36、イマヘ族の聖域に立ち入ってしまった!?

聖還解呪リトルナ・アル・ゼロ!」


 レモが再び放った聖魔法が俺とユリア、そして鳥人族の男を包み込んだ。


「味方にまで攻撃するとは愚かな!」


 いまだ聖魔法だと気付いていない男は、白い光の中であざ笑う。だが俺とユリアには全く害がない。むしろ体力が回復するような気さえする。


 聖魔法の光が消えやらぬうちに、再びユリアの戦斧バトルアックスひらめいた。


「効かぬと――ぐわぁ!」


 さっきと同じようにひっくり返った男はしかし、今度は起き上がってはこなかった。レモの聖魔法が不死の力を打ち消すことに成功したのだ!


 動かなくなった男にメレウトさんが近づいてきて、手を合わせながら呪文を唱えた。仰向けに寝転がっていた鳥人族の体が、ボッと青い炎に包まれる。


 うしろからついてきたレモがのぞきこみ、


「メレウトさん、ちゃんと火力調節できるんじゃない」


 と感心する。木造船火事のあとは森林火災なんてごめんだからな。


 だがメレウトさんは首を振った。


「これは攻撃魔法ではなく、死者の魂を火の山に返す術です」


 葬送の術式ってことか。


「さあ、戻りましょう」


 メレウトさんが声をかけ、俺たちは筏を停めた川岸へと走り出した。だが水音が大きくなってくるとすぐに、先頭を駆けるユリアが木々の向こうを指差した。


「おししょさまとアンジェリカちゃんが攻撃されてる!」


 目を凝らせば、レモが風魔法で飛ばした船が戻ってきて、師匠と姉ちゃんへ火矢を飛ばしていた。師匠の結界もあるし、距離も遠いため、攻撃はまだ届いていないようだが――


 俺の隣を走っていたメレウトさんが突然、両腕を広げたと思ったら、極彩色の翼を羽ばたいて、まばらに生える低木の間を低空飛行し始めた。


「うわっ」


 巻き起こる風に思わず目をつむる俺の脇をすり抜け、一番前を駆けていたユリアを追い越し、あっという間に川岸に到着する。


「鳥人族は倒しましたよ! あなたたちは自由です!」


 メレウトさんが大声を張り上げたとき、ようやく木々の間から川が見えた。川釣り漁船の舳先に、小柄な人影が立っているのが分かる。


「聖域に立ち入った部外者は、何人なんぴとたりとも許さない!」


 少女が声を張り上げるのを聞いて、メレウトさんが両の翼で額を覆った。


「しまった! ここはイマヘ族の縄張り――」


 蠅の次は人間の縄張りか!


 メレウトさんは俺たちを振り返ると、青ざめた顔で告げた。


「空の上から川に降り立ったので気づきませんでしたが、ここはイマヘ族の集落です! 彼らはほかの部族が川に侵入することを許さない!」


 昨日話していた、舟をかついで陸路を歩かなければならない場所とはここだったのか。


「もう侵入しちゃったし、攻撃魔法で強行突破するしかないんじゃない?」


 物騒な提案をしたのはもちろんレモ。川岸に立った師匠は結界を維持しながら首を振った。


「メレウトさんの姿を見られている以上、手荒な真似は避けた方がよいでしょう」


「師匠ったら何甘っちょろいこと言ってるのよ」


不死鳥フェニックスを救い出した後の火大陸北部の安寧について考えた場合、鳥人族の兵士たちから不死の力を消し、族長ゲレグの乱心として事件を片付けられれば、鳥人族はまた火の山を守る聖職者集団に戻れるはずです」


 そのとき鳥人族を統べる族長はメレウトさんなんだよな。レモはつまらなさそうに溜め息を吐いた。


「部族間抗争に巻き込まれなかった鳥人族は本来、火大陸北部の精神的支柱とも言える存在だったってことね。その未来のリーダーに汚名を着せられないと」


 レモの理解に、師匠は満足そうにうなずいた。


 ここでメレウトさんが恨みをかったら、今後も火大陸北部には平和が訪れないってことか。


「それじゃ」


 明るい声を出したのは、うしろから俺を抱きしめたアンジェ姉ちゃんだった。


「平和的手段に訴えるしかないわね!」


「それができりゃあ苦労はねえけど――」


 俺の言葉が終わらぬうちに、姉ちゃんが声を張った。


「イマヘ族の皆さん!」


 話しかけただけで攻撃の数は半減した。


「これ以上、神聖な川に火矢を打ち込む必要はありません!」


 確かに彼らの攻撃の大半が川に落ちているのだ。神聖な川とは?


