写真部を、写真部に
「はぁ?!」
陸は司書さんが飛んできそうな程の大声で叫んだ。慌てて人差し指を立て、黙らせる。
「部長って、お前まだ二年生じゃん」
「でもあと数ヶ月で三年になるし」
「いやまぁそうだけど…」
実は、運動部ではもう三年生は引退済みで、部長は二年生になっているのだ。文化部だって、活動日数は少なくともそろそろ二年生に変わっても良い時期。そこで、募集の前に僕が立候補してやろうという魂胆だ。
「でもさぁ、それって部長だけじゃなくて部員の反感も買うだろ?」
「反感ならとっくに買ってるよ。これ以上なんか無いんだから、大丈夫」
「ほんとかねぇ」
怪訝な目で見つめてくる陸。多分、僕が方針転換をすれば部員は減っていくだろう。もしかすると一人すら残らないかもしれない。だが、僕としては今のままダラダラ続くぐらいなら廃部にでもしてほしいのだ。肩書きだけ欲しいなら、自分達で部活でも作ればいい。真面目にやりたい人が被害を被るなんて、そんなの真っ平御免だ。
「文芸部はどうなの?次期部長とか」
「まぁ、考え始めては居るだろうけど…」
「なら問題ないね」
「何がだ」
呆れたようにため息を吐く陸。同意してくれないというのは、陸にしては中々珍しい。
「あの部長だろ…?話聞いてくれるか?」
「聞かせる」
「お前ってたまにごり押しするよな」
まあ、やるだけやってみれば。そう言って、陸は席を立った。
「え、どこ行くの」
「ちょっと本見てくる」
「ええ~、僕も行く」
「着いてくんなよ~」
仕方がないので、僕は席に座って問題集を広げた。試験も近いし、折角来たのだから勉強ぐらいしていこう。陸が戻るまでの間、僕は無心で筆を走らせた。
「おまたせ」
「あ、おかえり。何か借りたの?」
「いや、見てきただけ。それ、数学?」
「うん、そう」
「俺に教えてくれよう…」
ああ、そういえば陸も苦戦しているんだった。本当は遥と三人で勉強会でもと思っていたが、この機会なので教えることにした。
「この問題が解けなくてさ…」
「ああ、この問題はね…」
それから、僕たちは数学の勉強に没頭していた。時間を見るのも忘れ、ただひたすらに、問題を解いていた。陸がそのことに気がつくまでは。
「…なあ、部長っていつ戻るんだ?」
「うーん、遅くて二時間ぐらいだから」
「もう二時間経ってる!」
「…えっ?」
時計を見ると、確かにもう二時間が経っていた。いや、二時間どころではない。二時間半ほど経っている。僕は陸に片付けを頼み、図書室を飛び出した。階段を駆け下り、部室まで走る。扉の前には、貧乏揺すりをしていかにも苛立っていそうな部長が無造作に置かれた椅子に座っていた。
「部長、すみません!」
「なんで俺が待つんだよ、あほ」
「すみません…」
部長は椅子を部室に戻すと、何も言わず廊下を歩いて行った。少し遅れてそれを追いかける。たどり着いた先は、授業でもほとんど使わない視聴覚室だった。何かしらの検診のとき以外では入ったことがない。
「その辺座って」
「あ、はい」
言われたとおり、適当な椅子に腰をかける。部長は視聴覚準備室へ入っていき、何やら作業をしているようだった。数分待つと、部長は二つのティーカップを持って戻ってきた。
「紅茶飲める?」
「紅茶…?」
「ストレート。飲める?」
「飲めます…」
それじゃ、と、部長は僕の前に紅茶の入ったティーカップを置いた。その真正面に自身のを置き、席に座る。
「あの、なんで紅茶…」
「内緒だよ。俺が勝手にやってるだけだから」
「え?」
「勝手にポット置いて、勝手に紅茶飲んでる。だから内緒」
「バレないんですか?」
部長は整えられた髪をくしゃくしゃと乱すと、かけていた眼鏡を机に置いた。いつもと違う雰囲気に少しドキッとする。なんとも呼べない緊張感が漂った。
「顧問来ないからさ、バレないよ」
「え、部長って兼部してるんですか?」
「うん。映画研究」
「知らなかった…」
部長も肩書き欲しさから部活をやっているんだと思っていた。何かを撮るのが好きなのだろうか。
「俺って、案外真面目じゃないから」
「…?はい」
「…何?」
「あ、なんでも」
「かくすなよ」
「いや、真面目だと思ったことないなって…」
「おい、真面目そうだろどう見ても」
