三、偽聖女との最終決戦

70、ケルベロスが現れた!

 第二幕が始まった。


 舞台には重々しい金属製の扉が鎮座している。実際は木の板に塗料を重ねて古びた鉄扉を表現しているのだが、「冥府の門」のおどろおどろしい雰囲気がよく出ている。


 オーケストラが奏でる激しい器楽曲を聴きながら、舞台袖で出番を待っていた俺の耳に、観客の興奮した声が聞こえた。 


「ケルベロスだ!」


「すげー! まるで本物じゃないか!」


 慌てて袖幕に駆け寄ると、客席後方に凶暴な狼の目を光らせた三つの獣頭が見えた。噛みしめた黄色い牙の間からよだれをしたたらせ、獰猛どうもううなり声を響かせる。


「見ろよ、ケルベロスの背中から演者の頭がのぞいてるぜ?」


「ほんとだ。いまいちだなあ」


 獣の背中には女性の胸から上が埋まっていた。額に魔石が光っているところを見ると、身寄りのない一般会員でも犠牲にしたのだろうか? 本当に許しがたい団体だ。


「あわれな衛兵どもめ、おぬしらの命はもうないぞえ」


 女の首がしゃべった。どこかで聞いたことのある口調だ。


「ちゃんと歌えー!」


「セリフ普通にしゃべるなよ」


 観客の突っ込みに、


「黙れ」


 女の首が一喝し、獣の頭がぐわっと口を開けた。喉の奥に見えるのは火の玉!?


「凍れる壁よ!」


 俺は舞台袖から、観客を守るため遠隔魔術で氷の結界を張った。


 シュッ


 虚しい音を立てて火の玉は、氷壁に吸い込まれるように消滅した。


「結界じゃと!? この早さ、無詠唱か!?」


 まさかその口調、ラピースラ・アッズーリ?


 女の首がきょろきょろと平土間席プラテーアを見回しながら舞台に近付いてくる。


「遠隔で水魔法を巧みに操るとは、ただの人間とは思えぬ!」


 衛兵たちは矢を射かけたり魔法を仕掛けたりと挑むものの、観客が多すぎて思うように攻撃できないようだ。たまに魔獣まで至っても、ことごとくケルベロスの大口に呑み込まれてしまう。三つの頭がそれぞれ別方向を向いて、巧みに防ぐのだ。


「まさか水の精霊王の末裔が、衛兵たちの中に混ざっておるのか!」


 女の首と三つの獣頭が四方をくまなく見渡し、


「そこじゃな!?」


 オケピ脇に立っていた銀髪の衛兵めがけて、炎の玉を吐き出す。


強化凍護インカンタートフリーレン!」


 だがそこはさすが鍛え抜かれた兵士。手にした盾に氷魔法を付与して防ぎきる。


 なおも衛兵に飛びかかろうとする背中に向かって、俺は攻撃を仕掛けた。


「水よ、はしれ!」


 動物的本能で気配をとらえたのか、もっともステージに近い一頭がこちらを振り返った。 


 だが遅い。


 バシャーン!


 一頭が火を吐こうと口を開けた瞬間、水をかぶった。


「凍てつけ」 


 間髪入れずに命じると、あんぐりと口を開けたまま凍りついた。


「まずは一頭!」


「まさか――」


 女の首が振り返る。集中力がそれたと見るや衛兵が斬りかかるが、残る二頭のうち一頭から炎で撃退される。


 その間も女の首は、舞台袖に立つ俺を袖幕のすき間から見据えたまま。


「聖剣の騎士が女子おなごじゃったとは!」


 ――は?


 その言葉に騒ぎ出す観客。


「聖剣の騎士って今、帝都を訪れてるっていう――」


「その正体が、あの歌姫ちゃん!? 劇のセリフじゃなくて!?」


「聖剣の騎士は女騎士だったのか!」


 うるさいぞ、客席。


 ラピースラめ、妙な混乱を生みやがって許さねえっ!


