28、姿見の前に立たされてニャンコしゃべりの練習ニャ

「うーん……」


 ガッティ副団長は腕組みして、


「アルジェント子爵、小さい頃、自分のことなんて呼んでましたかにゃ?」


「えっ――」


 結構早い時期から外ではかっこつけて俺って言ってた気がするが――


「うんと小さい頃は、ぼく、だったかな」


「もっと幼い頃、名前呼びしていたことありませんかにゃ?」


「ええ、まあ――」


 俺は目をそらしながら認めた。


「じゅきはね、とかって言ってましたが――」


「それで行きましょうニャ!」


「ええっ!?」


 いい歳して抵抗あるんだが!?


「いやでも俺の名前、女性の名前じゃないし――」


 ガッティ副団長は声をひそめて、


「ジュキエーレさんという本名は男性の名前ですが」


 とささやいた。わざわざ小声になったのは、俺の本名が極秘情報ってことなのか? やっぱり皇后様のお気に入り歌手として、性別は謎のままにしておかなきゃなんねぇのか……


「愛称のジュキちゃんにゃらどっちでもいけますニャ」


 うーむ、確かに。「エーレ」で終わる名前は男性名だが、「エーラ」で終われば女性名だ。愛称はどちらも同じだろう。


 うちの親父はダニエーレという名だが、母さんがダニーと甘く呼びかけているのを聞いたことがある。だが村のはずれにあった雑貨屋のダニエラ婆さんも若い頃は「亜麻色の髪のダニー」として評判だったとか。


「アルジェント子爵がうっかり『俺』って言わずに、『アニャシ』とか、せめて『アタシ』って言えればいいんだけどにゃあ――」


「うっ―― じゃあ名前呼びで頑張ります」


 俺はしぶしぶ受け入れた。


「よしよし。じゃあ例文書くから読んでみてくれニャ」


 ロウ石で石盤に記した文章を見せられた俺は、言葉に詰まった。


「――――!」


「ほら、がんばるニャ」


「えっと――、ジュキにゃんはね、猫ちゃんなのにゃ」


 恥ずかしいぃぃぃ!


 俺はたまらず、肉球の両手で顔を覆ってうつむいた。ツインテールとピンクのリボンがさらりと視界の端で揺れて、自分が女の子であることをいやおうでも思い知らされる。


「かわいい……」

「これは心臓に悪いにゃぁ」

「アタシ鼻血出そうだよ」


 レモとガッティ副団長、そしてナミル団長が感心する声が聞こえる。


「でもジュキにゃん本人は恥ずかしがってダメなのー」


 意外にもユリアが冷静に評してきた。


「わたし、思うんだ。ジュキにゃん、自分が今、美少女猫ちゃんなの自覚ないのー」


「なるほど、そうだろうな」


 ナミル団長が机の上に腕を乗せて、身を乗り出した。


「だからジュキにゃんを鏡の前に立たせて、方言の練習させたらいいと思うんだ!」


「ユリア鬼畜!!」


 俺はすぐに反応した。


「そんなの嫌に決まってんだろ!? 女装した自分なんて無駄に見たくねぇんだから!」


 しかしナミル団長が満面の笑みで告げたのだった。


「残念だけどジュキくん、今回の任務は皇帝陛下から下された命令なんだ」


 ちきしょーっ! 権力を笠に着やがって!


 俺は大きな姿見の前に立たされ、猫耳ツインテにミニスカート姿の自分を見つめながらニャンニャンしゃべりを練習させられることになったのだった。


「ほら、ジュキくん。顔を上げて」


「元お兄ちゃん、鏡の前でうつむいてたら意味ないよ」


「ジュキ、頑張って!」


 無責任な女たちに叱咤激励された俺は、意を決して顔をあげた。


 姿見の中から、年端としはもいかない少女が、おびえたまなざしでこちらを見つめていた。大粒のエメラルドと見紛みまごう瞳は、銀細工のようなまつ毛で縁どられ、ややきつい目元は捨てられた子猫のよう。


 つやめく銀糸ぎんしの髪を、ピンクのリボンでツインテールに結ったその上には、彼女が猫人ケットシー族であることを示す猫の耳。首元のチョーカーには鈴がついていて、彼女が不安げに首をかしげるたびに、チリンと涼やかに鳴る。


 レースに透ける胸元に、谷間はない。まだ大人になりきらない少女の身体を、清楚な白いワンピースが隠している。だが伸びやかな四肢は健康的で、スカート丈は短すぎるほど。その手足もまた雪のように白い毛で覆われ、手のひらにはピンクの肉球が並んでいる。


 鏡の中に住む完璧な美少女。彼女は――


 ――俺なんだよーっ!


