでるかもわからない悪魔を探し出すなんて、あたしは死んでもごめんだね」


「だよなぁ。んなことやってらんねーよ」


 サードリックが相槌を打った。

 サードリックは女二人の会話に参加するフリをしながら、細い目を、シルヴィアの盛り上がった豊かな胸へと向けている。


「そ、そういう問題ではありません!」


 サードリックのいやらしい視線には気づかず、シルヴィアが言った。


「……しかたないではありませんか」


 そう会話に割って入ったのは、エルフの女弓師だった。

 ディネリンドという名の女エルフは、つややかな白金色の髪にみどりの瞳を持つ二十歳くらいの美女である。

 もっとも、それは人間であればの話であって、彼女の実年齢はその倍とも三倍とも言われている。

 まさに氷のようなという形容がふさわしい無感動な顔で、ディネリンドが言葉を続けた。


「わたしたちが足止めされるわけにはいきません。

 街の人間が何人か殺されようと、大事の前の小事です。

 わたしたちが早く魔王を倒せば、それで済む話ではありませんか」


「け、けど……悪魔を倒した分の報酬までもらってるのに……」


「嘘も方便です。そのお金はわたしたちの旅の資金としてありがたく使わせてもらえばいいだけのことです」


 その言葉とは裏腹に、ディネリンドの顔には、感謝の「か」の字も浮かんではいなかった。


「そ、そうなのでしょうか……」


 シルヴィアは、自分の意見を呑み込んだ。

 昨日、仲間だったキリクを除名したのも、ちょうど街道のこの辺りだったはずだ。

 勇者たちの剣幕に押され、シルヴィアはキリクの追放に反対できず、押し流された。


「……キリクさんがいないとなると、これからの冒険は慎重さが必要ですね」


 シルヴィアがそうつぶやくと、他のメンバーは揃って不思議そうな顔をした。


「どうしてそうなる? 宝箱はもうサードリックの開錠魔法で開けられる」


「キリクさんの役割はそれだけではなかったでしょう?」


 勇者の言葉に、シルヴィアは目を見開いてそう言った。


「あいつの言う後方支援か?

 あってもなくても同じだろう。

 代わりに、次の街でもう一人賢者が合流する。

 火力が上がって、戦闘が一気に楽になるはずだ」


「まったく。お荷物がいなくなってせいせいしたね」


 勇者のセリフに、エイダがそう相槌を打つ。


 勇者ルシアスは、パーティの中ではシルヴィアに次いで歳が若い。

 まだ17歳だと聞いている。

 だが、剣にも魔法にも秀で、煌めきの神から最年少で勇者の称号を授かった。ルシアスが15歳の時だ。

 それ以来、冒険を重ねながら実績を積み、ルシアス率いるこのパーティ「暁の星」は、全勇者パーティの中でも上位一割に入るAランクにまで上り詰めた。


 ルシアスは、細くやわらかい金髪を左右に分けた美少年だ。

 いや、既に半ばは美青年の域に入っているだろう。

 背はサードリックと同じくらい。決して体格に恵まれているわけではないが、剣の腕では歴戦の戦士であるエイダをも上回る。

 その上、勇者にしか扱えない攻撃魔法や補助魔法も多数習得している。

 まさにパーティの大黒柱というべき存在だ。

 そうでなければ、サードリックやエイダのような一癖も二癖もあるような人材がパーティに居着くことはなかっただろう。


 涼しげなアイスブルーの瞳に、最初はシルヴィアもどぎまぎしたものだが、最近は異なる見方をするようになった。


 ルシアスは、あきらかに、自分の容姿が異性にもたらす効果を熟知している。

 綺麗にくしづけられたさらさらの髪も、女性の心を見透かすような涼しい瞳も、ルシアスは計算づくで利用していた。


 ルシアスは、各国の姫や王妃を勇者の身分と恵まれた容姿で虜にして味方にし、同性である国王や大臣までをも、いかにも誠実そうな語り口でたらしこむ。


 ルシアスは、既にある大国の王女と婚約を交わしていた。

 にもかかわらず、同じパーティメンバーであるディネリンドに粉をかけ、他のメンバーにも内緒で夜ごと密会を重ねている。

 激しい戦いの後で眠りにつけず、外の空気を吸いに出たシルヴィアが、二人の逢瀬を目撃したのは最近のことだ。


 シルヴィアは、他のメンバーが、キリクがいなくなってよかったと心から思ってることに、今さらながら気がついた。


(そ、そんな……)


 シルヴィアは衝撃を受けていた。

 同じ後衛として、キリクの働きぶりはよく見ていた。

 前線に立つルシアスとエイダ。

 中衛として攻撃に専念するサードリックとディネリンド。

 その背後から、戦況をにらみながら、その豊富な手管で戦線を支えているのがキリクだった。

 戦闘中だけではない。移動中も、キリクは常に周囲を警戒し、罠や瘴気、敵の不意打ちといった不確定要素を丹念に潰していたのだ。


(まさか……みんな、知らなかったんですか? キリクさんがどれだけパーティに貢献していたか……)


 だから、あんな暴挙に出られたのか。


(止める、べきでした……)


 シルヴィアはぐらりとよろめいた。

 盤石だった地面がいきなりなくなって、深い穴の中を落ちていくような恐怖が襲ってくる。


 だが、引っ込み思案のシルヴィアが、自らの危惧を勇者たちに伝えることはなかった。


 シルヴィアはただ、どうなってしまうのかと不安がるばかりで、自分から行動を起こそうという発想がない。

 その不安を具体的にどう解消するのか? ということにまで、シルヴィアの気は回らなかった。


 ――これまでこのパーティでそうした役割を果たしていたのは、失われたキリク、ただ一人だったからだ。

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