27、火大陸民にオペラアリアを聴かせてみるぞ!

 舳先に座って竪琴を調弦し始めると、風魔法を操るレモがこっそり帆の陰から飛び立つのが見えた。小舟に乗った人々の死角になるよう大きく旋回して、焼け焦げた船へと近づいてゆく。


 一方、俺の腰かけた舳先の下には小舟がわらわらと集まってきて、大渋滞を起こしていた。


「せーの」


 一人が呼びかけると、彼らは声をそろえた。


「ジュリアちゃーん!」


 マジか。初めて足を踏み入れる大陸で、俺はジュリアちゃんとして認識されるのか。


 一瞬、調弦する手が止まったが、俺は自らに気合を入れ直す。今は鳥人族の人たちを救うために歌うんだ。


 心を無にして、竪琴に並んだ木のペグを慎重に回してチューニングに集中する。


 師匠が舳先の下にやってきて、静かに呪文を唱え始めた。


聞け、風の精センティ・シルフィード。麗しきうた、汝がたなごころにて遥かなる地まで運びたまえ」


 呪文に耳を傾けると、レモがよく使う音響魔法だ。この便利な術、師匠も使えたのか。


拡響遠流風ポルタソンロンターノ


 師匠が魔法を解き放った途端、やわらかい風が俺の前髪を揺らす。この風魔法があれば遠くまで聞こえるはずだから、小舟の大渋滞も少しは緩和されるはずだ。


 調弦を終えた竪琴を膝の上で構え直したとき、風の流れに乗ってまた、小舟に乗った人々の雑談が聞こえてきた。


「ジュリアちゃん、水の大陸の人なのに俺たちの服が似合っててかわいいじゃねえか」

「うんうん、色あせた布を巻いて庶民っぽいとこも親近感が湧くぜ」


 そう、男に戻るタイミングを失った俺は、今もまだ船の女性たちから借りた火大陸の民族衣装をまとったままだった。


 聞こえなかった振りをして、最初の和音を押さえる。下を向くと胸の前に落ちてくるツインテールを肩のうしろに払い、俺は竪琴を鳴らし始めた。鍵盤楽器チェンバロの音色に激情を乗せて解き放つ、作曲家の背中を想像しながら。


 俺は普段、竪琴の伴奏だとどうしても地味になってしまうので、オペラアリアを歌うことは少ない。が、ぴったりのアリアがレパートリーにあるのだ。


 本来は弦楽合奏ストリングスがリズミカルに奏でるであろう、裏拍を交えた華やかな前奏を最大限、竪琴の演奏で再現し、俺は歌い始めた。


「夜が明けた

 暗く憂鬱な時は過ぎ去った」


 オクターブを交えた大きな旋律線が聴く者の耳をすぐに惹きつけるこのアリア、実は数年前に帝都で流行したオペラの中の一曲なのだ。皇后様が俺の声に合うからと、レパートリーに含めるよう勧めて下さった。


 皇后様は引退した往年の名歌手を紹介して、俺が彼女からレッスンを受けられるよう取り計らってくれるなど、パトロンとして若い歌手を育てて下さるのだ。


「青き天空をご覧」


 実際に青空を見上げて歌うと、甲板で聴いている姉ちゃんたちもつられて空を見上げた。


「太陽が煌々あかあかと燃え

 地上に喜びの光を振りまいている」


 すがすがしい空からは透き通った陽射しが降りそそぎ、劇場の背景に下ろされた書き割りよりずっと、このアリアにふさわしい。


 鳥人族の支配から解放された人々は肩を組み、喜びに湧いている。


「ずっと希望のない日々を送ってきた俺たちが、こんな美しい歌を聴ける日が来るとはな」

「今夜は祝いのうたげだ! 妻や娘も戻ってきた!」


 船室に避難していたウム族の女性や子供も甲板に上がってきて、浮かんだ小舟に家族を見つけて手を振っている。


 最初のA部分を歌い終わった俺は、主旋律をなんとか竪琴で再現して間奏をこなす。ああ、伴奏者が欲しい! 技巧的なオペラアリアを弾き歌いするのは大変なんだぞ! でもこの曲を選んだのは俺自身だ。好きな曲だから、お客さんにも気に入ってほしい。


