78、破壊された魔石

 エウリディーチェ役のファウスティーナとの二重唱デュエットを歌い終わった俺は、彼女の手を引いて舞台袖に下がった。


 舞台にはすでに、雲のかごに乗った愛の神が降りて来ている。もちろん彼女は本物。ユリアではない。


 舞台袖の暗がりで、用意された木の椅子に座って舞台上から漏れ聞こえる愛の神の叙唱レチタティーヴォを聴いていると、途中から男の怒鳴り声が混ざり始めた。となりに座っているファウスティーナと顔を見合わせる。


 誰かヤジでも飛ばしているのか? 


 二人で首をひねるうち、平土間席プラテーアから悲鳴が聞こえ出す。


 また魔物!? いやでもラピースラは倒したし―― 分からないが何か、異常事態が起こったんだ!


 とにかく立ち上がり、幕の間から客席をのぞいた俺が見たのは、次々と平土間席プラテーアに落下する騎士団員たち。


 反射的に天井を見上げると、シャンデリアに取りついた人影が、ロイヤルボックスに向かって何か叫んでいる。


 皇后様たちが危ない! 行かなくちゃ!


 ワンピースの肩ひもから腕を出そうとしたとき、


「背中のボタン外すわよ」


 うしろからファウスティーナの声が聞こえた。


「この子の剣を持ってきて」


 彼女が振り返って声をかけると、道具方が三人がかりで運んだ聖剣を手渡してくれた。抜いた鞘だけ彼らに返し、翼を広げる。


「ありがとう! 行ってくる」


 みんなに礼を言って飛び立ったとき、


「ふふ、綺麗な子」


 ファウスティーナのつぶやきが聞こえて、首から上が熱くなった。


 舞台ではまだ音楽が続いていて、愛の神が歌っている。劇場の人間って心臓に毛が生えてんのか?


「父上、あなただけ特別に、亜空間へ送る前に終わらせてあげましょう」


 シャンデリアの上で、男が楽しそうに宣言した。


 この声、修道院にいるはずのオレリアン第一皇子!?


 俺はめいっぱい翼を羽ばたいて、ロイヤルボックス前へと向かう。


 客席の悲鳴に混じって、下からは騎士団長らしき男の怒号も聞こえる。


 ロイヤルボックスの中では衛兵が皇帝を守ろうと前へ出ようとするのを、皇帝自ら腕を伸ばして制し、衛兵の手から剣を奪おうとしていた。 


「さようなら、父上!」


 飛び来るオレリアンと皇帝の間に舞い上がった俺は、彼が向けた風の刃を聖剣で払った。


「――――!」


 うしろで息を呑む音、それから、


「私のジュキエーレ!」


 悲鳴のような皇后様の声。


 彼女を振り返る余裕はない。俺は全神経を集中する。風魔法を操って浮かんでいる皇子に――


「貴様は聖剣の騎士!」


 オレリアンの言葉に上下左右のボックス席から、


「やっぱり聖剣の騎士は本当に女の子!」


「オレリアン皇子が言うんだから間違いないわ」


 貴族たちのささやき声が聞こえてくる。


 オレリアンはぎりぎりと歯ぎしりし、恨みのこもった両眼で俺をにらんだ。


「醜い竜人め! 変装して劇場にひそんでいたとはな!」


「俺べつに醜くないし」


 たった今ファウスティーナさんが綺麗って言ってくれたし。


「うるさいぞ! 爬虫類の分際で、どこまでも邪魔しやがって!」


 ふわりと浮かんで、斬りかかってきた。だが浮遊魔法をコントロールしつつ風の剣を生み出しているせいか、その剣さばきに以前のキレはない。


 横薙ぎに振るわれた剣を防いだ流れのまま、聖剣を逆袈裟に振り上げる。


「どこ狙ってやがる!」 


 楽しそうに叫んだ皇子の顔色が、一瞬にして白くなった。


 聖剣の切っ先がかすめたのは、彼の耳介に嵌まった魔石。


「なんてことをっ!」


 オレリアンは片手で耳を押さえた。


「聞こえない! 何も聞こえない!!」


 その顔が絶望に引きつる。


「僕はまたあの音のない世界に閉じ込められるんだ!! 誰がどこで僕の悪口を言っているかも分からない! 皆、僕をあざけっていたと知ってしまったのに!!」


 これはいくらなんでも可哀想だ。だが誰も皇子をあざけってなんかいないと思うんだよな。


「氷の結晶よ、いましめとなれ!」


 結晶の連なった鎖を生み出し、皇子を縛る。


「貴様、何をする!?」


 また皇帝に斬りかかられちゃ、たまんねえからな。


 俺はそのまま真っすぐ舞台の方へ飛んだ。


「レモ、回復魔法であいつの聴力を戻せるか?」


 二階一番ボックス席にいるレモに空中から尋ねる。


「は? なんで私があの小憎らしい皇子を治してあげなくちゃいけないのよ?」


 彼女の怒りももっともなんだけど。


「ラピースラの魔石が耳介に埋まってただろ?」


「操られていたとでも言うの?」


 批判的な口調ながら、彼女は俺の方へ手を伸ばした。翼を羽ばたきながら彼女を抱き寄せたとき、


「充分にありえる話でしょう」


 師匠がうなずいた。


「仕方ないわね。こぶしであいつの鼻は砕いてやったし、耳くらい治してあげてもいいわよ」


「ありがとう、レモ。君はいつも本当に優しいね」


 彼女のこめかみに、そっと唇を近づける。


「それはジュキでしょ」


 いまだツンとした物言いだったが、レモは聖なる言葉を唱えだした。


「癒しの光やんごとなき者抱擁せしとき、命のともしびよみがえりて、今再び明々あかあかと燃えたり」


 さっきラピースラに向けて大きな聖魔法を使ったばかりなのに、また涼しい顔で魔法を構築するレモの魔力量は、やっぱり特別だ。


燦爛さんらんたる聖煌せいこうよ、我がねがい叶えたまえ」


 聖なる言葉を唱えるレモを抱えたまま、皇子のすぐうしろまで移動した。


聖恢復輝燦リナシメントシャイン!」


 白くまぶしい明かりがオレリアンの頭部を包み込む。目にするだけで心があたたかくなるような光で、イーヴォの放つ攻撃的な光魔法とはまるで違う。


「な、なんだ!?」


 オレリアンは氷魔法に拘束されたまま振り返ろうとした。


「聖魔法だと!?」


 あたたかい光に包まれて気が付いたのだろう。


「グハハハハ! まさか回復魔法で僕の耳が治るとでも!?」


 オレリアンの哄笑こうしょうが、絵画に埋め尽くされた劇場の天井にこだまする。


「愚か者めが! 数えきれないほど多くの魔法医が、幼児の頃から僕を診てきたのさ! 誰一人、治せなかったがな!」




─ * ─




レモネッラ嬢の聖魔法は、誰も治せなかったオレリアンを救えるのか!?

次回『聖女の力』です!

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