81★素晴らしい歌声は全てを変える【前半サムエレ視点、後半オレリアン視点】

(サムエレ視点)


 割れるような拍手の音で、僕は目を覚ました。ボックス席の暗がりで、壁に背をあずけて寝ていたようだ。


 椅子に座った男女の貴族はいまだ寝息を立てている。


 音を立てないように、そっと立ち上がった。


 何か重要なことを忘れている気がする。だがそれは、決して思い出してはいけないこと。


 僕は自分のギフトが記憶メモリーだったことを、今日ほど呪ったことはない。だがあれは、何かの間違いなのだ。顔立ちすら他人の空似なんてことがあるのだから歌声など、同じ種類のテクニックを使えば、きっと似たような響きになるんだ。


 自分に言い聞かせてボックス席を去る前に、遠い舞台をちらりと見下ろすと、歌手たちが並んで挨拶しているのが見えた。何度も客席に手を振って、人々の拍手をその身に受けている。表情まではよく見えないが、きっと満ち足りた気分だろう。


 あんなきらびやかな世界、僕には関係ないんだ。


 これからどうする?


 オペラが無事、終幕まで演じられたということは、オレリアンの企みは失敗に終わったのだろう。彼が巨大な亜空間魔法を完成させて人々を送り込んだなら、劇場に人がいるはずは無いのだから。


 廊下に出てもまだ、いまいましい拍手の音が遠くに聞こえる。


 僕は逃げ出すように窓枠に足をかけると、


空揚翼エリアルウィングス


 夜風の中に身を躍らせた。


 日が暮れて気温が下がったとはいえ、氷魔法で冷やされていた劇場内と比べると外の空気は生暖かい。


「オレリアンの計画が失敗したなら、修道院に戻っても意味ないよな」


 劇場裏の石畳に、すとんと着地してひとりごちる。


 サンロシェ修道院は岩山の頂上にあるせいで、肉体労働が本当にきついのだ。あれなら、瘴気の森近くの宿場町にあった教会で働いていたほうが、よっぽどマシだった。


「とりあえず魔石救世アカデミーに行ってみよう。ラピースラからのコンタクトがあるかも知れない」


 このとき僕はまだ、ラピースラの魂が本当にこの世から消えてしまったなんて知らなかった。また額に魔石を埋め込んだ一般会員に乗り移って、ひょっこり現れるんじゃないかと思っていたのだ。


 


 *




(オレリアン視点)


 舞台が終わっても涙を流し続ける僕を、父上は力強く抱きしめてくれた。


 なぜとめどなく涙が流れるのか、僕にはもはや分からなかった。


 悪霊にだまされていたことが悔しいのか? 自分の犯した罪を悔やんでいるのか? 聖剣の騎士ジュキエーレとレモネッラ嬢が救ってくれたことに感謝しているのか?


 歌とは、音楽とは、これほど美しいものだったのか―― それを知ったことが嬉しいのか?


 僕は今日初めて、歌声にどれほどの力があるのかを知ったのだ。


 ジュキエーレの話し声は涼やかで耳に心地よいものだったが、まさか歌うとあのように輝かしく純粋な響きになるとは、予想もつかなかった。


 義母上ははうえが歌手に夢中になる理由が、ようやく分かった。


 僕だって、オペラ台本を読んでみたことはある。義母上ははうえを理解したかったから。


 でも美辞麗句が並んだようにしか見えない詩も、大仰おおぎょうでリアリティに欠けるストーリーもくだらなく思えて、物語を味わうなら小説の方が何倍も優れていると確信するだけで終わった。


 だが今日、ジュキエーレが歌い出した途端、全てが変わった。


 彼の歌声は登場人物に命を与え、感情は聴く者の心へ訴えかける。耳から入って脳をゆさぶる快感は全身を駆け巡り、指の先まで興奮の渦が押し寄せた。


 僕は言葉にするより先に、感覚的に理解した。人族も亜人族も同じ心を持つ人間なのだと。僕の心は明らかに、彼の感情に共鳴していたのだ。


 歌詞はありがちな恋について歌ったものだったが、そんなことは関係ない。彼の大きな愛が、僕を包み込んだ。


 一瞬にして、僕がどれほど恐ろしい過ちを犯そうとしていたか、教えてくれた。


 舞台の上の音楽家たちへ、両手のひらが痛くなるほど拍手を送って、僕は彼らが舞台袖へ帰っていくのを見送った。


「父上、義母上ははうえ、本当に申し訳ありませんでした」


 オペラが終わってから、僕は二人に謝った。父上の侍従がカーテンを閉めて、ロイヤルボックス席はプライベートな空間になっていた。


「お前が正気に戻ってくれて、本当に良かった」


 父上は目に涙をためていらっしゃる。


 義母上ははうえは恐ろしげに身震いした。


「耳介に嵌められた魔石に、思考を操られていたのね」


「いいえ、あのような思考に至ったのは、僕が未熟だったからです。魔石は僕の恐れを音にして聞かせていただけだったと思います」


 腹違いの弟エドモンが眠そうに目をこすりながら、


「こうだったら嫌だな、と思う最悪のパターンが、現実に声として聞こえるということですか、兄上」


「そうだ。疑心暗鬼がそのまま人々の言葉になって聞こえてくる」


 僕の答えに、父上が頭を抱えた。


「操っているのと変わらぬわい」


「兄上、そのように危険な魔石を、アカデミー会員たちは皆、身体のどこかに埋め込んでいるのでしたね?」


 オペラが終わった途端目を覚ましたエドモンは、寝てすっきりしたのか冴えている。


 僕がうなずき、


「一般会員たちが額に埋めているのは量産品だが、幹部は一人一人異なる効果を付与した魔石を、身体のどこかに取り込んでいる」


 と説明すると、父上はますます絶望した。


「大変なことになったものじゃ!」


 義母上ははうえは夫に冷たいまなざしを向けた。


「国防を怪しい組織に任せたりなさるからよ」


 父上がアカデミーの開発した魔物を操る技術を利用しようと考えたのは、対岸の火大陸で火の精霊王不死鳥フェニックスから力を得た部族が、レジェンダリア帝国に攻めてくるかも知れないという近隣情勢に備えるためだった。


 エドモンは右手であごをなでながら、


「全員見つけて浄化しなきゃ危ないな。兄上、魔石救世アカデミーの会員名簿ってありますか?」


「幹部会員が管理していたはずだ。でも一人ずつ、聖剣の騎士に魔石を斬ってもらうのか? 一般会員も含めたらかなりの人数だぞ?」


「いや、レモネッラ嬢なら聖女の力でいっぺんに浄化できないかな?」


 エドモンは振り返ると侍従の一人に、


「帰ってしまわないうちに、レモネッラ嬢を探して呼んできてくれないか?」


「ちょっとやめてよ、エドモン!」


 非難の声を上げたのは義母上ははうえ


「こんなところで仕事の話? 野暮にもほどがあるわ。あなた歌劇の最中はずっと寝ていたくせに終わった途端、元気になって」


「いやそれはっ、ああでもっ、ジュキエーレちゃんが歌っているときは起きてましたよ!」


 エドモンは突然しどろもどろになる。


 義母上ははうえは侍女の一人に声をかけた。


「ミーナ、劇場スタッフの誰かをつかまえて、ここにジュキエーレを来させるよう命じてちょうだい。私、あの子を抱きしめたい気分だわ」


 彼がここへ来るのか。謝って済む問題ではないが深く謝罪しなければならない。そして素晴らしい音楽への礼も伝えたい。



─ * ─



次回はジュキエーレ視点に戻ります。

『興奮冷めやらぬ終演後』です!

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