家の姉は、だらしない

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家の姉は、だらしない

 部屋に入った瞬間。

 少年は、思わず口を押さえてしまった。

 優しい丸顔は母親似の、かわいらしく幼い印象のある少年だ。

 名前を、中山達也なかやまたつやと言った。

 床に積み上げられた雑誌や漫画、お菓子や缶ビールの空き缶が散らばり、部屋の隅には洗濯物が山積みになっている。

 まるでゴミ屋敷だ。

 いや、屋敷にしないで欲しい。

 異様なのは、この部屋の中だけなのだ。

 どうやらベッドで眠っていたらしい者が寝返りをうった。

 達也は顔をしかめながら、ベッドで寝ている存在を見た。

 下半身はショーツ一枚、上半身はキャミソール一枚の女性。

 キャミソールには突起物が透けて見えており、彼女の豊満な胸の形もはっきりと分かる。

 こんな時、男子高校生ならどう反応するのだろうか。

 達也とて男だし、ちょっとドキドキしてしまった為、顔が赤くはなってしまったが、それ以上に呆れの方が勝っているようだ。

 壁を見ると、一枚の写真が飾られている。

 今よりも幼い達也と少女が写っており、二人共笑顔である。

 達也・小学生。奈央・中学生の頃の写真だ。

 懐かしいなぁ……。

 なんて思いつつ、その写真を手に取る。

「この頃の姉ちゃんは、多少はしっかり者だったのにな」

 あの頃の姉の姿を思い出し、ベッドにいる女性の姿を見て呆れる。

 いや、この場合はもっとぞんざいに女と言いたい。

 しかし、このまま放置しておく訳にもいかない。

 下着姿で眠っている女性の名は、達也の姉で中山奈央なおという。

 年齢は22歳。

 その容姿は決して悪くない。

 むしろ、美人と言える部類に入るだろう。

 普段は、髪は大人の清潔感を演出してくれるストレートヘア。

 肌は綺麗で、化粧を決めている時は大人美人を決めているが、すっぴん顔は10代の幼さが残っている。

 体つきも非常に肉感的でスタイルが良い。

 ただし、それはあくまでも見た目だけだ。

 彼女は、この部屋のように生活能力が著しく低いのだ。

 仕事は出来るのだが、私生活に関してはズボラな性格をしている。

 掃除ができない訳ではない。

 ただ単にやる気が無いだけである。

 また料理に関しても、レシピさえあれば問題なく作れるが、材料を買うところから始めなければならない状態だと途端にやる気が無くなるタイプだ。

 洗濯もそうであり、洗濯機に放り込んでスイッチを入れるだけの簡単な作業なのに、その後の干して畳むことを考えると面倒臭くなるらしい。

 ただ単純に面倒臭いと思っているだけである。

 そして、一番の問題なのは…………、片付けが出来ない事だ。

 達也が物心ついた時から、姉の部屋は常に汚かった。

 両親に聞けば、それこそ未就学児くらいからずっとだ。

 そんな姉を持つ弟としては、かなり困る状況にある。

 第一に、この部屋の掃除をするのは自分の役目だ。

 第二に、姉の身の回りの世話を全て自分でしなければならない事だ。

 第三に、自分が高校を卒業して就職なり進学をしたら家を出るつもりなので、それまでの間は姉の面倒を見なければならない事だ。

 面倒臭いと思う事もあるが、仕方が無いと諦めている部分もある。

 普段とは天と地ほど差に、今は見る影もないほどに荒れていた。

 髪はボサボサだし、化粧もしていない。

 何より酷いのは、酒臭いことだろう。

 おそらく金曜の夜は相当飲んだに違いない。

 今まで適度に飲んで帰宅することはあったが、泥酔して帰って来たのは昨日が初めてであった。

 だが、それにしたって酒臭い。

 足元にはゴミが散乱している為、まるで地雷原でも歩くような足取りで達也は、ベランダに面した雨戸まで行くとカーテンを開けた。

 すると暗闇に閉ざされた部屋に光が差した。

 そして窓を開けると新鮮な空気が流れ込んでくる。

 これで少しはこの異臭もマシになるはずだ。

 多少は、だ。

 奈央はベッドの上で身を捩らせる。

「もう。何よ? 眩しいじゃない」

 奈央はベッドから身を起こすと、恨めしそうに弟の達也を見る。

 しかし、すぐに目を細めた。