 だが船の舳先に立ったまま、先ほどの少女が仲間を振り返って声を荒らげた。


「お前ら何ひよってるんだ! 父ちゃんたちがいない今、村を守るのはあたしらしかいないんだぞ!」


「私たちにお詫びをさせてください!」


 姉ちゃんが訴えるとさらに火矢の数が減り、舳先の少女は地団太を踏んだ。


「私たちもまた、神聖なものをあなたたちに開示せねばなりません。聖なる歌声です」


 来たー! 結局、俺に振るんじゃん!


「どうぞ!」


 姉ちゃんが手のひらを俺に向ける。


 あんたなんの司会者だよ!? 冒険者ギルドの新入職員として宴会幹事を押し付けられて身に着けた技か!?


「さ、ジュキちゃん。出番よ」


 耳打ちしてこなくても分かってる。背中を押されながら俺は竪琴を取り出し、手早くチューニングを確認した。たった今、敵を殺してきたのに歌う気分じゃないが、姉ちゃんはそんなことまで知らないんだ。


 だが俺は知っている。歌う気になれないときのネガティブな感情もまた、歌で表現できることを。


 だから歌うんだ、彼の魂を鎮めるためのレクイエムを――


 かぎ爪の先が竪琴の弦に触れ、最初の和音を奏でる。たおやかな音色は風や虫たちの声にまぎれ、船上で弓矢を構える子供たちまでは届かないかも知れない。だが歌声なら――


「偉大なる優しき精霊王よ

 我らの願いに耳をお貸しください」


 静かに歌い出した俺の声は、細く澄んだ黄金の糸のように伸びてゆく。船の上で数人が、武器を下ろすのが見えた。


 悔いも憂いもすくい上げ、音楽へと昇華してゆく。人は歌で喜びを表現するけれど、時には悲しみの歌が魂を救済することもある。


「祈りの歌と共に彼らの魂を

 その御心みこころに受け入れてください」


 傷ついた魂を癒す優しい手のひらのごとく鎮魂のうたつむげば、木々がざわめきで答え、鳥たちがオブリガートをさえずる。竪琴のやわらかな弦の響きに寄り添われ、俺は丁寧に旋律を歌い続ける。


 隣では姉ちゃんが、祈るように両手のひらを組んでいた。姉ちゃんは幼い頃から精霊教会に通って来たから、竜人族の古語で歌われる鎮魂歌の意味が分かるんだ。


幾年いくとせも思い出がめぐるように

 雨が川となり海へかえるように」


 音域が高くなるにつれて、俺は歌に力を込めてゆく。いつもより細く丁寧に扱っていた声に、しっかりとエネルギーを乗せて、空の上まで届くように――


 この曲の最高音を歌うために、両足で力強く大地を踏みしめ、ゆったりと木々の香りを吸い込む。重心を下げることで声を高く飛翔させるのだ。


「今日天へのぼる魂がまたいつの日か

 この地に新たに息吹くよう」


 最後の全音符は高音域に書かれている。デクレッシェンドしたフレーズの終わりを大切に締めくくるため、俺は全神経を集中して、ピアニッシモで高い音を歌った。


 気付けば舳先に立っていた少女は、友人らしきほかの少女の肩に額を埋めて泣いているようだ。


 攻撃が止まったことに安堵した師匠が結界を解除したとき、岸のほうから複数人の足音が近づいてきた。


「歌声に誘われて来てみれば、間違いない!」

「あれは水の大陸から訪れた歌姫様御一行!」

「我らが不死鳥フェニックスを救うべく、火大陸に降臨された白銀の妖精、歌姫殿か!」


 歌姫って何度も言うなー! って、そもそもこの男たち、誰?


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