77★オレリアン第一皇子の真実【初のオレリアン視点】

(オレリアン視点)


 サムエレがボックス席の扉を開けると、魔石の残っている片耳にだけ、サンロシェ修道院で毎晩聞こえたすきま風のような音が聞こえてきた。


 ゴゥゴゥピィピィと気分が悪くなる。音の聞こえる方向から、それが帝都民のもてはやすオペラとやらだと気付いた。


 重なり合う複数のゴゥゴゥがオーケストラで、耳障りなピィピィ音がソプラノとかいう歌声だろう。


 サムエレに続いてボックス席に足を踏み入れると、ほかの席からコソコソとささやく声が無数に聞こえてきた。


『オレリアン皇子ハ馬鹿者ダ』

『あんな愚カナ皇子が生マレルとは、レジェンダリア帝国も終わったナ』

『廃嫡、廃嫡、グヒヒヒヒ』


 魔石を奪われたもう一方の耳には何も聞こえない。永遠に続く砂漠のように、静寂が広がっているだけ。


 ラピースラの作った魔石を埋め込むまで、僕はずっと音のない世界で生きてきた。だから知らなかった。これほど人間の心が醜かったなんて。


 かつて僕の心は、波の立たない湖面のように静かだった。だが音の聞こえる世界に降り立った途端、透明な湖にはどす黒いインクを流し込まれ、不快な波に乱されるようになった。


 だがそれも今日で終わりだ。


 新しく僕の作る帝国では、やがて全ての臣民が額にラピースラ製の魔石を埋め込むようになるだろう。醜い心のまま生きるなら、何も考えられなくなったほうがよい。


睡魔スリープ


「ごくろう」


 サムエレが二人の客を眠らせたのを見届けてから、僕は空中遊泳の呪文を唱え始めた。


聞け、風の精センティ・シルフィード。汝が大いなる才にて――」


 ボックス席の陰に身をひそめていたサムエレが、はっとして手すりのほうに駆け寄った。落っこちそうなほど身を乗り出すその背中に、僕は呪文詠唱を中断し、


「何をしている?」


「どうして? なぜだ?」


 サムエレは、わなわなと震え出した。


『アア、僕は選択ヲ誤ったノダ。僕がイルベキハこの美しい劇場。ナゼこんな醜悪な男のトナリニいなければナラナイ?』


 その声は、修道院の古い椅子がきしむよう。


「ジュリアさん……」


 呼びかける相手は、片思いの相手か何かか?


『君を手に入れるタメニ僕ハ、コノ頭の足りナイ男と行動を共にシテいるンダ』


 くそっ、ついにこいつも本性を表したな。


『僕の人生、終わッタ……』


 家具がこすれあうような音でそう言うと、サムエレは布壁に背中をあずけたまま崩れ落ち、その場に座り込んだ。 


「サムエレ、お前は全てが終わった後で侍従に取り立ててやろうと思っていたが、考えが変わった」


『お前ナンカの味方になラナければヨカった』


 サムエレはまったく口を動かさずに言った。


 音の魔石を得てからしばらく、僕は人の口の動きと言葉が時々合わないことに戸惑ったものだ。人々は唇をぴったり合わせたままでも、呪詛の言葉を吐き続けるのだ。その光景は異様だった。


 ただラピースラと、彼女に魔石を埋め込まれたアカデミーの者だけは、口を開いたときにのみ、言葉を発した。


『オレリアンよ、僕を殺したいナラそうスレバよい』


 恍惚とした表情で、口もとを動かさずにサムエレは告げた。その目は僕を見てはいない。


『僕ハ決して痛みヲ感じヌ』


 口の中で呪文を唱えると、


睡魔スリープ


 サムエレは自分に魔法をかけて目を閉じた。


 ここで怒りに任せてこいつを殺すことは簡単だが、無意味だろう。どうせ劇場中の者が僕の生み出す亜空間に閉じ込められ、一生出て来られないのだから。 


 僕はもう一度、空中遊泳の呪文を唱え始めた。舞台では中年女と銀髪の少女が二重唱を歌っているが、片方はピューピューうるさいすきま風、もう一方は窓ガラスを閉めるときのキーッという音にしか聞こえない。


 まあ、すきま風やガラスのきしみ音が分かるようになっただけ、ラピースラの魔石応用技術には感謝だがな。


 小石をかき混ぜたような音を出す不快なオーケストラの音がやむと、客席が拍手と共にはやし立てた。


『こんな素晴ラシイ音楽もオレリアンには聞コエマい!』

『芸術ヲ理解シナイ憐れな皇子!』

『オレリアンは帝国から追イ出セ!』


 ボックス席に陣取った貴族たちも口々に僕の悪口を言っている。どの声もきしむような耳障りな音だ。耳介に魔石を埋める前、書物で女の声は高いと読んだのだが、実際は差なんて分からない。


 どいつもこいつも馬鹿にしやがって。


 僕は悔しさに歯ぎしりしながら、風魔法で舞い上がった。眼下にひしめく帝都民どもが見える。五階ボックス席の貴族たちが気付いて、こちらを指差す。


 ああ、醜悪な人間どもめ、お前たちなど滅んだらいいんだ!