 間奏を弾き終わると、曲はB部分へと突入する。


「世界の終わりを告げる嵐の中

 波に翻弄された船は木の葉のよう」


 俺は一人、沈没船に残された孤独と焦燥感を思い出し、泣き叫ぶように歌った。


 B部分でアリアは平行調である短調に移調するが、速度は変わらない。暗く激しい旋律が厳しい運命を暗示する。


「だが今

 私の前には美しい入り江が現れ

 未来へ新しい道が続くと示している」


 曲が明るさを取り戻し、希望の光が差したところでB部分が終わる。この曲はABA形式のダ・カーポ・アリアだから、B部分のあとには先ほど弾いた前奏に戻る。だが俺はその前に、つなぎ部分で竪琴の即興を加えてみた。素早く爪を動かし、弦を細かく速弾きすると、


「おぉぉ」


 どよめきが起こる。テクニカルなフレーズで魅せるなら、歌より楽器の方が伝わりやすいのかな?


「帝国の音楽というのも、なかなか乙だな」


 ささやく声に答えるのは、


「あれほどの美少女がいるなんて、水の大陸を旅してみたいぞ」


 という煩悩にまみれた感想。ちっとも話がかみ合ってないじゃんか。俺を見なくていいから音楽に耳を傾けてほしいよ。


 俺は気持ちを切り替え、前奏のオーケストラをなんとか竪琴一本で再現する。胸をえぐるような短調部分があったからこそ、再び戻ってきた明るいフレーズは、嵐のあとに晴れ渡る青空のように開放感にあふれている。


「夜が明けた

 暗く憂鬱な時は過ぎ去った」


 すでに歌ったフレーズに今度はアレンジを加えて、もう一度A部分を歌う。潮風に乗って届く、人々の楽しそうな歓声を胸いっぱい吸い込むと、高揚感に体が浮かびそうだ。


 オリジナルより三度高い音を歌って、バリエーションを加える。夕暮れ時、恋人へ愛の歌をさえずる夜啼き鶯のように細かい音符を加えれば、歌声は光の粒になって入り江を舞い踊る。


「青き天空をご覧」


 軽やかなフレーズは、数珠つなぎになった真珠のネックレスみたいに風の上を転がってゆく。アクロバティックな歌唱法は細心の注意を要するが、歌っている俺自身も気持ちがたかぶって、歓喜を表現する音楽と一体になれる。


「太陽が煌々あかあかと燃え

 地上に喜びの光を振りまいている」


 高い声は、この上ない喜びを表現するにふさわしい。太陽より明るく強く勝利を歌い上げれば、観客も大盛り上がりで歓声を上げた。


「なんて透き通った歌声なんだ」

「でもエネルギッシュなんだよな!」

「あの子の歌を聴いたら俺、活力が湧いてきたよ!」


 人々は口々に興奮して語り合う。


「生命力が倍増した気がするぞ」

「ああ、なんだか魔法にかけられたみたいだ」


 うん、実はその感想、間違ってないんだけどね。


 俺に注目している彼らのうしろで、鳥人族たちの船が静かに桟橋へつくのが見える。レモの聖魔法で回復したらしい男たちが、縄梯子をつたって黒焦げになった船から降りてゆく。


 一方俺たちの船は、歓迎を叫ぶたくさんの小舟に先導されて桟橋まで案内され、錨を下ろした。入り江に集まった人々が、甲板にいる俺やペセジュ船長にばかり注目している間に、レモはぐるりと大回りして『赤きウム族の希望』号のマスト下に降り立った。俺の隣まで駆け寄ってきて、何食わぬ顔で下船する列に加わる。


「鳥人族の兵士たちに情報を吐かせたから、あとで話すわね」


 聖魔法をかけるだけにしてはアリア一曲分時間をかけていて妙だと思ったが、なるほど、今後のために尋問していたのか。


 そして俺たちはついに灼熱の大地が広がる火大陸に上陸した。




─ * ─




次回は異国情緒あふれる(ってほどでもないか)ウム族の集落へ。ペセジュ船長の兄も出てきます!

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