「かわいいジュキちゃん、自分がかわいいって分かったぁ?」


 ユリアが舌足らずなしゃべりかたで、「頭痛が痛い」語法のような質問を投げかけてくる。


「何度もかわいいって言うな」


「思い知らせてあげようと思ったの」


 にしし、と笑うユリアを思いっきりにらんでいたら、ガッティ副団長が椅子から立ち上がり、石盤片手に注文をつけてきた。


「さあ、鏡に映ったご自分の愛らしい姿を目に焼き付けにゃがら、このセリフを言ってみてください」


「うぅっ――」


 石盤に書かれたフレーズを一瞥した俺は、羞恥心に慌てて目をそらした。


「少し高めの声でお願いしますニャ。あ、今回の任務は皇帝陛下のご命令――」


「なんども言わなくていいから」


 俺はガッティ副団長の言葉をさえぎって、腹をくくった。


「ジュキのお願い、聞いてほしいニャ。ねぇ、だめぇ?」


 鏡の中では猫耳美少女が、きゅるるんと上目づかいでおねだりしている。


 ああ、俺の理想からどんどん離れていく! 俺は親父みたいな男らしい冒険者に憧れて故郷を旅立ったのに、何がどうしてツインテ・ミニスカ美少女になってるんだよっ!


「やばっ、鼻血が――」


 小さくつぶやいてナミル団長が上を向く。


 こうして俺は鏡の前で何度も女の子のセリフを言わされ、自己イメージを書き変えられた。


「どうですかにゃ、アルジェント子爵。これでにゃんとか猫人ケットシー族の方言をしゃべれるのではにゃいでしょうか?」


「た、多分…… 自信にゃいけどジュキ、がんばるニャ」


 俺はほとんど別人格になって、高くか細い声で答えたのだった。


「では今から獣人街区へ向かいましょうニャ!」


「え、今から!?」


 さすがに驚いて、日の傾きかけた窓の外を見る。


「ええ。猫人ケットシー族は夜遅くまで起きている種族ですニャ。その代わり陽の高い時間帯に、長い昼寝をしますけれど」


「そうにゃの? でもガッティ副団長にゃんは、お昼も起きてるにゃ?」


 俺がこてんと首をかしげると、


「ハハハ、かわゆいですにゃあ、ジュキにゃんは」


 ガッティ副団長は鼻の下を伸ばして説明してくれた。


「僕のように人族の作った組織で働く猫人ケットシー族は、体内時計を調節できるようににゃるんですよ」




 猫人ケットシー族の姿をした俺とレモ、それからユリアとナミル団長、そしてガッティ副団長の五人で、騎士団の馬車に乗り込む。人々がせわしなく行き交う夕暮れ時の帝都を、かっぽかっぽと進んで行く。


「ジュキ、大丈夫?」


 窓の外を見つめていたら、レモが心配そうな声を出した。


「大丈夫にゃ……」


 振り向かずに蚊のなくような声で答えると、


「可哀想に。すっかりおとなしくなっちゃって」


 レモの腕が俺の肩に回る。ぎゅっと抱きしめて、頬にキスしてくれた。


「でも可哀想なジュキって余計にそそられるわ」


 えっ!?


「なんだか嗜虐しぎゃく心をあおられるっていうか」


 恋人の知らない一面が垣間見えて、俺は彼女のつぶやきをこれ以上耳に入れないために、窓の外に顔を出した。だがそれがいけなかった。


「あああああっ!!」


 往来の真ん中でバカ丸出しの大声を出して、丸い頭に夕日を反射させた男が俺を指差した。




 ─ * ─




 頭皮に夕日が反射する輝かしい男とは誰っ!?

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