対立
「こんな時間まで、何をしていたの」
淡々と言う母に、背筋が凍る。何を怒っているのかは見当もつかないが、かなり腹を立てているというのは確かだ。僕が答えないでいると、母は一枚の紙を僕の眼前に突き出した。
「これは何?」
「えっ…」
それは、美術部の見学に行った際に描いたつむぎの絵だった。さらに、母はもう一枚の紙をエプロンのポケットから取り出す。
「これは?」
入部希望書だった。勿論入部する気なんてさらさら無いが、部長に渡されたので受け取っておいたのだ。机の引き出しに入れておいたのが見つかったらしい。それだけならまだ良い。しかし、その2枚の紙がとんでもない誤解を招いているのは確かだ。僕はなんとか誤解を解こうと、言葉を絞り出した。
「それはっ…美術部に見学に行ったときに部長に渡されて」
「美術部に見学?あんた、やっぱり美術部に入る気なのね!こんな絵まで描いて…」
しまった、言葉を選び間違えた。僕は慌てて訂正する。
「違うよ、今部員が足りないらしくてさ…。友達に頼まれて体験にだけ行ったんだよ。入部する気なんてないし。」
「そうなの?本当に?」
目の色が明らかに変わった気がした。僕は何度も首を縦に振り、母を説得した。
「それなら良いけど。とにかく、絵なんて描く暇があるなら…」
「分かった!分かったから!」
「まったく…早く入りなさい」
母はふいっと後ろを振り返り、台所へ歩いていった。僕は母が置いて行った入部希望書とつむぎの絵をくしゃくしゃに丸めて部屋まで持って行き、ゴミ箱に捨てた。引き出しになんて入れておくんじゃなかったと、今更後悔してベッドに突っ伏した。目頭が熱い。
「優ー?!早く来なさいよ!ご飯よ!」
僕は重い上体を起こし、眼鏡を外して目元を擦った。制服の袖にシミが出来る。僕は一つため息をつき、鏡で目の赤みが引いたのを確認してからリビングへ戻った。
リビングには兄らしき人物と、母が食事の準備を済ませて座っていた。
「
「おう、おかえり」
「どう?髪」
「うん…良いんじゃない、似合ってるよ」
僕がそう言うと、優樹は照れ笑いをしながら僕の髪を触った。
「お前も染めたら?」
「ダメだよ、校則で禁止されてるんだから」
「でもカメラ持ってってんじゃん?」
「それは…バレてないからいいの」
僕は優樹の手を払い、食卓の上に小皿を並べた。ケチャップを取りに行っていた母が席に着くと、3人で挨拶をして食事を始めた。今日の夕飯はハンバーグだった。大好きなハンバーグだが、僕にはどこか色褪せたように見えた。
「優、おかわりは?」
母が尋ねるが、僕は首を横に振った。なんだか美味しく感じなくて、余った分は優樹の皿に入れておいた。
「体調悪い?」
「別に、ただお腹が空いてないだけ」
「ふーん。」
優樹は僕が残したハンバーグを口に頬張り、目を細めた。僕は自分の食器を片付け、すぐに部屋にこもった。学校のカバンからカメラを取り出し、今日撮った写真を眺める。この時間が一番落ち着くのだ。
河川敷で撮った夕日の写真。オレンジ色の太陽が、色鮮やかに輝いている。次へ次へと写真を見ていくと、途中で部屋のドアがノックされた。
「なにー?」
「優?ちょっと入るよ」
そう言って入ってきたのは、優樹だった。優樹は静かにドアを閉めると、僕のベッドに腰をかけた。
「優、なんかあった?」
「え?…なんにもないよ」
どうやらさっきのハンバーグのことを気にしているらしい。僕はカメラを置き、優樹の隣に腰をかけた。
「お前がやりたいようにやれば良いんだよ」
「うん、大丈夫だよ。」
そう言うと、優樹は不安げな顔をして僕の頭を撫でた。この年になって頭を撫でられると、なんだか気恥ずかしい。
「学校はどう?」
「まあ…ぼちぼちだよ。僕、もう寝るから」
「良かった。暖かくして寝るんだよ」
「うん、おやすみなさい」
優樹はにこっと笑うと、僕の部屋から出て行った。途端に部屋の空気は一変し、どこか冷たいような雰囲気が漂った。少し疲れたのだろう。僕は次の日の準備をして、部屋の電気を消した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます