囚われた芸術
「何かあったんだろ?」
「いや、何が。何もないよ」
僕が誤魔化すと、陸はより一層眉をひそめた。本当は分かっている、きっと遥とのことだ。
「隠すなよ。親友だろ?」
「…」
陸は気付いている。きっとこれ以上誤魔化すことは出来ないと感じた。それに、親友だなんて言葉を使われると断り辛い。本当は誰にも悟られたくなかったのだが、ここまで詰め寄られると仕方がない。
僕はぐちゃぐちゃな言葉で、昨日あったことを陸に話した。陸は度々質問をしながら話を聞いてくれた。
話し終えた頃には、僕の頭の中はパズルのピースがはまったかのようにすっきりしていた。
「優って意外と喧嘩っ早いよな。短気なのか?」
「短気ってわけじゃないけど…」
「じゃ、プライドが高いんだな」
「うーん…」
プライドなんか、と思ったが、確かに少しあるかもしれない。人より高いかは分からないが、自分の中で譲れないことというのは確かにある。これがプライドというものなのだろうか。
「とりあえずはお前が立ち直ることだな」
「僕が?」
「そう、優が。じゃないと桜井も許してくれないと思うぜ」
「なんで。僕が悪いのに」
そう問うと、陸はケタケタと乾いた笑いをこぼした。馬鹿にするような笑い方をする陸がいつにも増して憎らしい。
「お前さー、根本的に何が悪いのか分かってないんだな」
「はあ?何も知らない陸には言われたくないよ」
「うーん。やっぱ喧嘩っ早いな」
「あ…ごめん」
陸に言われ、ようやく感情が口調と表情に出ていることに気がついた。こんなだから喧嘩に発展してしまったのだろう。そういえば、数年前のあの日もそうだった気がする。
「良くないよね…。でも直せなくて」
「ま、裏表がないって点では信頼の置ける良いやつだけどな」
「僕はお前みたいになりたいよ…穏やかで、明るくて。誰からも慕われる人柄だよな。文才もあって、コンクールも入賞したこと何回もあるんだろ?」
陸は大きくため息をつくと、何も言わずスマホをいじり始めた。そして、僕に一枚の写真を突き出した。
それを見た瞬間、喉が詰まったかのように声が出なくなった。そこには、一枚の絵があった。僕の身長より少し小さいぐらいのキャンバス。感情のままにベタベタと塗られた絵の具。その一筆一筆によって形成された、桜並木の絵。端に描かれているのは河川敷の芝生だ。
