春の訪れ

 想像もしていなかった光景に、思わず息が詰まる。目の前に座って居るのは、写真部の先輩や同級生、今まで一度たりとも来たことのない後輩だ。何故こんなに大集結しているのか、わけが分からない。確かに今日は部活の日だが、部員がこんなにも集まったことなんて一度も無い。一体何があったのかと部長を見やると、なぜだかものすごく疲れたような顔をしていた。僕は部長に駆け寄り、話を聞いた。


「何ですか、これ…」

「俺が呼んだ。大変だったんだぜ?」

「いやすごいですけど、なんで…?」

「さて、発表しようか」

「え?」

「ほら、こっちおいで」

「ちょっと」

「みんな、注目!そこ、ゲームやめろ!」


 部長が大きな声で声をかけると、さっきまで馬鹿騒ぎ状態だった部室は一気に静まり返った。


「何だよ…」

「あれ誰」

「知らね」


「うるさいなあ、静かにっ!」


 部長のいつにも増して鋭い言葉に、部員は驚いたように黙り込んだ。僕は部長に腕を引かれ、部員の前に立たされた。


「明日から、彼がこの写真部の部長です」


 部員達が一気にざわつき始める。なんであいつが、俺の嫌いな奴じゃん、意味わかんない、むかつく。心ない言葉が僕の胸に刺さる。こんな大勢からヘイトを向けられたことのない僕は、突然に押し寄せられた悲しみとも苛立ちともとれない感情に押しつぶされそうになった。


「文句ある奴は俺に言えよ。俺が任命したんだ」

「そいつじゃ無理だと思いまーす」

「彼じゃ無きゃ出来ないと思ったんだよ」

「部長〜、私そいつじゃやだぁ」

「気に入らない人は退部してね」


 棘のある言葉。明らかにいつもとは違う。僕は隣に立つ、少しだけ僕よりも小さい部長に寄りかかるように声を挙げた。


「えっと、次期部長の荒川優です。よろしくお願いします」

「あのさあ」


 二年生の先輩が唸るように部長に言う。部長は鋭い目つきで彼を見た。緊迫した空気が部室に流れ、喉が詰まるような感覚に陥る。


「部長変えるにはまだ早くない?てか他にやりたい子とか居なかったの?」

「俺が彼に頼みたかったんだよ。もう心は決まってたの」

「でも、募集しないと可哀想じゃない?」

「一度も部活に来なかった部員に立候補する権利があると思う?」

「それは…」

「一年生の中で、しかも先輩までもがこんなに崩壊した部活で、毎回真面目に部活に参加してくれていたのは彼だけだったよ」


 眼鏡をかけて、真面目ぶった部長。本当はヤンチャで、不良みたいな人で、だけど誰よりも芸術を愛していて、誰よりも優しい。今部室に居る人たちの中で、部長を慕っている人は何人居るだろうか。この人は、これ以上嫌われるべき人ではない。そう心から感じる。怖い。けど、今しかない。今を部長に委ねてしまえば、きっと僕はそこまでの人間なんだ。今が、きっと最高潮に大切なときなんだ。僕は震える手をグッと握って、恐怖心を心の中に押し込んで、一文字ずつ言葉を紡いだ。


「僕は、部長ほど立派な人ではないです。だけど、僕は誰よりも写真が好きです。僕は、写真を撮りたくてこの部活に入部したんです。だから…僕は、もう一度皆さんと部活がしたい。」

「要は俺らに写真を撮れって?」

「ここは写真部です、写真を撮らない人が来るべき場所じゃないんです」

「でも大事な肩書きだしなあ」

「一枚でも良いんです、写真を撮ってください。なんでも良いんです…。」

「そんなんとっても意味なくね?時間の無駄」

「写真は、一つの芸術です。何かを表現する手段です。すぐではなくとも、いつか絶対に意味というのは現れます。友達の変顔だって、いつかは青春の一ページになる。そんな思い出を、手元に残しておく。理由が欲しいなら、これで十分です。」


