違和感

「優、今日一緒に帰ろうぜ」


 帰宅の準備中、誘いに来たのは陸だった。その後ろには誰かが隠れている。考えずとも遥だと分かったが、僕はあえて触れないでおいた。


「部活は?」

「今日休み〜」

「私もっ」


 ひょこっと顔を出す遥。どうやら隠れているという意識は無かったらしい。無邪気に笑う遥に、思わず頬が緩む。


「分かった。部室に顔だけ出してくから、下駄箱で待ってて」

「お前部活サボりすぎな」

「部室に居たくないんだよ」

「馬鹿だよなあ、お前も。あんな喧嘩…」


 僕は慌てて陸に消しゴムを投げた。消しゴムは陸の額にヒットし、吸い寄せられるように床に落下した。


「何すんだよ!」

「すまん!手が滑った!」

「ぜってー嘘だろ?!」


 まあいいや、と消しゴムを拾うと、陸は手をヒラヒラさせながら席へ戻った。

 HRを終えると、陸と遥はそそくさと教室を出て行った。僕は急いで部室まで向かい、一瞬顔を出して踵を返した。下駄箱までの間、一瞬だけ目に映った部員達の姿が何度も脳裏に見え隠れしていた。僕が憧れた写真部は、いつからカードゲーム部になったのだろう。いつから漫画研究部になったのだろう。

 悶々としながら下駄箱で靴を履き替えていると、中庭で遊んでいたらしい遥と陸が走ってきた。


「お帰り〜」

「ただいま。行こうか」

「行こー!」


 なにやらテンションの高い遥を陸と二人で挟むようにして横に並び、三人で校門をくぐった。遥と陸はいつもの下校通路とは真反対の方向へ進んで行った。慌てて僕も着いて行く。


「どこか行くの?」

「駅前のカフェ。桜井が行きたいんだって。」

「前から気になってたの!優、用事ある?」


 これといった用事はないが、本音としてはあまり行きたくなかった。しかし断る理由も十分に無かったから、僕は渋々2人に着いて行った。以前3人で帰って以来、遥と陸は見違えるように仲良くなった。部活が無い日は必ずと言って良いほど2人で下校している。そんな2人を横目に、僕は居心地の悪い部室へ足を運ぶのだ。別に2人が僕に対して嫌がらせをしているとか、そんなことは全くない。僕だって2人が仲良くしているのを見るとなんだか微笑ましく感じる。恨めしいことなんて、何も無い。それなのに、こういうのにはどうも気が乗らない。一緒に行きたいと思えない。心に重しが乗ったように、全ての動作が上手くいかなくなる。


「優、着いたぞ?」

「え?」


 思わずぼうっとしていた僕の意識を引き寄せるように、陸は手を振りながら僕の名前を呼んだ。いつの間にか目の前に現れた喫茶店は、新しく出来たという割には古風な雰囲気が漂っている。


「レトロチックな建物だね」

「新しくも古くも見えるデザインだな」


 店に入ってからも、僕は陸と内装のここが良いだの、どういった工夫があるだの、そんな話ばかりしていた。一方の遥は、机に設置されていた砂糖や店員さんが持ってきてくれた水の入ったコップを夢中になってスケッチしている。これが目的か、と一人で納得した。


「お待たせいたしました」


 店員さんが運んできたのは、陸が注文したメロンソーダだった。遥はすぐに鉛筆を握っていた手を止め、スマホを取り出した。


「陸くん、写真撮らせて!」

「ああ、良いよ」


 遥は様々な角度から何枚か写真を撮った。ピントが合わないのか、何度も画面をタップする彼女はやけに真剣で、僕はそんな姿を見ていられなかった。心の中に、モヤモヤとした何かが募っていく。それは、遥の撮影が終わってからも無くならなかった。

 陸がメロンソーダを飲み始めた頃、店員さんが僕と遥の分の飲み物を持ってきた。僕は自分が頼んだアイスココアを一枚写真に撮り、ココアの上に乗せられたバニラアイスを一口食べた。ひんやりとしていて美味しかったが、冬に食べるべきではなかったと三口目にして後悔した。


「はぁ、美味しかった」

「さっむ」


 案の定、陸も震えていた。僕たちは会計を済ませると、陸の提案で河川敷へと向かった。コンテストに応募する作品に夕日の描写があり、実際に見て文字に起こしたいらしい。僕も夕日は見たかったので、素直に二人の後に着いた。


