34、川の旅はスリル満点

「た、た、滝です!」


 一番前に座っていたメレウトさんが大声を出した。


「ええっ!?」


 俺は伸びあがって確認する。


「なんで上流に向かっているのに滝があるんだよ!?」


 とりあえず筏を押す水の流れは止めたものの、滝へと吸い込まれてゆくようだ。


「このへんの地形は起伏が激しいんです! どどどどうしましょう!?」


「水よ!」


 取り乱したメレウトさんの言葉が終わらぬうちに、俺は筏底の水を噴水のように立ち上げた。


 滝の手前で宙に浮いた筏の上で、俺は考えあぐねていた。


「どうしたの、ジュキちゃん?」


 気遣ってくれるアンジェ姉ちゃんに、


「俺の操ってる水、川とつながってるから、このまま下に連れてってくれって頼んだら猛スピードで滝をすべり落ちるんじゃねえかと思って」


「ひえぇ」


 情けない声を出した師匠にすかさずレモが、


「師匠がちゃんと前見てないからでしょ! うしろ向いてジュキばかり見ないでよ!」


 叱責を飛ばす。


「すみません。僕も気づくのが遅れて」


 恐縮するメレウトさんに、


「大丈夫よ。私の風魔法で運ぶから」


 頼もしいレモは印を結んだ。


聞け、風の精センティ・シルフィード。汝が大いなる才にて、低き力のしがらみしのぎ、我が前にあるもの運び給え」


 レモが魔力を注ぐと筏の周りに風が巻き起こる。


鴻闊空揚翼エリアルウィングス・グランデ!」


 風に乗った筏は空を飛び、滝つぼを越える。なぜかメレウトさんが、筏中央から立ち上がるマスト――というか、ただの木の棒につかまっている。


「自分の翼以外で飛ぶのって怖いものなんですね」


 俺は別に平気だけどな?


 その場にいる誰も感覚が分からなかったようで皆が沈黙する中、筏は川の流れが安定する場所まで空中を進んで、ゆっくりと着水した。


 安堵したメレウトさんが溜め息をつく。俺はまた船尾の水を操って、筏を上流へと押し進めてゆく。 


 草が茂った川の両側からは時折り低木が枝を差し出し、心地よい木漏れ日がこぼれ落ちる。幹の間からのぞくと、草木がまばらに生える砂地が広がっているようだ。野生の動物なのか、放牧された家畜なのか分からないが、四つ足の生き物が少ない緑を求めてさまよっている。


 俺は水を操るためうしろを向いてあぐらをかいていた。左右の茂みからふいに飛び出してくる羽虫を払いながら、南国らしい鳥の声と水音に耳をすましていると、レモと姉ちゃんのないしょ話が聞こえてきた。


「この船お手洗いが無いのよね」


「いざとなったら川にするんじゃないかしら――って貴族令嬢のレモネッラさんにそんなこと、できないわよね」


「アンジェお姉様だって殿方が二・五人いるのに、できませんでしょう?」


 二・五人ってなんだ!? 人数に小数点がつくってどういうこと!? 筏に乗ってる男は俺と師匠とメレウトさんで、どう数えても三人いるよな?


