美術部

 つむぎのことがあってから、僕たちは前のように、なんの隔てもなく接することが出来るようになった。最近では休日にお茶をしにいくなど、思っていた以上に親密な関係が築かれている。

 今日は、放課後に遥の所属する美術部にお邪魔することになっている。写真部は部員同士の仲が悪いので、かなり居心地が悪い。一方の美術部は、部員同士で協力し合って作品を完成させるのだとか。少し羨ましい。


「おい荒川!」

「はっ、はいっ?!」

「問い3を答えろと言っているんだ」


 マズい、全く解いていなかった。ぼーっとしすぎた。僕はあたふたしながら解こうとするが、頭が混乱して解法も分からない。先生の苛立ちがひしひしと伝わってきて、変な汗が額を伝った。


「126だよ…」


 隣からこそっと聞こえてきた回答。僕は何も考えずに同じ数字を口にした。


「ひゃ、126です」

「全然違う!授業に集中しろ!!」

「え、あ、すみません…以後気をつけます」


 僕は軽く頭を下げ、席に座った。すぐに隣を睨みつける。陸が口元を押さえてクスクスと笑っていた。


 それから僕は集中して授業を受け、なんとか1時間を乗り切った。数学は6限目だったので、今日はもう授業はない。チャイムが鳴り、号令を済ませると、僕は陸のほっぺを思いきりつねった。


「いだだだだ!!ごめっ!ごめんって!!」

「お前この野郎ふざけるなよおいー!」

「ちがっ、わざとじゃないんだってば!!」


 陸が大声で叫ぶので、僕は頬から手を離した。周りで女子達がクスクスと笑っている。その中には遥も含まれていて、一気に顔が熱くなる。僕は陸の腕を掴み、廊下まで連れ出した。


「ほんと!わざとじゃねぇんだってぇ」

「嘘つけ!」

「マジなんだってー!」


 陸は顔の前で両手を合わせ、悪かったって、と謝った。僕は陸の頭を軽く叩き、少し屈んで目線を陸に合わせた。


「今度勉強会するぞ」

「えぇ…」

「さっきの問題、答えは2だ。どうしたら126だなんて数字が出てくるんだよ」


 実は、さっきの問題はかなり基礎的な問題で、落ち着いて解けば30秒も経たないうちに解けてしまうものだった。僕は陸と勉強会を開く約束を取り付け、教室まで戻った。


「優、私もう行っちゃうよ?」

「あ、ごめん!待って!」


 遥に急かされ、僕は急いで荷物を取りに行った。

 美術室に着くと、遥は床に荷物を置いて絵の具の準備を始めた。美術室には5人ほどの部員しかおらず、部活動紹介で見た部員人数とは大きく差があるように感じた。


「優くんね?」

「えっ?」

「遥ちゃんから話は聞いてるよ。体験入部に来てくれたんでしょ?」

「え…体験入部?」


 突然話しかけてきたショートカットの女子。スリッパの色からして3年生だ。どうやら何か勘違いをしているらしい。


「僕は見学に来ただけで…」

「ん?体験入部って聞いたけど…」

「あ、部長!」


 僕たちの間に割って入ってきた遥は、僕の足を思いきり踏んづけた。話を合わせろということだろうか。仕方がないので、僕も遥に合わせて話すことにした。


「体験入部って何するか分からなくて。誘ったときに見学って言っちゃったんです!」

「そういうことね」


 僕は隣でこくこくと頷く。部長らしい先輩はにこっと笑うと、僕に紙と鉛筆を渡してきた。


「好きなものを描いて頂戴。デッサンでも、イラストでも。なんでも良いわ」

「あ…はい」


 僕が笑顔を見せると、部長は満足げに席に戻っていった。


「優ごめん!部長最近ピリピリしてて…体験入部ってことにしといて!」

「いいけど…僕、絵は描かないよ?」


 そう言うと、遥は少しシュンとした。

 僕は、絵は描かない。絵なんて、才能がなければ描いても意味がない。価値もない。僕には、意味のある、価値のある絵を描く才能なんて備わっていない。


「でも…優、描けるでしょ?」

「描けないよ…。」

「そっ…か。それじゃ、つむぎでも描いててよ。適当で良いからさ」

「分かった」


 遥がスマホを渡してきたので、僕はそれを受け取る。画面を見ると、とても可愛らしい表情をしたつむぎの写真が写っていた。これでも描いとけという意味だろう。部長さんから頂いた紙に、鉛筆で線を引いていく。絵なんて何年も描いていなかったから、少し懐かしい気持ちになった。その間、遥は油絵具を使った絵を真剣に描き続けていた。

