写真部

 今朝は寒さに震えながら目を覚ました。知らぬ間に季節は完全に移行したらしく、ギリギリまで耐えていた夏服の生徒もほとんど居なくなった。陸について言えば、腹と腰にカイロを貼った上、貼らないタイプのカイロをいつも持ち歩いている。


「さっむいなぁぁもう…冬ってほんと嫌」


 家を出て10分のところで限界がきたのか、陸は冬に対しての愚痴を呟き始めた。どうやら陸はかなりの寒がりらしく、暖房のついた教室でも一人だけいつも震えている。

 学校に着くと、陸はすぐに電気ストーブの前まで走っていった。僕が荷物を準備し終えると、遥が僕の机までやってきた。


「優、おはよう」

「ああ、おはよう」

「あのね、優」


 遥は少しもじもじしながらこっちを見る。僕は冷たくなった指先をカイロで包みながら話を聞く姿勢を作った。


「私…今度は、私が写真部を見学したいの」

「えっ?」

「見てみたいの、優が活動してるところ」

「別に良いけど…前言ったよね、写真部は雰囲気が悪いって。楽しくないと思うよ?」


 遥は僕の机に手を置き、少し体重をかけた。そのままジトっと見つめてくる。


「…まあ、遥が良いなら良いけど」

「やった!」


 何がそんなに嬉しいのか僕には分からない。部室も汚いし、部員同士の仲も悪いし。もちろん写真を撮りに行くときは楽しいけれど、写真が好きじゃない人にとっては暇な時間になると思う。それでも良いと言うのなら別に構わないが。

 僕は放課後、遥を連れて久しぶりに部室に訪れた。2回ノックをして扉を開ける。


「こんちわ〜…」


 勿論返事なんて無い。それどころか、数人の部員から舌打ちまでされる仕打ちだ。僕は部室の棚からファイルを取り出し、荷物だけ置いてそそくさと部室を出た。


「はぁ…」

「本当に仲悪いんだね」

「ほんと、気疲れしちゃうよ」


 僕は遥に笑いかけながら足を進めた。今日は河川敷で写真を撮るつもりなので、少し足速に下駄箱まで歩いた。


「どこいくの?」

「河川敷だよ。夕日が綺麗なんだ」

「そうなんだ…」


 僕が校門を抜けると、遥もルンルンと追いかけてきた。河川敷までは徒歩でだいたい15分ほど。その間、僕は写真を撮りながら遥と色々な話をした。


「優はさ…絵はもう描かないの?」

「僕は写真が好きなんだ、絵は描かない」

「でも…上手だったよ?」

「ありがとう。けど、もう描かないよ」


 遥は少し肩を落とし、そっか、と呟いた。何故そんなに描いて欲しいのかが分からない。僕の絵にそんな価値なんてない。遥の描く絵の方が、よっぽど価値があるというのに。

 そんなことを考えながら、少しの沈黙の間歩き続けた。数分もすれば河川敷に到着し、その頃には遥の表情も元に戻っていた。


「ここで写真を撮るの?」

「うん。今日は夕日を撮りたいんだ」

「そっか。じゃあまだ時間あるね」

「そうだね。少し休憩しよう」


 僕はカバンからレジャーシートを取り出し、芝生の上に広げた。その上に荷物を置き、遥と共に座り込んだ。夕日が見えるのはこの時期だと大体16時半頃になるので、それまでまだ15分も時間がある。上空を見上げると、昼間よりも彩度の落ちた暗い空が広がっていた。そのままずっと視線を下ろしていくと、広く、長いストロークでグラデーションが描かれているのが分かる。遠くに見える電柱の周りは、微かにオレンジがかっていた。試しにカメラを構えてみる。レンズに映ったのはオレンジがかった空だけで、紺色にのまれていく上空は画面に入りきらなかった。僕は諦めてカメラを下ろし、カバンにしまった。


「ねえ、なにそれ?」


 遥が指さしたのは、部室から持ってきたファイルだった。今まで撮ってきた写真の中で、気に入ったものを挟んでいるファイル。普段は持って帰っているが、今度あるコンテストに向けて部長が応募作品を選考するというので部室に置いておいたのだ。