 きっとまだ目が慣れていないのだ。

 やがてゆっくりと目を開くと、こちらに向かって微笑む。

 ただし、目は笑っていない。

 これはいつものことなので、今さら気にならない。

 だから無視して話を進めることにした。

「姉ちゃん。風呂に入ってきて。それが終わったら朝食にしよう」

 それを聞いた途端、奈央の顔色が変わった。

 さっきまでの不機嫌そうな表情から一転して笑顔になったからだ。

「ありがとう達也」

 奈央は元気よく返事をした。

 声のトーンが高い。

 それだけ嬉しかったのだろう。

 奈央にとって入浴とは一日の始まりを意味する。

 だから彼女は毎日のように入浴していた。

 しかもシャワーではなく湯船に浸かる派だ。

 浴槽は魔法瓶浴槽であり2重断熱構造で長時間お風呂の湯が冷めない。

 だからいつも、湯船は昨晩のままにし保温シートと風呂蓋をしておくのが、いつもの流れだ。

 奈央は立ち上がると、嬉々として言う。

 まるでスキップするような感じだ。

 しかも、そのまま部屋を出ていく。

 本当に現金な人だと思う。

 だけど、これも毎度のことだ。

 仕方がないと思いつつも、やはり溜息が出てしまうのであった。

 達也は、フライパンを熱しバターが溶けてきたところで溶いた卵を落とす。

 卵は音を立てながら匂い立つ。

 スクランブルエッグを作るには、ここからが大事な所だ。まわりが固まってくるまで、そのまま触らず待つ。周りが固まってきた所で菜箸を入れて、ふわふわにしていくのだ。

 達也は、その時をじっくりと待つ。

 菜箸の入れ時だと思った瞬間、バスルームから奈央の悲鳴が聞こえた。

 何かあったのかと思って慌てて様子を見に行くと、奈央が半泣きになっていた。

 一体、どうしたというのだろうか。

 疑問を抱きながらも事情を聞いてみることにする。

 奈央は顔を手で覆ったまま言った。

 その手の隙間からは、すすり泣くような音が漏れている。

 奈央は指の隙間から脱衣籠の中を指さしている。

 その視線の先にあるものを見て、達也は納得した。

 脱衣所に洗濯物が置いてあるのだが、その中に男性用の下着がある。

 つまりパンツだ。

「これって誰の?」

 奈央の問いかけに対し、達也は答える。

「僕のだよ」

「ウソ。あんたトランクス派だったでしょ。なんでボクサーパンツなんて履いているのよ」

 確かに奈央の言う通り、達也のトランクス派のはずなのにボクサーパンツが置いてあれば驚くのも無理はないかもしれない。

 だから理由を口にした。

 先日のことである。

 母親がデパートのセール品で、男性用下着があったので購入してきたのが、ボクサーパンツだった。

 そこで達也は、ボクサーパンツを購入して自分で穿いてみたのだ。するとサイズ感が良くて気に入った。それで自分用にボクサータイプを買うことにしたのだ。

「という事だよ」

 と、説明を終えると奈央はジト目で言う。

「あやしい」

 奈央にしてみれば達也の言葉を信じられなかったようだ。

「何が?」

 達也は聞き返すと奈央は言う。

「だって、あんたがトランクス以外の下着を身につけるなんて考えられないもの」

 その言葉に達也は反論する。

「僕だって男なんだから、下着くらい変える事くらいあるよ」

「じゃあ何。あんたが風呂に入ろうと思って、私の下着があったとするわ。それがビッチが着けるようなエロいブラジャーとスケスケのショーツだったとしても平気なわけ? それとも、むしろ興奮しちゃうとか? もしかしたら、そういう趣味だったりするのかな? だとしたらお姉ちゃんショックだなぁ……」

 などと奈央は冗談めかして言っているが、彼女の瞳には涙が浮かんでいた。

 論点がズレて行っているが、奈央の言い分としては達也が疑われているのが分かった。

「あのね……。僕は変態じゃないから」

 達也は、そう言うと奈央は、

「へぇ~」

 と疑いの眼差しを向ける。

「じゃあ証拠見せてよ」

 奈央はそう言う。

「証拠って。どうすれば良いの?」

 達也は困惑した表情を浮かべると、奈央は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 次の瞬間、とんでもない事を口走った。

