35、火の精霊たちに起きた異変
師匠は重い口を開いた。
「推測の域を出ませんが、火大陸に住まうと言われる火の精霊王
「なんでそんなことに――」
言いかけて、俺は思い出した。頭のすみに引っかかった記憶の糸をたぐり寄せようと目をつむり、
「ラピースラは最期に言ってたんだ。『魔神アビーゾは四体の精霊王を封じ、復活を計画している。火の精霊王
「にゃんと!」
驚いたのはネコ町長だけだった。
レモとユリアには話してある。もし俺が火大陸に行くことになれば、二人も一緒だろうからな。
「それって、あれだろ?」
ナミル師団長が人差し指を振りながら、
「火大陸で百年以上続いてた部族間の抗争に、とある部族長が終止符を打った。それは
「ナミルさん、その話、魔法騎士団以外の人間には漏らすなって言われませんでした?」
師匠が冷たい声で尋ねた。
「あ」
短くつぶやいてから慌てて、
「いやでもほら! セラフィーニ顧問はもともと知ってたし、ジュキちゃんたちは帝国の英雄だし!」
取り乱すナミルさんには答えず、師匠はネコ町長を見下ろした。
「帝都民が怖がるといけませんから、この話は広めないでいただけると助かります」
「分かりましたにゃ」
ネコ町長は年の功か、町長として上に立っていた経験からか、落ち着いた様子でうなずいた。それから何か思い出したのか、ハッとして、
「もしかしてこの夏、雨が多かったのも、東の
帝都の雨は例年より多かったのか。
「そうでしょうね。千五百年前の文献までさかのぼって、『水の大陸』の気候変動について調べたことがあるのですが――」
師匠って魔術と関係ない研究も色々してるんだな。
「――白竜ドラゴネッサが半封印状態になるまで、『水の大陸』には多くの湿地帯が存在していました。それが千二百年前から九百年前にかけて、徐々に乾燥していったのです。おそらく今後三百年程度で、古代の状態に戻って行くでしょう」
「むにゃむにゃ」
いつの間にかユリアが寝ながら歩いている。師匠が講義を始めたから、睡眠時間と勘違いしたのだろう。
「ねえ師匠、どうやって昔の天気なんて調べるの?」
一方レモは興味を惹かれている。
「手紙や日誌、雨乞いの儀式の有無など色々な文書に書かれているんですよ」
のん気にしゃべりながら歩いていたら、それまで自信たっぷりに歩を進めていたネコ町長が、突然足を止めた。
「おかしいにゃ。確かに臭いはこっちにゃのに、大きな湖に出てしまったにゃ」
木々がひらけたと思ったら、目の前に広がるのは静かな湖面。
「ジュキくんの
瘴気が濃くなってきたからか、師匠が古代文字の記されたスカーフを口もとまで引き上げながら、俺に尋ねた。
「え? ああ」
俺は慌てて、服の下で
「あ。消えた。これ、幻影使いが見せている幻です」
俺の言葉にネコ町長は、
「みゃへぇ!」
聞いたことないタイプの感嘆詞を叫んだ。
「じゃあ、歩けるんですかにゃ!?」
「あ、俺が先頭行きます」
二重に見える視界に眩暈を起こしそうになる。肉眼では湖に見える道を歩き出すと、すぐうしろからついてきたネコ町長が、
「ジュキにゃん、せっかくかわいいツインテールで、ミニスカートのワンピースも似合ってるんだから、女の子らしくしゃべってほしいニャ」
妙に寂しそうな声で懇願してきた。
「わ、分かったニャ」
つい情にほだされる俺。
湖を横切ると、
「ジュキにゃん、そのまま進むと大岩にぶつかってしまいますにゃ」
ネコ町長がうしろから俺のスカートをにぎった。彼の身長を考えれば仕方ないのだが、ただでさえ裾が短いんだから勘弁してほしい。
「あ、その岩も幻ニャ。安心してジュキについて来てニャ」
かわいらしく猫方言で答えると、
「ニャシシッ、たまらんにゃあ」
背中から満足そうな声が聞こえてきた。文句を言おうと振り返ると、ネコ町長のすぐうしろを歩いている師匠が、
「気を引きしめてくださいね。近くに幻影使いがいるはずですから」
と釘を刺した。その視線は明らかに、ネコ町長を見下ろしている。
「そうだよ。空間使いだって出てくるかも知れにゃいんだから」
口をとがらせて、もう一度振り返ったとき、俺は見てしまった。最後尾を歩いているナミル師団長の、すぐ後ろの空間が裂けるのを――
「あーっ!」
叫び声が口をついて出る。反射的に指差したせいか、ナミル団長の野生の勘か、彼女は瞬時に跳躍して攻撃を避けた。
空間の裂け目から現れたということは、こいつが空間使いスパーツィオなのか? それとも空間使いがモンスターを送り込んで来たのか? 現れたのは腕から樹を生やし、頭皮から枝を生やした奇怪な人物だった。
ナミル団長の前を歩いていたレモめがけて、腕の大樹を振り下ろそうとする。
「レモ!」
俺が叫ぶと同時に彼女は前方に転がり、なんとか攻撃をかわす。
代わりにユリアが走り出て、
「甘いわぁっ!」
だが木のお化けは苔むしたごつい両手で、怪力ユリアの
「くっ、離してよ!」
武器をつかまれたユリアが珍しく焦る。だが敵の背後から、ナミル団長がマジックソードで斬りかかった。バサバサと枝が数本落ちるが、
「効かぬわ!」
敵は吠えて、ナミル団長を振り返った。
師匠はネコ町長を抱き上げ、
「
結界を張る。非戦闘員である彼を守るのが最優先ってわけか。
「水よ!」
俺は、ナミル団長に襲いかかる敵の首元を狙って、精霊力を叩きつけた。だが――
「クハハハハ! 植物に水をやるとは愚か者め!」
全身を幹と枝で覆われた男は嘲笑した。
「あんたは木のモンスター、トレントか?」
だがこんな流暢にしゃべる魔物がいるだろうか? しかも魔物図鑑で見たトレントはもっとずっと木の姿に近かった。
木彫りのような顔が俺を見下ろし、不気味な笑みを浮かべた。
「違うぞ、嬢ちゃん」
「俺は男だ!」
「意味のない嘘をつくな」
嘘じゃないのに! でもこの格好で主張しても説得力に欠けるよな…… もう泣きたいっ!
俺の絶望には気付かず、男は自己紹介を始めた。
「僕は空間使いスパーツィオ。空間を操り、同時に空間と同化することができる。今の僕は瘴気の森と一体化しているのさ!」
─ * ─
次回、『空間使いとバトル』
久し振りにバトル回です! そしてついに一行はアカデミー残党のアジトへ――
※火大陸の状況については、第四章「03★皇帝陛下に兄上の所業を報告する【エドモン視点】」でも触れています!
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