「見る?」

「みる!」


 ファイルを遥に渡すと、遥は目をキラキラさせながら表紙をめくった。


「うわあ、綺麗…これ、いつ撮ったの?」

「夏休みに撮った写真だね」

「この写真は?どこで撮ったの?」


 次から次へと飛んでくる遥からの質問に、僕は日が傾くまで答えた。正直さして考えたことの無かった質問もあったが、それはなんとなく誤魔化しておいた。

 そんなことをしていればあっという間に日は暮れ始め、家々の屋根がオレンジ色に染まり始めた。カメラに収まりきらないほどの大きなストロークで描かれるグラデーションと、サッと筆でなぞったかのような鋭い雲。河川は、まるで朱色の絵の具を混ぜたかのように彩られた。


「綺麗…ほんとに綺麗だね」

「だろ。僕はこの景色を写真に収めたいんだ」


 僕はカメラを構え、色々な角度から空を撮影した。小さな画面に全ての要素を詰め込むことは出来ない。この美しさを、カメラに100%収めることが出来ない。それがなんだかむずがゆくて、僕は何度もシャッターをきった。

 僕の待ち侘びた景色は10分もすれば明るさを失い、夜の帳が下りてしまった。


「もう暗くなっちゃったね…」

「もう少し見たかったな。」

「私も。まだ見てたかった」


 レジャーシートを片付けながら、お互い余韻に浸る。片付けが終わり帰路に着くと、後ろから聞き覚えのある声に呼びかけられた。振り返ると、走ってきたのか、息をきらした陸が立っていた。


「陸?!」

「お前…忘れもの……!」


 陸が手に持っていたのは、僕がいつも予備で持ち歩いているデジカメだった。


「えっ、なんで…?」

「机に置きっぱだった!先生にバレたらボコボコだぞ?!」


 ボコボコとまではいかずとも、バレれば相当怒られるだろう。僕は学校を出る直前までを思い起こしてみる。そういえば、探し物をするのに机に置いたような気がしなくもない。


「良かったなー、俺が気づいて」


 陸が物欲しげにこっちを見てくる。僕はデジカメをカバンにしまい、陸を一瞥した。


「なんだよ…」

「素直じゃないなあ、言うことは?」

「…ありがとう」

「どーいたしましてー」


 ニヤつきながらそう言うと、陸は手をヒラヒラと振って僕たちより先に帰ろうとした。それを止めたのは、遥だった。


「陸くんっ」

「んー?」

「優と家近いんだよね?一緒に帰ろうよ」


 遥が誘うと、陸は少し気まずそうな顔をした。


「いや、邪魔しちゃ悪いだろ」

「は?」

「だって…お前ら、コレだろ?」


 胸の前に手でハートを作る陸。僕は思わずポケットに入っていたカイロを陸に投げつけた。


「バカ!んなわけないだろ!」

「え、そうなの?!」


 陸はキャッチしたカイロを僕に投げ返しながら、遥と僕の顔を何度も見た。まさかこんな勘違いが生まれているとは、夢にも思わなかった。流石の遥も動揺しているらしく、目がパチパチと動いている。


「マジか…てっきりカップルかと」

「ち、ちがうよ…」


 遥が苦笑いしながら訂正する。付き合ってはいないと知った陸は、すぐに僕と遥との間に割って入ってきた。

 陸が入ってからは、会話がかなり賑やかだった。僕たちは遥を家まで送り届けた後、2人でようやく帰路に着いた。


「陸、部活は最近どうなんだよ」

「あ〜、来月コンクールがあってさ」

「写真部も美術部もそうだよ。この時期はどこも忙しいんだな」


 一見運動部に入っていそうな陸だが、実は文化系らしく、文芸部に所属している。最近は忙しいのか、朝から部室へ行って執筆をしている。


「そっか、桜井は美術部か」

「うん。遥の絵も応募されるんだって」

「へー、俺桜井の絵見たことないなぁ」


 そんな他愛もない話をしながら、僕たちは暗くなった帰り道を共に歩いた。


 家に着いて扉を開けると、かなりお怒りになった様子の母が玄関で待ち構えていた。

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