71、「切り札」の使いどころ
「お、重い……!」
剣を握る両腕が痙攣し始める。氷剣は精霊力で練り上げているから折れることはないが、俺の筋力が限界かも――
「おぬしのようにちっぽけな
「俺はっ!」
渾身の力を込めて押し戻す。
「小さくもねえし、
怒りに任せて叫ぶと、俺の周囲に
「ギャッ!」
ケルベロスは腹を刺す痛みに耐えかねて、うしろにひっくり返る。魔獣の巨体はオケピに落ちそうな舞台すれすれで、なんとかバランスを保っている。
その姿にどよめく客席。しかし漏れ聞こえる会話は――
「あの歌姫ちゃん、なかなか複雑な性自認なんだな」
「いや、きっと役に入り込んでるんだろ」
「女優としてのプロ根性か!」
お前ら色々と誤解しまくってるんだよ!
だがそれもこれも元はといえば、皇子が俺を帝都に連れて来いなんて依頼を出したせい。そしてさらに原因をたどれば、全ての元凶はこいつ! ラピースラなんだ!
あおむけになったケルベロスは起き上がりざま、口から氷の欠片をぺっと吐き捨てた。俺がさっき嵌めてやったやつだ。思った以上に早く溶かしやがった。
俺は舞台袖近くまで後退し、
「来いよ、犬っころ」
挑発に乗って、体勢を立て直したケルベロスが迫り来る。
「水よ、床を覆って凍りたまえ!」
床を這い進む薄氷が、踏み込むケルベロスの脚をとらえる。
つるんっ
「ヒャウッ」
狙い通り足をすべらせた獣が悲鳴を上げた。俺から意識がそれた一瞬のすきに、
「汝が体内流れし水よ、絶対零度に迫りてあらゆる動き静止せよ!」
「ガッ」
ケルベロスの動きが止まった。
「体内、から、凍らせる、だと?」
女の首が、寒さに歯をガチガチと鳴らす。
「す、すぐに、炎で、溶かしてみせるわ」
その首筋も頬も、みるみるうちに霜で覆われていく。
「それまであんたが乗り移ってる、その人間の部分が持つかな?」
「くっ……」
よし、計画通り追いつめたぞ。
オケピのフレデリックに視線を送ると、オーケストラが奏でていた戦いの音楽が止まった。
それを合図に舞台上の鉄扉が開く。
扉のうしろから現れたのはクロリンダ嬢。ただし冥界の女王プロセルピナの衣装を身に着けている。
「おーほっほっほ!」
「アハハハハ!
ラピースラは狂った笑い声を残して、ケルベロスの身体から抜け出ると、予想通りクロリンダに乗り移った。
クロリンダが運よく舞台に出てくるわけないだろ。本物の冥界の女王役は今も楽屋で待機中だよ。
フレデリックが即興でチェンバロを奏でる音に混ざって、
「我らを
舞台の
ラピースラが浮かべていた余裕の笑みは、一瞬で凍りついた。
「この聖魔法は――」
つぶやいたその唇から血の気が引いてゆく。気付いたのだろう、クロリンダの身体から抜け出せないことに。
まだオペラの続きだと思っている観客たちはひそひそと耳打ちし合う。
「どうしたんだ?」
「セリフ忘れちまったのかな」
「
レモの唱える聖なる言葉だけが無情に流れ続ける。
「我を陥れたな!?」
ラピースラの顔は憎しみに歪む。
だがすぐに世間知らずな箱入り娘の顔に戻り、
「ようやく気付きましたの? オホホホホ!」
聞き慣れた高笑いを披露した。
「放せ! 抱きつくでない!」
「逃がしませんことよ!」
同じ唇から二つの言葉が紡がれる。
一人芝居をするかのような彼女の姿に、観客はあっけにとられている。
「汝に
レモの聖魔法に恐れをなしたラピースラは、舞台中央に据えられた鉄扉の前で身をよじると、舞台袖に向かって走り出した。まさか物理的に逃げるつもりか!? 慌てて追おうと足を踏み出したとき、
ドスン!
二階一番ボックスから、愛の神役のコスチュームに身を包んだユリアが飛び降りてきた。
「逃がさないもん!」
すかさず怪力で押さえ込む姿に観客は、
「愛の神、第一幕に出てきたのと同じ歌手か?」
「あんなぷにぷにしてたかな?」
疑問の声をかき消すように、レモが最後の言葉を唱えた。
「今全てを無に
「くっ、放せ!」
「
二階ボックス席からまばゆい光が放たれ、ユリアとクロリンダの身体を包み込んだ。
そして同時に、
「
一番聞きたくなかった怒鳴り声と共に、客席から強烈な光が発せられた。
─ * ─
次回、びっくり2度目があったよイーヴォ視点『俺様がモンスターを倒してやんよ!【イーヴォ視点】』です。
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