73、奏楽の天使がつるぎを手にする時

 ラピースラがクロリンダに乗り移ったあと、野生の本能だけ残ったケルベロスが客席の方に飛び降りたのは知っていた。が、俺の攻撃で相当弱ったあとだ。魔法騎士団も、ノルディア大公国の衛兵たちもいるから大丈夫だと思っていた――


 イーヴォの目くらまし魔法が収まってから振り返った俺が見た光景は、動けない兵士たちと壁に叩きつけられたニコ、追いつめられたイーヴォの姿だった。


「俺が行くしかねえな」


 イーヴォたちに背を向けていた上、距離もあったから幸い俺の目はくらんでいない。ロイヤルボックス席を見上げると、皇后様がひとつ大きくうなずいた。


 正体がバレても構わないから戦えってことだ。


 皇后様は、お気に入りの歌手が男だと知られるリスクを受け入れたんだ。俺だって、聖剣の騎士が女装して歌っていたと後ろ指差される覚悟を決めよう。


 ワンピースの肩ひもを下ろすと同時に背中の翼を顕現させる。うまいこと角は生やさないようにしたかったが、身体にかけた封印はいっぺんにとけて、肩から枝分かれした透明な角が顔を出した。あーあ、どう見ても半分魔物だ、俺。


「天使だと!?」

「羽、本物みたいだな!」

「歌姫ちゃん、まさか天使族!?」


 亜人地域にそんな種族はいない。客席のざわめきをすぐ下に聞きながら、精霊力で生み出した氷の剣をたずさえ、客席後方のケルベロスめがけて飛ぶ。


「ショルダーアーマーから角が生えてるのはなんだろう?」


「衣装さんの趣味だろ」


 ショルダーアーマーなんか付けてないって。完全に観劇気分の客にちょっとあきれつつ、イーヴォを襲っているケルベロスの黒い背中に迫る。


 筋肉が隆起した巨体を、並みの攻撃ならはじいてしまう剛毛が覆っている。


つどえ、水をべし白竜の力よ!」


 最大級の精霊力をこめて、氷の剣を振り下ろす。


 氷の刃が魔獣の背に触れると、淡い光が黒い瘴気を消し去ってゆく。


「グオォォォ……」


 ケルベロスが怒りの咆哮を発して、後ろ足で立ち上がる。


 禍々まがまがしい巨体は黒い煙を吐き出しながらしぼんでゆき、ついにはどす黒くけがれた魔石を残すだけとなってしまった。


「た、倒した!」

「本物のモンスターみたいに消えたぞ!?」

「これ、マジのヤツなんじゃないか!?」


 庶民が総立ちになって騒ぎ出す。貴族たちまでボックス席から落ちそうなほど身を乗り出している。


「この魔石は証拠品として持ち帰る」


 師団長が指示を出すと、一人の魔法騎士が進み出て、風魔法を操って触れずに魔石を回収した。


 観客にも兵士たちにも怪我人を出すことなく、ケルベロスを倒せたのだ。ほっとして、氷の剣を構成する水粒子を虚空へ返したとき、


「歌姫ちゃんの上半身裸、見られてラッキーだったな」


 誰かが興奮を必死で抑えるかのような、ささやき声で叫んだ。


 野郎の裸見て興奮するな。大体もう男だって分かったんだから、歌姫ちゃんはやめてくれよ。


 ため息つきつつ、イーヴォとニコが衛生兵に回復魔法をかけられているのを見届け、もう一度翼を広げる。だが飛び立つ寸前に聞こえた声に、俺は愕然とした。


「もうちょっと発育してるかと思ってたよ」


「ああ、完全につるぺたとはな。微乳を期待していたんだが」


「あと三年、いや、五年くらい待たなきゃダメか」


 嘘だろっ!? 上半身裸で観客の頭上を飛んだってのに、男バレしてない!? 


 翼を広げたまま呆然と立ち尽くす俺の耳に、


「あんな幼いのに歌うまくてすごいよな!」


「本当だとも! 応援したくなるね!」


 盛り上がる人々の声が届く。


 俺は完全に無表情で、もう一度翼を羽ばたいで舞台へ向かった。


 もう、どうとでもなれってんだ。


「あの羽、どういう仕組みなんだろう?」


「浮遊魔法だろ?」


「でも羽ばたいて見えるじゃん」


「やっぱり本物の天使なんだ!!」


 おいおい、先祖返りした白竜の末裔だと見抜けないのは仕方ないが、せめて年齢と性別くらい察してくれよ!


 舞台に降り立って初めて気付いたが、フレデリックはいまだチェンバロで即興演奏を続けていた。ほかの楽団員が恐れおののきながらケルベロスを眺めていても、彼だけは演奏に集中していた模様。


 ようやくオペラの本筋に戻れると思ったとき、大道具の「冥府の門」の前で、クロリンダがよろよろと立ち上がった。


「大丈夫か、クロ――」


 言いかけて、彼女と目が合った俺は言葉を飲み込んだ。虚無をのぞきこむようなくらいまなざし――クロリンダの目じゃない!


「ぐっ……」


 紫に変色した唇から呪いの吐息が漏れた。


「嘘っ――」


 小さな悲鳴はすぐ上の二階ボックス席から。レモが息を呑んだのが伝わってくる。彼女の強力な浄化魔法を浴びても、ラピースラの魂は執念で地上にしがみついているのだ。


「おとなしく消えてなどやるものか!」


 かみしめた歯の間から、怨恨えんこんにどす黒く染まった言葉が吐き出された。


「この人間にしがみついて、誰も彼も苦しめてやる!」




─ * ─




執念で、浄化されず消えないラピースラ。

さて、どうする!?

次回『ラピースラは現世にしがみつく』

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