部長は自らを指さし、僕を睨む。どう考えても部長は真面目じゃない。部活にはほとんど来ないし、校内で見かけても挨拶もしない。見た目こそ勉強はしていそうだが、やんちゃであることは話し方からすぐに分かってしまう。
「で、こうやって勝手に色々やってんだけど」
「へえ…」
「写真部の部室も実は使ってんだよ?」
「えっ?」
「ほら、気づかない。案外バレないんだよ」
部長はにやりと笑うと、上品に紅茶を飲んだ。それに続くように、僕も紅茶を啜る。一口飲んだだけで、全身が温まったような気がした。ふんわりと甘くて、少しだけ苦くて、優しい味がした。どこか、部長に似たような雰囲気をもっている紅茶だった。
「美味しい?」
「美味しいです…初めて飲む感じ」
「ははっ、そうだろうね」
「どこのですか?」
「俺の特別ブレンド」
「え?!」
部長はさっきよりも嬉しそうに微笑み、頬を赤らめた。無邪気に笑う部長は、いつもとはまるで雰囲気が違う。部長といえば恐ろしいイメージだったが、自分の中でそれが払拭された。
「で、ほら。話って何?」
「あ…あの、折り入ってお願いが…」
「そんな改まんなよ」
「えっと…」
「なに?」
「僕を、次の部長にしてください…!」
僕は椅子に座ったまま、部長に頭を下げた。カチャン、と金属が当たる音がした。
「いいよ」
「…えっ?」
「丁度探してたんだ、次期部長。それに、一番有力候補だったのは君だし」
「そうなんですか?」
「うん。君なら任せられるかなって思って」
「どうしてですか?僕何もしてないのに」
部長は目を丸くして驚いたような顔をした。想像に反してすんなりと受け入れられたので、正直僕も驚いている。
「え、自覚ない?君先輩にすんごい刃向かってるよ?」
「ああ、それは…ごめんなさい、自覚ありです」
「びっくりした。うん、辞めて欲しいのはそうなんだけど、今回ばかりはそれに頼るよ」
「頼る?どういうことですか?」
「俺からも、折り入ってお願いがあってさ」
部長は突然真剣な顔になると、真っ直ぐと僕を見据えてから深く頭を下げた。
「写真部を、前の状態に戻して欲しいんだ」
「えっ?」
「俺じゃダメだった。本当は、俺の代の内になんとかするつもりだったんだ」
「そうだったんですか」
「裏で叱ったりしてたんだけど、どうも言い方が弱いみたいで」
「部長、以外と言葉丸いですよね」
「うるさい」
なんだ、あんなに考え込むことなんか無かったんだ。僕は紅茶を一口飲み、息を吐いた。
「是非、やらせてください」
「ありがとう、頼むよ」
「はい。ちゃんと写真部にします」
「はは、情けないなあ」
部長は苦笑すると、リュックから大きな一眼レフを取り出した。僕のよりも高そうだ。
「そんなところに突っ込んで大丈夫なんですか?」
「一時的に入れただけだよ、流石に普段は首にかけてる」
「そうですよね。…部長って、本当に写真好きなんですね」
「そりゃあね。芸術にはかなり身を投じてるつもりだよ」
「紅茶もその一つですか」
「まあね」
カメラを抱えた部長は、僕に一枚の写真を手渡して来た。それを受け取り、じっと眺める。見覚えのある景色。オレンジ色に染まる空。焼き付けられた風景には、既視感と違和感が渦を巻いている。
「これ…」
「君がよく行く河川敷だよ」
もう一度写真を見てみる。確かに、場所としては間違いなくあの河川敷だが、なんだかいつもと雰囲気が違う気がする。
「夕日、じゃないですよね。いつ撮ったんですか?」
「お、分かる?やっぱ違うね~。朝だよ、朝」
「朝?朝日ですか?」
「正解!河川敷は朝日も綺麗なんだぜ?」
そういえば、行ったことがなかった。部長の写真はなんだか爽やかで、夕焼けのような物寂しさを感じさせない。こんな景色を、僕は見たことがある気がする。早朝に河川敷へ行ったことなんて一度もないのに、何故だろう。
「美術部のコンテスト結果は見た?」
「え?あ、はい。美術館まで行きましたよ」
「優秀賞、一年生がつかみ取っていたね」
「ああ、そうですね。」
「桜井さん、だっけ。あの子の絵はすごいね」
「そうですよね…どうしたんですか、急に」
「あの子の絵、あれは朝日だよ」
そう言われ、僕は美術館で見た遥の絵を思い出す。喧嘩のこともありかなり記憶は薄いが、微かな違和感を覚えたことは記憶に新しい。再び部長の写真を見る。この爽やかな感じ、生き生きとした感じ。あのとき感じた違和感と同じだ。
