80、スタンディングオベーション

「私はまだあんたを完全に信用したわけではないわ。皇帝陛下に近付くなら、魔力封じの術をかけさせてもらう」


 レモの言葉に、皇帝のすぐうしろに控える衛兵が、ほっと胸をなで下ろした。


 オレリアンは意外なほど素直に従った。


「レモネッラ嬢、ぜひ僕の魔力を封じてくれ」


「永続的なものではないから、明日の朝までには回復してると思うけれどね」


 付け加えてから、レモは聖なる言葉を詠唱する。


魔力封印マジアケーラ


 稲妻のような金色こんじきの光が放たれ、オレリアンの身体を取り囲む。その輪は急速に縮み、彼を締め上げた。


「うっ」


 オレリアンが小さく声を上げると同時に、光はその身に吸い込まれるようにして消えた。


「これでいいのか?」


「ええ。でもあなたの魔力量は結構多いみたいだから、寝るころには光明ルーチェくらい使えるようになってるかも」


 光明ルーチェは初歩的な光魔法で、手元を照らすだけなら必要魔力量も少ない。 


「魔力を封じる魔法があるなんて知らなかったのう」


 皇帝陛下は感心している。帝国で一番偉い立場にありながら、知らないことを恥じないのは人柄なのか、こんなだから安穏あんのん帝と呼ばれるのか……。


「陛下、この術は自分より魔力量の少ない者にしか使えません」


 そして相手が皇帝でも動じず講釈をたれるのも、さすがレモ。


「しかも光属性ですので、聖魔法にけた者でないと習得が難しいのです」


 光属性は聖魔法の一種に分類されている。


「なるほど。じゃから魔力量が多く聖魔法に通じた聖ラピースラ王国に伝わっておるということじゃな」


 満足げにうなずく皇帝に横から皇后様が、


「そろそろ舞台を再開させますわ」


 静かに圧力をかけた。


「じゃあ俺、戻ります」


「うふふ、ジュキエーレさん。とっても素敵よ」


 皇后様が上品でありながらつやっぽい微笑を向けてくれる。


「あ、ありがとうございます」


 素直に礼を言うと腕の中のレモから、刺すような視線を感じた。


 皇后様は満足そうにほほ笑んだまま、


「貴族も庶民も大喜びね。衣装も似合っているし」


 そこは嬉しくねーよ、と内心で毒づきつつ、俺は舞台へ向かって大きく羽ばたいた。


「俺たちの天使様が戻ってきた!」


「聖剣の美少女騎士様の帰還だ!」


 観客たちが手を叩いて喜ぶ。


 ちきしょーっ、すっかり聖剣の騎士=美少女説が浸透してるじゃねえか!


 レモを二階一番ボックスに戻してやってから、俺は舞台袖に降り立った。


 幕の間から共演者のもとへ戻ると、


「おかえり」


 ささやき声でファウスティーナが迎えてくれた。


 最初のうちこそライバル視されていたようだが、リハーサルを重ねるうち、俺を弟分と思ってかわいがってくれるようになったのだ。


 翼と角を魔法で消すと、すかさずファウスティーナが背中のボタンを留め直してくれる。


「ずいぶん甘やかしちゃって」


 進行表片手に近付いてきた舞台監督が、小声でからかった。


「うらやましいの? アタシの妹みたいでかわいいでしょ」


 えっ!? 弟じゃないの!?


 放心状態で立ち尽くしていたら、舞台監督に肩を叩かれた。


「出番だよ」


 いいもん俺、舞台の上では男役なんだから! オルフェオは美声の持ち主だけど、正真正銘の男だもんね!


 舞台に出ていくと、書き割りは最初のシーンと同じ森の風景に戻っていた。オルフェオはエウリディーチェを連れて、死の国から地上へ戻って来たのだ。


 フレデリックがリハーサルと変わらないアイコンタクトをして、俺を落ち着かせてくれる。


 最後の曲を、俺はすがすがしい気持ちで歌い始めた。


「――僕は見ている

 いま君と共に――」


「――あなたと共に――」


 ファウスティーナが三度上のフレーズを重ねる。


「――花々が咲き誇る野原を

 晴れ渡った空から降り注ぐ陽射しを――」


 俺の歌に呼応するように、


「――なんという幸せ――」


 ファウスティーナが歌いあげた。


 二人、手を取り合って見つめ合ううちに、空からはまた雲に乗って愛の神が降りてくる。


「――お前たち二人を祝福しよう――」

「「――愛の神を称えよう――」」


 俺たちは三度でハモりながら答える。高いほうを歌うのはいつもファウスティーナ。彼女の声は高音でもなめらかで、しっとりとした質感を保っている。共演するうちに、素晴らしいテクニックの持ち主なんだと気付かされた。