 僕が写真を撮り始めたのは、美しいと感じたものをずっと、未来永劫手元に残して置きたいと思ったからだ。僕が絵を描き始めたのは、美しいと感じた情景を未来の自分に届けたいと思ったからだ。だけど、言ってしまえばこんなのは後付けで、本当の始まりに意味なんて無かった。絵を描くのがただただ楽しくて、ずっと筆を握っていた。絵を奪われて、なんとなく始めたのが写真だった。それなのに、今では最早生きる理由にまでなっている。


「きっかけなんて、なんでも良い。やってみたいとか、無理矢理やらされたとか、そんなのでも良い。僕は、そんな薄い意識でも写真を撮ってくれる人と部活がしたいんです。」

「…そうなんだ。じゃ、俺は邪魔者だね。明日には退部届出すよ。」


 そう呟き、一人先輩が部室から出て行った。続いて一人、二人と部員が消えていく。途中まで気まずそうにしていた同級生も、ここぞとばかりに部屋を出て行った。

 数分後、残ったのは僕と部長と、三人の同級生だけだった。


「あんなに、居たのに。あんなに…。」

「よく言ったな。すごいよ」


 部長に背中をさすられ、同級生の前でどんな顔をして良いか分からなくなる。脳裏に焼き付いた先輩の目が怖くて、空っぽになった部室が寂しくて、後悔して良いのか、喜んで良いのかも分からなくて、今にも逃げ出したい気持ちを必死にこらえていた。

 落ちる視線に映った三つの影。顔を上げると、見覚えのある面面が心配そうな顔をして僕を見つめていた。


「五人、残りましたね」

「え…?」

「部活は、五人居れば存続出来るんですよ。私たち、まだ終わってませんよ」

「五人…」

「写真部はこれからだよ!再スタートだよ!」

「うん…」

「写真、撮ってみます。今まで参加しなくてすみませんでした」

「ありがとう…ほんとに、ありがとう」


 こぼれ落ちそうな涙を制服の裾で拭う。反対の腕を、部員に掴まれた。そのまま少し引っ張られ、僕の手の甲にみんなが手を添えた。


「新部長、えいえいおーだよ」

「え?」

「円陣ですよ、声かけお願いします」

「写真部、これからも頑張るぞの円陣!」

「円陣…うん、分かった」


 隣から部長に肩を組まれる。僕は一つ頷いてから、大きく息を吸った。


「写真部、頑張るぞーー!!」


「おーー!!!」


 五人の声が混ざり、部室に投げ出される。直後、みんなは満面の笑みを浮かべていた。つられて僕も笑ってしまう。


 みんなが笑っている。こんなに幸せなことはない。

 写真部には、少しだけ早い春が訪れた。





「遥、もう帰る?」

「そうだね。一緒に帰る?」

「うん、帰ろ」


 部活が無事に終わり、僕は安堵と不安を抱えながら下駄箱に佇んでいた。遥も美術部を終えたところらしく、ついさっき遭遇したところだ。遥が靴を履くのを待っていると、部員が横を通り過ぎた。去り際、手を振ってみると、彼女は儚い笑顔を見せて手を振り返してくれた。


「え、え、彼女?!」

「は?なんで?!」


 突然の遥からの問いに思わず狼狽える。遥は目を丸くして後ずさりした。


「だって、優が女の子に手振るとか…頭でも打った?」

「部員だよ…なんでそんなテンション高いのさ」

「え、部員?好きなの?そんな親しい子居なかったよね?」

「ああ、部員ね…五人になっちゃったんだ」

「え…あ、優、もしかして!」


 後ずさりして離れた距離は、今度は遥がグッと近づけた。僕の目の前まで来て、僕の言葉を待つように見つめてくる。


「部長になったよ」

「わあー!おめでとう、すごいよ優!」

「声大きいよ遥…」


 僕よりも嬉しそうに笑う遥を見て、思わず失笑してしまう。僕は、そのまま質問攻めに応えながら帰路についた。楽しそうに微笑む遥はやっぱり可愛くて、その小さな体ごと独り占めにしたいと思った。