「――私と一緒にお風呂に入ってくれるなら信じてあげるわ」

 それを聞いた途端、全身に鳥肌が立った。

 この人は何を考えているんだ? 一緒に風呂に入る? そんなことできる訳がない。

「いや。何でそれが証拠になるんだよ? 普通に嫌だから」

「あら。私は全然構わないのよ。姉弟だし、今さら恥ずかしくないでしょ。それに、あんただって昔はよく一緒に入っていたし。懐かしいでしょ?」

 奈央はニヤリと笑う。

 その表情を見て達也は確信した。

 奈央は、わざとこんなことを言ってきたのだ。

 達也の反応を楽しむために。

 昔から奈央はこうやって達也を困らせて楽しんでいた。

 それは今も変わらない。

「それに変態じゃないのなら問題はないでしょ。家族でお風呂に入れないなんて、あんたは変なこだわりを持っているのね。お父さん、今度温泉旅行に行こうって言ってたけど、あんたは行かないの?」

 奈央は達也に選択を迫る。

 ここで断れば、きっと奈央は父親に告げ口をし、達也が変態扱いされるだろう。

 そうなったら達也は居たたまれない。

「分かったよ。入ればいいんだろ」

 達也は観念して言った。

 奈央は満足そうな顔で言う。

 まるで自分が勝ったかのような感じだ。

 その態度が少しだけ腹立たしかった。

 だが今は奈央に逆らわない方が良さそうだ。

 達也は溜息をつく。

 どうして、いつも奈央のペースに乗せられてしまうのだろうか。

 達也は、服を次々と脱ぎ捨てると浴室に入った。

 すると奈央も後から入ってくる。

 彼女はバスタオルを身体に巻いていた。

 奈央は、達也をじっと見つめる。

 その視線は、達也の体のある一点に集中している。

 達也は、奈央が見ている場所が自分の股間だという事に気づいた。達也は、自分の息子が反応していないか心配になった。

 しかし、幸いにも大丈夫だった。

 達也はホッと胸を撫で下ろす。

 いくら何でも姉相手に勃起するなんて、あり得ない。

 達也は、奈央を無視してシャワーを浴びる。

 体を洗っている最中も、奈央の熱い視線を感じた。

 背中にタオルが当てられた。

「背中。流してあげる」

 奈央はそう言うとボディソープをつけたタオルで達也の背中を流し始めた。彼女の柔らかい手が触れる度に、ゾクッとした感覚に襲われる。

 何だか妙に落ち着かなかった。

 達也は不安になりながらも、適当に体を洗い終えて湯船に浸かる。

 奈央はバスタオルを解くと、白い肢体が現れた。

 相変わらず綺麗だと思う。

 それと同時に、その裸体は魅力的だった。

 達也は思わず目を逸らす。

 瞼を貝のように閉じて、何も考えないようにする。

 しかし、どうしても気になってしまう。

 奈央は身体を洗う音だけを響かせていた。やがて、音が止むと奈央が近づいてくる気配を感じた。

 達也は身構える。

 奈央が、達也の隣に入ってきた。

 湯船から湯が溢れ出る。

 肩と肩が触れ合う距離。

 二人は横並びになって座っていた。

 その時になって、ようやく達也は目を開けることができた。

 奈央が話しかけてくる。

 どうやら、先程の事について話したいらしい。

 奈央の声色は弾んでいるように聞こえた。

 一体何が楽しいのか分からないが、達也にとっては憂鬱な時間の始まりだった。

「ねぇ。何でトランクスからボクサーパンツに変えたの? 何か理由があるんでしょ?」

「別に。気分だよ」

 達也は、ぶっきら棒に答える。

「嘘つきなさい。私が何年、お姉ちゃんをしてると思っているの。本当のところを教えてよ」

 奈央はしつこく聞いてくる。

 達也は面倒臭いと思いつつも答えた。

「……クラス女子がさ、トランクスを履いている男って子供か、おじさんみたいだって話してた」

 達也は、その言葉を口にした途端、後悔した。

 先程、奈央に話した理由は嘘だったのだ。

「それって達也が、好きな娘?」

 と奈央が訊く。

 沈黙が答えになってしまった。

「好きな娘に合わせるなんて、あんたも可愛い所あるじゃない」

 奈央は、ニヤニヤしながら言う。