「――愛ゆえに死の国へおもむいた勇敢な若者を

 愛ゆえに夫を信じた心強き妻を――」


 背中に偽物の白い羽をつけた愛の神が、左手に弓矢を持ちながら歌う。軽やかで愛らしいソプラノの声が、コスチュームにもよく合っている。


「――お前たちは私に栄光の月桂冠を与えた――」

「「――愛の神を称えよう――」」


 俺たちがまた声を合わせて歌うと、精霊ニンフと羊飼いの姿をした合唱歌手たちが楽しそうにたわむれながら、両袖から舞台に出てきた。


「――恋する若者たちよ

 あなたがたが流した涙は

 二人の絆をより強くするだろう――」


 彼らは歌いながら俺とファウスティーナを舞台の前方に押し出してゆく。


 愛の神は前面に雲のついたかごに乗って、俺たちの頭上につり上げられ、静止する。


 最後はみんなで歌う混声四部の合唱曲だ。


「「「――愛の神を称えよう

 すべての神々を祝福しよう――」」」


 歌詞がなんとなく聖魔法教会っぽいんだよな。俺は一応、精霊教会の洗礼を受けてるけど、まあこまかいことは言わずに歌っている。


「「「――あらゆる人々が

 われらが住まう

 美の帝国につかえるように――」」」


 締めくくりはレジェンダリア帝国を礼讃らいさんする内容。皇后様がいらっしゃってこその舞台だし、台本作家が彼女に胡麻をするのも当然だな。


 オーケストラの華やかな合唱が終わると、ホール中を割れるような拍手が満たした。


「良かったぞぉ!」

「ブラーヴィ!」


 口々に叫びながら立ち上がる観客たち。迫り来る熱気に圧倒される。


 舞台袖から「嘆きの川の渡し守カロンテ」役のバス歌手と、クロリンダに衣装を貸してくれた「冥界の女王プロセルピナ」役のアルトの女性歌手がやってくる。最後のシーンは地上だったから、「死の国」の登場人物である二人は合唱に加われなかったのだ。


 愛の神もかごから降りてきて、ソリスト五人で手をつないで挨拶する。


 真ん中にいるのはもちろん俺。みんなが笑顔でたたえてくれて、やりきった感がすごい! 劇場で歌うってこんなに気持ちいいんだ! 教会なんか目じゃないぜって気付いちまったな、俺。


 いい気になっていたらフレデリックが舞台上に上がってきて、俺の前に立った。あーん、そんなとこ立ったら観客が俺の尊顔を拝めないだろ!?


「マエストロ、ブラーヴォ!」


 客席から賞賛の声が聞こえる。


 うん、あんたの曲はどれも本当に綺麗だったよ。


 同感同感とうなずいていたら、フレデリックが俺を振り返って肩に手を回した。そのまま俺を抱き寄せながら、舞台前方へ歩いて行く。


「歌姫ちゃーん!」

「天使さまーっ」

「聖剣の騎士さまぁぁぁ!」


 悲鳴のような声に混ざって、誰かの叫び声が聞こえた。


「ジュリアちゃーん!」


 なんでその名を知っている!?


 動揺を押し隠しながら、俺はぐるりとボックス席を見上げて手を振り続けた。


 下手しもてのボックス席を見上げようとしたとき、


「せーのっ」

「「ジュキちゃーん!!」」


 元気な少女の声が重なった。レモとユリア! 思いっきり本名呼んでるし!


 苦笑をこらえながら見上げると、ボックス席から二人が身を乗り出して、ぶんぶんと両手を振っている。そのうしろでは師匠が嬉しそうに手を叩き続けていた。


 みんなの祝福を受けて、俺はこの上ない幸せに包まれた。ちょっといい気になっちまったけど台本作家や作曲家、オケの皆さんに共演者、そして道具方に衣装係、スタッフ全員の協力があってこそ俺は主役を演じられたんだ。支えてくれた人々にも、聴きに来てくれたお客さんにも本当に感謝だな。




 ─ * ─




次回は『素晴らしい歌声は全てを変える』

前半サムエレ視点、後半オレリアン視点でお送りします!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る