 俺は頭にきて舞台中央に躍り出た。


「水よ、かの者の頭、包みたまえ!」


 ラピースラを窒息させるべく水球を放つが、


 ゴオォォォ!


 獣頭が即、火を吹いて水を蒸発させた。やはり獣を封じるのが先か。


「クハハハハ! 今の我は魔獣の身体能力と人間の頭脳を有しておるのじゃ! 精霊王の力を受け継いでいようとかなうまい!」


 勝ち誇るラピースラ。観客はちょっと不安げに、


「あれ、着ぐるみだよなぁ?」


「まさか本当の魔獣!?」


「有り得ないな。しゃべるモンスターなんて聞いたこともない」


 ケルベロスは衛兵たちの攻撃をいなしつつ、俺のいる舞台へ飛びかかろうと体勢を低くする。一瞬無防備になった隙をついて、


「水よ、やいばとなりて我が意のままに駆けよ!」


 前へ跳ぶはずだったケルベロスは、うしろにのけぞって何とかよけた――つもりだろうが甘い! この刃は俺の意のままに駆けるんだよ!


 ケルベロスのうしろへ飛んだ水の刃が、向きを変えて戻ってくる。


 避けるのは無意味と悟ったか、また蒸発させようと口を開けたところへ、


「そこだぁっ!」


「ゴブッッ!」


「凍れ!」


 大口を開けたところに鉄砲水が飛び込み、そのまま凍りついた。


「二頭封じたぞ!」


「悪あがきをしおって。溶けるのは時間の問題じゃ!」


 女の首が叫ぶと同時に、舞台に向かって高く飛ぶケルベロス。予想以上の跳躍だ。瞬発力も封じてえな。


「凍れるつるぎよ、我が手中へきたれ!」


 ケルベロスが着地する瞬間をねらって、右手に剣を出現させる。身を低くかがめて、獣の太い足をぐ――が、切っ先がわずかに届かない?


「伸びろ!」


 またたくまに虚空から出現した水分子が凍り、手にしたつるぎは長剣へと変じる。


 届くはずのない間合いだとたかくくっていたケルベロスは、


「グワッ」


 慌てて飛びのくが、遅かったな。左前脚の先が黒いかすみとなって消える。


「貴様、よくも我が器に!」


 女の首が怒りに顔を歪ませると同時に、残った最後の獣頭が、今までにないほど大きく口を開く。喉の奥に見えるのは燃え盛る巨大な火球。


「劇場は火気厳禁なんでね」


 俺は迫り来る身の丈ほどの火の玉に、氷剣の切っ先を向けた。


「絶対零度!」


 空気中の水蒸気全てを限界まで冷やす。俺を飲み込むかに見えた火の玉は、熱を奪われて虚空で霧散した。


「次はこっちから行かせてもらうぜ!」


 床を蹴って舞台の手前へ走る。獣頭が炎球を吐くには、ためがある。でかければでかいほど、その時間は長くなる。


 次の攻撃が来る前に、俺は跳躍した。


 氷剣に精霊力を込め、女の額に嵌まった魔石めがけて振り下ろす。


「グガア!」


 だが叫び声は獣の頭から上がった。自ら女の首の前へ出て、剣を受けたのだ。精霊力を叩き込まれた獣頭は消滅したものの、女の首は無傷だ。


「ちっ」


 ケルベロスの足元に着地した俺の目の前で、黒い毛に覆われた巨木のような足が振りあがる。ケルベロスは後ろ足だけで、その巨体を支えていた。


「くそっ!」


 とっさに剣で受け止めるが、


「お、重い……!」


 このままじゃあ踏み潰されちまう!!



─ * ─



ジュキくん、ピンチ!?

単純な力勝負は苦手な彼、どう反撃するのか!?


次回『「切り札」の使いどころ』です。あの人の登場?


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