「あれを絵で表現するなんて、かなりの芸術家だよ」
「彼女には才能がありますから」
そうだね、と頷く部長。遥が褒められて、なんだか僕まで嬉しくなった。
あれから少しの間、僕は部長と芸術について語り合った。まさかここまで気の合う先輩だとは思っていなかった。
「部長の件については俺が手続きしておくよ」
「ありがとうございます」
「それじゃ、健闘を祈るよ、部長さん」
「はいっ!」
僕は深めに頭を下げ、部長を見送った。そして、部長と立ち替わりで陸が姿を現した。
「え、陸」
「上手くいったようで何よりだよ、部長さん」
陸は少々呆れ気味に笑うと、重そうなリュックを床に置き、数学の教科書とノートを取り出した。しまった、あれは僕のだ。
「ごめん、全部置いてっちゃった」
「ほんとだよ、重かったんだからな」
「ごめんって、ありがとう」
「おう。帰るぞ」
「あれ、今何時?」
「なんと、夜の19時半です」
「嘘?!」
陸を遅くまで残らせてしまった、母親に怒られる、優樹が心配する…。頭の中に沢山の懸念や心配事が浮かぶ。僕はすぐにスマホを取り出し、優樹に今から帰ると連絡をした。
「ごめんな、待たせちゃって」
「別に良いよ。てか、家大丈夫か?」
「うん、今連絡したから大丈夫」
下駄箱で靴を履き替え、真っ暗になった夜道を歩く。こんな明るさだからか、どうやら陸のテンションに火が付いてしまったらしい。さっきから声が異常に大きい。
「ちょっと、静かに…」
「ああ、ごめん。で、優って好きな子居るの?」
「は?」
「俺はね~、他クラスに居るんだよ!あ、内緒だぜ?」
「他クラス?!」
嘘だ、てっきり遥だと思っていた。驚くとともに、どこか安心してしまっている自分がいる。遥には陸がお似合いだと、ずっと思っていた。心のどこかで、陸をうらやましく思っていた。そして、手も足も出ない自分に失望していた。
「…なんだ」
「え、何々?」
「僕、てっきり…遥のこと好きなんだと」
「え?!無い無い!俺一途だもん!」
「そう…そうなんだ」
「え…何、もしかしてお前」
「ち、違う。違うよ」
「何も言ってねえし」
僕をからかうように笑う陸は、今まで見てきた中で一、二を争うほど嬉しそうな顔をしていた。
「優の惚気が聞ける日が来るとはな!」
「うるさいし…別に、好きってわけじゃない」
「いや、それもう好きじゃん!」
「それ言いたいだけだろ」
「告れよ、告れ!」
「なっ、馬鹿!」
「やだぁ~、優ったら顔真っ赤!」
「寒いだけ!!」
「あ、居た~!」
どこからともなく聞こえてきた声は、なんとも愉快で柔らかな声だった。
「もう、遅いよ。こんな時間にほっつき歩いちゃ危ないよ?」
「優樹…わざわざ迎えに来たの?」
「ああ、お兄さん!お久しぶりです!」
「陸君久しぶり。優がお世話になってます」
優樹と陸が楽しそうに話し始めたので、そこに割り込んで会話を止める。話すならまたの機会にしてくれないと、僕の気が持たない。
「今、優の恋バナを…」
「言うなよ!絶対!!」
「ああ、遥ちゃんでしょ?」
「え、知ってるんですか?」
「見てりゃわかるよ、あんなん」
「何でだよ…てか違うし…」
僕が肩を落としたところで、優樹は僕を抱き寄せた。昔からの癖なので致し方無い気もするが、友達の前では辞めて欲しいところだ。
「陸君、遅いから送るよ」
「え、良いんですか?」
「危ないからね。家、あっちだった?」
「そうです、よく分かりますね」
「優から駅付近だって聞いてるからね。ほら、行こう」
「ありがとうございます!」
それから陸が家に帰るまで、他愛もない会話が続いていた。陸は優樹のお気に入りなので、優樹も妙に楽しそうだった。
「ありがとうございました」
「うん、いいよいいよ」
「待たせてごめんね」
「良いっての。そんじゃ、おやすみ」
「おやすみ」
陸が扉を閉め、明るい光が閉じ込められた。暗い夜道、さっきとは似ても似つかない雰囲気の中足を進める。無言だけど、気まずくない。唯一無二の心地よさに包まれる。
ああ、満月が綺麗だ。
明日には見られない満月が。
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