「そうねえ、二・三人――いいえ、二・二五人かも知れないわ」


 姉ちゃんが小数点第二位まで求め始めたとき、師匠の肩越しに前方を眺めていたユリアが、


「なんだろう、黒い霧みたいなのが湧いてる」


 進行方向を指さした。


 俺も振り返り、全員で目をこらして前方を凝視する中、師匠が口をひらいた。


「瘴気でしょうか? しかし私のように魔力耐性の低い者は、肉眼で確認できるほど濃い瘴気には近づけないはずですが」


「師匠が気持ち悪くなってないってことは、瘴気じゃなさそうね」


 レモも膝立ちになって黒いもやを見つめる。


 俺はとりあえず筏の進行を止めた。


「このまま行くと突っ込んじまうよな」


 得体の知れない物質の中を進むのは危険だろう。完全に水の流れを止めると下流へと流されてしまうので、こまかく水魔法を調節していたとき、


「もしかしてあれは――」


 メレウトさんが息を呑んだ。


「しまった。こんなところで異常発生していたとは!」


「なんなんだ?」


 最後尾から尋ねる俺に、


「吸血フライです!」


 メレウトさんが緊迫した声で答えた。フライってことは――


「揚げ物なら食べられるの?」


 すっとぼけた質問をしたのはもちろんユリア。


「蠅の一種だろ」


 突っ込む俺に、


「なーんだ。蠅なんて食べるとこ少なそうだからいらないや」


 ユリアは興味を失った。


 だがメレウトさんの悲鳴にも似た叫び声が水音をかき消した。


「気付かれたようです! 彼らは縄張りに入ってきたほかの生き物を許しません!」


 黒い霧がざわりとうごめき、巨大な蝙蝠の影が両腕を広げるように俺たちへと向かってくる。


「とりあえず水よ、我らを守り給え!」


 俺が筏の前に水の結界を張ったときには、耳障りな虫の羽音がはっきりと聞こえてきた。


 構わず向かってきた吸血フライたちは、精霊力を帯びた激しい水流に打たれ、ボトボトと水面に落ちてゆく。羽を広げたまま筏の脇を流れてゆく姿を見れば、小さなネズミくらいの大きさで不気味である。


「嫌、気持ち悪い!」


 アンジェ姉ちゃんがぎゅっと目をつむって、俺の肩に額を押し当てた。


「おお、女性が女性らしい反応をされると新鮮ですね」


 師匠がもらした感嘆の声に、


「どういう意味よ?」


 レモが突っかかる。普段から女性らしい反応をしていない自覚があるらしい。師匠がおびえていて可哀想なので、俺は二人の会話に構わずメレウトさんに尋ねた。


「水の結界を張ったまま進んでいいんだよな?」


 火大陸民ならではの対処法を知っているなら教えて欲しいところだが、メレウトさんは口ごもった。


「彼らの縄張りを突っ切ったら、どこまでも執念深く追いかけてくるはずです」


 にらむ先を師匠からメレウトさんに変更したレモが、


「じゃあ、どうしたらいいのよ?」


 結論をせかす。


「吸血フライの群れは数が多く、魔法で対処しても次から次へと涌いてきます。やつらの縄張りに近づかないことが一番大切だったのですが――」


 すでに俺たちは吸血フライに見つかってしまった。


「ここから離れればいいのね」


 自信に満ちたレモの言葉に、振り返ったメレウトさんは心配そうに表情を曇らせた。


「引き返しても追ってきますよ。前に進んでも同じですが」


「前にもうしろにも進めないなら上に行けばいいわ」


 レモは再び風の精霊を呼び出す印を結び、呪文を唱えた。


鴻闊空揚翼エリアルウィングス・グランデ!」


 筏がふわりと浮かび上がったと思ったら、ぐいぐいと高度を上げ始めた。最初は追いかけてきた吸血フライたちも一匹また一匹と脱落していく。


「た、高い!」


 メレウトさんだけがマストにしがみついて震えている。


「メーくん、鳥さんなのに高いところが怖いの?」


 ユリアがちょいちょいと彼の虹色の翼を突っつくと、


「さっきも言ったじゃないですか! 自分の翼以外で飛ぶのはものすごく変な感じなんですよ!」


 メレウトさんは涙声で言い訳した。


 俺は筏の端を両手でつかんで、ずいぶん下の方に遠ざかった川を見下ろす。


「吸血フライども、まとわりついてこなくなったぜ」


「このまま火の山を目指したくなっちゃうわね」


 レモの言う通り、目の前には大きな山がそびえている。


 だが師匠が水を差した。


「山と言うのは近く見えても実際は距離があるものです」


「分かってるわよ」


 レモは遥か下を流れる川に沿って宙に浮かんだ筏を動かし、ずいぶん進んだところで下降させた。もはや吸血フライの姿はあとかたも見えない。ホッとして結界を解くのとほぼ同時に、筏は水面に下りた。


 メレウトさんじゃなくとも、高いところに浮かんでいるのは落ち着かないものだ。誰もが胸をなで下ろしたとき、川岸から火魔法が飛んできた!




─ * ─




虫から逃げたと思ったら今度は人間の敵!?


三連休も終わりましたので更新頻度を隔日に戻しまして、次回更新はあさってとなります!

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