キャンバスが飾られたすぐ下には、優秀賞と書かれた紙が貼ってある。
紛れもない、僕が小学生の頃に描いた作品だった。
「な、んで…お前が、その写真」
「桜井にもらった」
自慢げに笑う陸。僕は恥ずかしくて顔から火が出そうだった。遥がまだそんな写真を持っていたなんて。しかも、その写真が陸にまで渡っていたなんて。
「桜井はさ、お前に絵を描いて欲しいだけなんだよ。分かってるだろ?」
「僕は、絵を描きたくないんだよ」
「嘘だろ」
「本当だよ。絵なんて描きたくない…。」
陸の真剣さが怖いのか、緊張なのか、さっきからずっと手が震えている。口元も震えていて、うまく言葉が出ない。いつか、母に怒られたときの感覚に似ていた。
「なんでだよ」
「絵は…絵は、遥みたいに才能があるやつが描くものだよ。僕には価値のある絵を描けなかった。」
「絵に価値なんかねぇだろ」
「あるよ…人を感動させる絵こそ、価値があるんだ。」
「芸術に価値なんかねぇよ!」
陸が少し声を張った。びっくりして狼狽える。
「芸術に優劣なんかない。故に価値だなんてものも存在しない。そんなものに囚われて、自分の芸術を失うな!」
初めてみた陸の目つき。陸が選ぶ語彙は、芸術そのものだった。これが文芸というものだと見せつけるような言葉。僕は畏怖に近いものを感じた。
_____お前は絵なんて描かなくて良い!
コンクールで優秀賞をとったあの日、母親に言われた言葉。
『一位を取れない絵に価値なんてない』
『価値のない絵を描く理由なんてない』
『無駄なものばかり生産するな』
『時間の無駄だ』
母が言い放った言葉は刃になり、僕の胸を何度も突き刺した。いつしか僕の絵には価値が無くなり、絵の具の全てが灰色になった。絵を描く理由もなくなり、絵を描くことに恐怖さえ覚えるようになった。
それから、僕は写真を撮り始めたのだ。写真なら、コンクールに出してもほとんどの優劣はつかなかった。三秒もあれば撮れてしまうのだから、絵なんかよりも断然生産性が高いと思った。それならと、母も認めてくれた。
「優」
顔を上げると、陸が優しい目つきで僕を見ていた。
「何に囚われてんだ。お前が思うより、芸術って自由だぜ。表現する理由なんか、生きてるってだけで十分なんだよ。」
「でも…僕」
「本当に写真が撮りたいのか?お前、絵が描きたいんじゃないのか?」
本当は、僕だって絵が描きたい。遥のように絵が描きたい。ずっとそう思っていた。だけど、相応の絵が描けない僕にはそんな資格はないと思った。だからそんな気持ちは捨てて、同じように美を手元に残せる写真撮影に没頭した。そうして蓄積された感情が爆発し、遥にぶつけてしまったのが、昨日のことだ。
「陸…僕、絵描きたいよ……」
表に出してはいけないと、ずっと封印し続けていた言葉。痛いわけでも、怖いわけでもないのに、目から涙が溢れてくる。爆発した感情が、目頭を温める。
「おい泣くなよ…ほらティッシュ」
「ありがとう…ごめん……」
「なあ、いじめたみたいになるからマジ泣き止んで?母さんに怒られる」
さっきとは全く違った陸の雰囲気に、今度は笑みがこぼれた。なんだかすっと心が軽くなったような気がして、僕は机に放ってあったペンを右手に握った。
それからは、時間の経過が速かった。帰りの足並みは軽く、まるで重力が小さくなったかのような感覚だった。
しかし、家に帰ってからはやはり体が重かった。再び絵を描くには、母の許諾が必要だ。それでも、否定される前提でのお願いは辛かった。僕には到底出来ないと感じた。
「で、何の用?」
だから、部屋に兄を呼んだ。
まずは誰かに肯定して欲しかった。きっと優樹なら受け止めてくれると思ったのだ。
「あのさ、優樹…」
本心を言うには勇気が必要だった。だけど、陸が後押しをしてくれた。
僕は震える声を絞り出し、優樹に訴える。
「僕、また絵が描きたい…」
優樹は目を見開くと、小さく微笑んでベッドに腰をかけた。おいで、と隣をぽんぽんと叩くので、少し離れた位置に僕も腰をかける。
「わざわざ言うことなんかないよ。描きたいなら描いたら良いさ」
「でも、母さんは反対すると思う」
「表現をすることに許可なんていらないよ。優なら大丈夫、きっと上手くいくよ」
「…ありがとう、優樹」
優樹は僕の頭をポンポンと撫で、枕元にほったらかしてあったデジカメを手に取った。
「写真は?」
「撮るよ。写真も好きだから」
「そっか。部活は?」
「兼部しようかなって思ってる」
僕にとっては写真も一つの表現方法だ。絵と写真、お互いに良いところがある。撮りたいときは撮る、描きたいときは描く。それで良いんだと、陸が今日教えてくれた。
「まぁ、やりたいようにやってみな」
「うん、ありがとう」
「頑張れよ」
「うん!」
笑顔で答えると、優樹は嬉しそうに笑った。
優樹は度々、僕に心配の声をかけてくれていた。確か、優樹も数年前までは芸術の場に身を置いていたのだ。優樹はずっと、ピアノを弾いていた。今は勉強と私生活が大変だからという理由で身を引いている。思うように表現が出来ない、表現をすることが許されない辛さを、きっと優樹は分かってくれていたのだ。
「おやすみ、優」
「うん、おやすみ」
優樹は僕に優しい眼差しを向けると、胸元で少し手を振って部屋から出ていった。僕はすぐに電気を消して、ベッドに寝転がった。
今日の空気は澄んでいる。
絵なら、こんな空気さえも表現出来るだろうか。
絵なら、僕が感じた雰囲気さえも表現出来るだろうか。
これからに向けての不安と期待を胸に、僕は瞼を閉じた。
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