 達也は、その表情を見て恥ずかしくなった。

 穴があったら入りたいと思う。

「で? どうなの、その娘とは?」

 その質問に、達也は悲しそうな表情を浮かべながら首を横に振った。

「……彼氏が居た」

 達也は俯きながら言った。

 奈央は黙った。

 少しの沈黙の後に、奈央は独白した。

「私もさ、付き合ってた彼氏がいたの。でもね、その人は浮気していたのよ。私が気づかないと思って好き勝手やってたわ。最低よね」

 奈央の言葉には怒りよりも、悲しみが強く込められていた。

 湯船に雫による小さな波紋が生まれる。

 達也は理解した。

 昨日、金曜の夜に奈央が泥酔して帰ってきたことの意味を。

 あの日は、きっと元彼と別れたのだと。

 そして、ヤケ酒を飲んだに違いない。

 だから、あんなになるまで飲んでいたのだ。

 姉弟揃って同じような経験をしていることに達也は驚いた。

 しかし、奈央の気持ちは痛いほど分かる。

 自分だって同じ立場なら、同じように傷つくだろう。

 だが、どう声を掛けたらいいのか分からなかった。

 言葉が出ない。

 だから、達也は奈央の手を湯船の中で、そっと握った。

 すると奈央は達也の方へ顔を向ける。

 二人の視線が重なった。

 奈央は顔を赤く染めると、視線を逸らす。

 しかし、すぐにまたこちらを見つめてくる。

 達也は、飲んだくれで部屋の片付けも料理もできない。そんな奈央が可愛くて仕方がなかった。

 達也の手を握る力を強くする。

 奈央は、上目遣いで見上げてくる。

 潤んだ瞳で達也の顔をじっと見つめていた。

 心臓が激しく脈打つ。

 達也は唾を飲み込んだ。

 奈央の唇に視線が釘づけになる。

 突然、達也は額に痛みを感じた。自分の額を押さえる。

 奈央が指で達也の額を弾いたのだ。

「今、キスしようと思ったでしょ。キスもしたことの無い、子供クセに。慰めようとしてるつもり? 」

 奈央は悪戯っぽく笑う。

 達也は苦虫を噛み潰した表情をするしかなかった。

 そして、奈央が話しかけてくる

「どう? 久しぶりに一緒に入った感想は?」

「別に。子供の頃と何も変わってないよ」

 達也は素っ気なく答える。

「ふーん。本当に? 私は良かったわよ。まさに水入らず。色々話せてね。寂しさが和らいだ……」

 奈央は達也の方を向いて顔を近づけてきた。

 彼女の長い髪が垂れ下がり、達也の顔にかかる。

 シャンプーの良い香りが漂ってくる。

 そのせいか、達也の心臓はドキドキしていた。

 達也は奈央から目を逸らす。

 しかし、奈央は構わず達也の頬に手を当てて強引に自分と目を合わせさせた。

 そして言う。

 その声色は優しい

「ねえ。本当は嬉しかったんでしょ? お姉ちゃんと一緒にお風呂に入れて」

 そう言われると達也は何も言い返せなかった。

 確かに達也は、奈央との入浴を嫌だと思わなかった。

 むしろ、心地良いと感じていたかもしれない。

「ほら図星だ。私にキスしようとしたりして。やっぱり、あんたは変態だわ」

 奈央は楽しそうに笑っていた。

 達也は、自分が情けなくなった。

 奈央は、達也の頭を撫でてくる。

 まるで子供をあやすかのように優しく。

 ふてくされる達也。

 そんな彼に、奈央は達也の体を押し倒すようにして唇を重ねてきた。

 突然の出来事に達也は頭が真っ白になる。

 柔らかい感触が唇に伝わってきた。

 一瞬にして奈央は離れていく。

 達也は何が起きたのか理解できずに呆然とした。

 奈央は浴槽から出ると振り返り、再び達也を見た。彼女は微笑んでいた。

「ライトキスなんて、欧米だと家族や友人との挨拶代わりよ。それより、ご飯作ってくれてるでしょ? 早く食べましょ」

 奈央は手すりにかけていたバスタオルを身体に巻いて、それだけ言うとバスルームから出ていった。

 一人残された達也は、しばらくの間動くことができなかった。

「どっちが変態だよ」

 達也は、小声で呟くと湯船に頭まで沈めた。

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