 僕がつむぎを描き終わった頃、ちょうど部長が様子を見にきた。部長は僕の絵を二度見し、目を見開いた。


「えっ、上手!!経験者っ?!」

「いや…そんな……」

「是非入部してほしい!練習すればコンクールにだって出せるよ!!」


 勿論、入部する気なんてさらさら無い。しかし、ここでキッパリと断っては部長の機嫌を損ねてしまいかねない。僕は考えた末、もう少し考えさせてほしい、と部長に伝えておいた。部長は少し肩を落としたように見えたが、何も言わずに承諾してくれた。


「優は言葉がうまいね」


 遥がニヤニヤしながら僕の方を見る。どうやら集中力が切れてしまったらしい。筆を置き、席から立ち上がって僕の絵を見にきた。


「上手…上手じゃん、優」

「ありがとう。けど、遥には劣るよ」

「そんなことない!優だって上手だもん」


 遥は拗ねたように口を尖らせ、机に指をくるくるさせた。


「上手なのに。…入部、する?」

「いや…しない、かな……」

「そっか…。分かった、写真がんばってね」

「ありがとう」


 遥は目を細めて笑うと、大きな声で部長を呼んだ。作品を見てほしいというお願いをしたらしい。部長はつかつかと歩いてくると、遥の描いていた作品をまじまじと見た。僕からはキャンバスの裏側しか見えないので、どんな絵を描いているのかが全く分からない。


「遥ちゃんの良さが詰まっている作品ね」

「ありがとうございます!」

「うーん…なんかこの辺適当じゃない?」

「そう…ですか……?」

「こっちも。細かいところが全然描けていない。ダメね、完成とは言えない。」


 なんだか随分とズタボロに言われている。仲が良いと聞いていたが、そんな雰囲気は全く感じなかった。

 遥はそれからまた1時間ほど絵を描き、18時頃にようやく美術室を出た。外は既に真っ暗で、肌寒い。季節が移り変わっていることが容易に伺えた。


「優、今日は来てくれてありがとう」

「うん。楽しかったよ」

「そうかな…ごめんね、気遣わせちゃったよね」


 遥は俯いて肩を落とした。どうやら相当に疲れているらしい。話を聞いてやりたいと思い、僕は帰り道を強引に迂回した。


「なんかあったの?美術部」

「うん…実は、来週コンクールがあるの」

「コンクール?」


 遥は両手の指をくるくると回しながら話し始めた。


「今度のコンクールに、誰の作品を応募するかですこし揉めたの。応募出来るのは3人までで、その内の一枠は部長って決まってて。それで…みんなで話し合ったんだけど決まらなくて」

「それで…?」

「まだ、決まってないんだけど…その中で、私の絵を出すかって話にもなったの」

「すごいじゃんか」


 遥は大きく首を振った。寒さで悴む指を手のひらに包みながら、拙い言葉を繋げる。


「3年生が出せないのに2年生が出すなんてって、またギスギスしちゃって」

「えぇ…僕は良いと思うけどな」

「今のところは、部長と私の二人だけが出す感じになっちゃってるの…。みんな部活にも来なくなっちゃって…。」


 辛そうに顔を歪める遥。

 コンクールは毎年あるはずなのに、なぜ今回だけがそんなことになったのか。気になる部分は沢山あったが、遥の家に到着してしまったので今日はそこまでにした。


「またね、優」

「また明日」


 短い挨拶を返し、僕は家に向かって身を運んだ。


 就寝前、今日も僕は撮影した写真を見返した。今日の写真に遥は写っていない。

 何故かは分からないが、全ての写真がどこか色褪せて見えた。

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