「優に春は来ないのかなあ」

「何それ、貶してる?」

「だってちっとも彼女作らないじゃん」

「自分だって失恋して髪切ってるくせに」

「これは…違うじゃん、終わったことは良いの!」


 遥は少し声を張ってごまかした。遥に失恋をしたと打ち明けられてから、気になって仕方が無いのだ。もしかして、もしかしたら、今ならオーケーもらえるかも、なんて、そんなことばかり考えて。


「あ、河川敷綺麗だよ!!」

「ほんとだ、寄ってく?」

「うん、行こ!」


 斜面を駆け下りる遥をゆっくりと追いかける。河川敷は淡い橙色に包まれていて、やはりいつ見ても美しい景色だった。


「そういえば、遥の絵って夕日じゃなかったんだね」

「え…なんで?」

「なんか、違うなって思って。この間部長に見せてもらったんだ、写真」

「写真?」

「ここの、朝日の写真」


 驚いたように目を丸くする遥。夕日に照らされて、儚くも美しい彼女の顔。誰にも見せない、僕だけの表情だったら。そうであれば、どれだけ良かっただろうと、馬鹿馬鹿しいことを考えてしまう。


「よく分かったね…なんか、恥ずかしいな」

「どうして朝日を描いたの?」

「見たんだ。夕日を見てる優を」

「え、見てたの?」

「うん。それで、喧嘩中だったからかな、なんかむかついちゃって」

「ええ…」

「対抗しようと思って、朝日を見に行ったの。そしたら想像以上にきれいでね。優にも見て欲しいって思って」

「それで、描いたの?」


 恥ずかしそうに頷く遥。夕日に映える横顔。彼女はこっちをチラリと見ると、すぐに夕日に視線を戻してしまった。


「僕の為に描いたの?」

「そういうわけじゃ…」

「遥」

「ん、何?」


 オレンジ色に透ける髪。振り向きざまに見せた繊細な笑顔。今にも壊れてしまいそうな彼女は、僕を見てもう一度微笑んだ。


「好きだよ」

「…私も、優の絵好き。あんなに綺麗な絵、優にしか」

「違う、絵じゃない」

「何…?」

「遥のことが、好きなんだよ」


 口から出る言葉は脳を介さず、漏れ出るように放たれた。遥は無表情だった。返事がないまま数秒の時間が流れる。


「私…?」

「うん、遥が好き」

「馬鹿…馬鹿じゃないの」


 遥は鼻を啜りながら、自分の短い髪をサラリと触った。振られたんだ。そう理解するまでに、時間は要さなかった。僕たちを祝福するように輝く夕日が鬱陶しくて、憎らしかった。


「髪、切っちゃったじゃん…」


 好きなだけ輝いた夕日は、奥の山に身を隠した。チカチカと点滅した後、点いていた街灯が光を失った。突然暗転した世界。上空には無数の星が散らばっていた。


「それって、もしかして」

「遅いよ、馬鹿」

「嘘、ほんとに?僕、なの?」

「そうだよ!ずっと私、待ってたのに。優の馬鹿!」


 怒鳴る遥。僕は、その小さな体を強く抱きしめた。


「ごめん、遅くなって。ほんとにごめん」

「優の馬鹿…馬鹿、馬鹿!」

「髪短くても可愛いよ、遥。ごめんね」

「そういうときは、短い方が可愛いって言うの!」

「うう、ごめん」


 いたずらに笑う遥。この笑顔を、もう絶やしてはいけない。僕は遥に誓うように、もう一度彼女を抱きしめた。


 一歩ずつ近づく春は、もうすぐそこに来ているらしい。

 春の河川敷も、二人で見に来よう。春の「美しい」を、二人で沢山かき集めよう。

 もう近い春を、僕は冬の星空に誓った。


【完】




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