「遥、絵は描けたの?」


 最近部活に励む姿を見かけないので、ふと聞いてみた。遥は少し複雑そうな顔をしながら口を開いた。


「まだ、描いてるよ」

「応募はいつまで?」

「…明日」


 遥が目を泳がせる。またなにか揉めたのだろうか。遥の不審な様子に陸も気がついたのか、どうした、と声をかけた。


「うーんと…実は、部長が辞めちゃってね、部活…」

「えっ?コンクールに出るんじゃなかったの?」

「うん…だけど、先輩達から散々に言われたみたいで。」


 遥は悲しそうにうつむいた。部長が辞めてしまったということは、コンクールに応募するのは遥だけになるのだろうか。


「てか、部長辞めたんじゃ今は部長がいないってことか?」

「ううん、代わりの部長がもう決まってるよ」

「へえ、三年生?」


 遥はまた目を泳がせた。数秒の間をあけて、遥は白い息と共に声を絞り出した。


「…私」

「え?!」


 陸があまりにでかい声で反応したため、遥はあわてて人差し指を口元にあてた。それをみて陸が口をつぐむと、遥は途切れそうな声で話を続けた。


「部長なんて、やるつもりなかった。まだ二年生だし…それこそ、私が部長なんてやったら先輩に嫌みを言われるに違いないって思ってた」

「…言われた?」


 陸が恐る恐る尋ねると、遥は小さく首を振った。意外な答えに、陸も僕も動作が止まった。陸が少し首を傾げると、遥はさっきよりも僅かに大きな声で話を進めた。


「先輩はね、元部長が気に入らなかったんだって」

「…部長を排除したのか」

「そう、だね。部長が私に替わってから、みんな部活に来るようになったし」


 背筋が凍った。僕が話した限り、明るくて親切な人だったはずだ。それなのに、どうしてそんな反感をかうようなことになってしまったのだろうか。聞きたいことは多々あったが、僕の口からは聞けなかった。

 そんな話をしている内に、河川敷に着いてしまった。同時に、少し暗い雰囲気になってしまったことに責任を感じたのか、遥は自ら話題を転換した。


「ここの夕日、本当に綺麗だよね」

「この時期だと早い時間に見られるんだよなあ」


 陸は少し違和感のあった話題転換をすんなりと受け入れた。陸の言う通り、冬は昼の時間が短いから早い時間に夕日を見ることが出来る。現に、まだ17時であるにも関わらず、既に日は傾いている。もう三十分もしない内に夕焼けが見られるだろう。陸は河川敷の芝生にリュックを放り投げると、ノートとボールペンを取り出し、何やらメモを取り始めた。遥が興味津々にそれをのぞき込んでいる。


「何を書いてるの?」

「景色と感情を文字に起こして、それを元に情景描写のアイデアとキーワードを…」

「わかんないわかんない」

「…もしかして国語苦手?」


 黙り込む遥。それを見て、陸は吹き出した。確かに陸の説明は文章を書かない人には分かりづらいものであったが、ある程度国語の知識がある僕には理解が出来た。といっても、普段の授業を受けているだけだが。


「テスト全然ダメなんだよねぇ」

「桜井理系だもんな」


 陸はそう言って微笑むと、芝生に座ったまま空を見上げた。僕たちのちょうど上空は、もう紺色に染まってきていた。川と空との境目は段々と鮮やかさを増し、家々の屋根をオレンジ色に染め始めた。


「来たな」

「うわぁ、綺麗!」


 陸は周りをぐるりと見渡すと、すぐにペンを走らせた。それから夕日が沈むまでの間、陸の手は止まることがなかった。遥はと言えば、その景色の美しさに圧巻された様子で黙りこくっていた。辺り一面が暗くなったところで陸は手を止め、ノートをパタリと閉じた。帰り支度をすぐに済ませ、時間が遅くならない内に、僕らは帰路についた。

 帰り道、遥はふいに口を開いた。


「今日の優、私好きだな」

「…は?」


 訳が分からず硬直する。あまりにどストレートな感情表現に、さすがの陸も立ち止まった。


「こ、告白ぅ?!」

「え?ち、ちがうちがう!!」


 遥は目を丸くして、慌てて否定した。その言葉に思わず安堵する。陸はなぜか、少しがっかりとした様子だった。


「やっぱ、なんでもない。」

「え、なんで」

「なんでもない!いくよ!」


 若干やけくそのような感じで、遥は先頭を歩いた。僕と陸も横に並ぶ。なんとなく掘り下げない方が良いような雰囲気だったので、その話はそこで打ち切った。

 遥を家まで送り届けると、陸は習い事があるからと途中で別れてしまった。僕は鞄のポケットに入れていたデジカメを取り出し、電源を入れて空を仰いだ。さっきの色鮮やかさとは対照的な真っ黒な空の中に、無数の星が散らばっている。


 寒空の下。僕は上空にレンズを向け、一枚だけ写真を撮った。

 









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