 この魔石を埋め込まれる前、僕は純粋だった。無知だったから。


 人を憎むことも恨むことも知らなかった。父も弟も、従者たちも僕を助けてくれる存在だと信じていたのだ。


 時々考える。あの頃に戻れたら幸せなのか?


 だがそれは出来ない。もう知ってしまったから。


 まずはこの帝国を掌握し、全ての人間に魔石を埋め込む。だが反発する者もいるだろう。特に辺境の亜人どもは力で抵抗してくるはずだ。アカデミー会員のように自ら人形になる者ばかりでないことは、僕にも想像できる。だからその前に侵攻して消し去る。


 今日ここで消える父上たちと同様にな!


「フハハハハハ!」


 僕はシャンデリアに取り付いて、大声で嘲笑してやった。


「僕には聴こえないオペラなんかで楽しむ者は全員不敬罪だ!」


 ボックス席の貴族どもが僕に気付いたようだ。舞台では作り物の羽を付けた女が弓矢を手に何か演じているが、僕に気付いた者たちはオペラどころではない。


「あれはオレリアン殿下ではないか!?」

「サンロシェ修道院にいらっしゃったのでは!?」

「なぜ劇場に!?」


 意外とまともな叫び声をかき消すように、


『聞こえないクセニ何をシニ来たんダ』

『帰レ帰レ』

『ココハお前の来るトコロではナイ』


 虫の羽音のように音ではない音が、頭に響いてくる。ただでさえ不愉快な虫に羽音があると知ったのも、この魔石のおかげか。


「よく聞け、愚か者どもめ!」


 僕はホール全体を見渡し睥睨へいげいした。


「さんざん僕を愚弄ぐろうし、あまつさえ罪びとに仕立て修道院へ送り込んだこと、後悔させてやる!」


 僕の声に答えるように、四方八方から魔法騎士団の者どもが風魔法で飛んでくる。おかしいぞ? こいつらは全員、ラピースラが片付けたのではなかったか?


「くそっ、聞け、風の精センティ・シルフィード――」


 僕は彼らを迎え撃つべく、呪文を唱えた。


疾風剣ラファルソード!」


 魔法で生み出した風の剣が、僕の右手の中に現れる。


 向かい来る魔術兵たちをよく見ると、彼らは剣を抜いていない。僕を舐めているのか?


 理由はすぐに分かった。


風鎖封ウインズカテーナ!」


 兵士の手に現れたのは、相手を捕縛する風の鎖。僕の命を奪う気はないってことか。甘いな。


「わが魔力よ、風を斬り裂け!」


 狙いは兵士どもがまとった風魔法。疾風剣ラファルソードを一閃する。


 シュッ!


「うわぁ!」


 右へ左へ風の剣がひらめくたび空中遊泳の術を解かれて、兵士たちは平土間席プラテーアに真っ逆さま。落ちながら必死で、再度呪文を唱えているようだ。


「騎士様たちが落ちてくるぞ!」


 愚民どもも大騒ぎだ。


「ククク、愉快愉快!」


 僕は次から次へと魔術兵を落下させてやった。


「やめるのだ、オレリアン!」


 だがそこへ響いた太い声。


 父上か。僕を利用するだけ利用して修道院送りにした元凶だ。


 最初は僕がアカデミーに関与すると眉をひそめていたのに、魔石研究がモンスターの兵器転用を可能にすると知った途端、僕に外部理事になるよう勧めてきたのだ。ラピースラと魔石救世アカデミーを監視しコントロールせよというのが王命だった。


 なのに最後の最後で僕を裏切り、罰を与えたのだ!


「あなたの運命は、ここにいる有象無象うぞうむぞうと共に亜空間で野垂のたれ死ぬことなんですよ!」


「なんと恐ろしいことを――!」


 亜空間と聞いて父は愕然とした。


「騎士団よ! なんとしてもオレリアンを止めるのじゃ! 多少の怪我は仕方がない!」


 平土間席プラテーアに向かって大声で命じる。


 うっとうしいな、この男。自分じゃなんにもできないくせに。


「父上、あなただけ特別に、亜空間へ送る前に終わらせてあげましょう」


 僕はシャンデリアから離れると、風の剣を構えてまっすぐ父上のいるロイヤルボックス席へ降下してゆく。


「陛下をお守りしろ!」


「飛べ、飛ぶんだ! 兵士ども!」


 下からは騎士団長だか師団長だかの怒鳴り声が聞こえる。風魔法が使える者はさっき、ほとんど再起不能にしてやったからな。この愚帝を守る者はいないだろう。


「さようなら、父上!」


 剣先が父上の首に――


 ゴウッ!


 風のうなる音が響いて、僕の剣は防がれた。目の前で透明に輝く剣を構えて浮かんでいるのは、本物の翼を生やした真っ白い姿。


「貴様は――」


 長い銀髪をなびかせた少年の、濃いエメラルドの瞳をにらみつける。


「聖剣の騎士!」




 ─ * ─




お待たせしました! 聖剣の騎士ジュキエーレの登場です。

次回『破壊された魔石』

耳介に嵌められた魔石を破壊されれば、皇子は正気に戻るのか?

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