67、公演中の襲撃

「出て来たわよ、新人歌姫ちゃん!」


「髪ほどいてるの、かわいいわぁ!!」


 庶民も貴族も口々に話し出すが、聞こえて来るのは俺にとって不名誉な言葉ばかり。


「やっぱり女の子じゃねえか。お前が賭けた銀貨、全部俺のもんな」


「ま、まだ分からないだろ!? 見て確かめたわけじゃねえんだ!」


 俺の性別を賭け事のネタにするなよ!


 よし、演技に集中しよう。


 フレデリックがレチタティーヴォの合図となる和音を弾く。


「――悲しみ?――」


 第一声を発した途端、閉まっていたボックス席のカーテンがさっと開いた。


「――苦しみ?

 それこそ今の僕を表す言葉

 この心を覆い尽くすもの――」


 レチタティーヴォが終わると、そこらじゅうのボックス席から感嘆のため息がもれる。


「なんて純粋な響き。心に染みとおるわ」

「あの悲しげな表情がたまらないのよ!」

「そそられるわね、美しい顔が苦痛に歪んで」


 扇子の陰でささやき合う声が、オーボエが切々せつせつと歌う旋律のうしろから聞こえてくる。俺ばっかりオペラグラスでねらってないで、うれいを帯びたオーボエのメロディを聴いてー!


 悲しげなオーボエの前奏に心を浸していると、劇場後方の扉が音もなく開き、ローブを着てフードを目深まぶかにかぶった者たちが、ぞろぞろと平土間席プラテーアに入って来るのが見えた。


 開演時間に間に合わなかった客か?


 いや、そんなはずはない。平土間席プラテーアは満席で、背もたれのない木のベンチには押し合うようにして庶民が並んでいるんだ。


 客席に背を向けてチェンバロを弾きながら、頭の動きで指揮をしているフレデリックは気付かずに曲を先へ進めていく。


 前奏が終わる。俺にできることは――


 歌い続けよう。あの怪しいやつらに歌声魅了シンギングチャームをかけてやる!


「――いとしき人を失って佇むは

 永遠とわに明けぬ宵闇の只中ただなか――」


 ゆったりとした八分の十二拍子、ト短調のアリアだ。下がってゆくベースラインが切なくて、胸を締め付けられる。


 ゆったりとブレスを取り、得意の十六分音符を披露すると、


「おや、テクニックもあるじゃないか」

「さすが皇后様のお気に入りだ。お目が高いな」


 耳の肥えた客たちも俺を認めてくれたようだ。


 ローブ姿の者たちは歌声魅了シンギングチャームにかかって目的を忘れたのか、劇場内を右往左往し始めた。当然平土間席プラテーアの客たちが気付き始める。


「うおっ、ビビらせんなよ!」

「なんだこいつら?」


 オーケストラも異変に気付いたが、演奏は続いている。


 A部分を歌い終えると間奏のあいだに道具方が、俺のうしろで川の波を表現した木の板と、偽物の舟を用意し始めた。


 俺は得意の泣かせる表現で、客たちの不安をやわらげようと心に決めた。


 B部分は最初の四小節だけ長調に転調し、幸せだった記憶がよみがえる。


「――我が青春にして命だった人――」


 だが光のあとに訪れる闇は、一層暗い。


「――のこされた僕には

 あなた方が治める死の国こそふさわしい――」


 不安をかき立てる半音階のフレーズを歌い終えると、そこかしこのボックス席からすすり泣く声が聞こえてきた。それと同時に、


「くぅっ、俺がお嬢ちゃんを抱きしめて、なぐさめてあげたいっ!」


 などと言い出すおっさんの声も聞こえる。


 いまだローブ姿の者たちは夢遊病者のように客席の間をふらついていたが、


「あれじゃねえか、死の国にいる亡者もうじゃども」


 気の利いた推測をした客のおかげで、


「ああ、黙役エキストラか。ずいぶんった演出だな」


 ざわついていた客席はつかの間の平静を取り戻した。


 だがダカーポ前の間奏で、一人のローブ姿がオーケストラピットに落っこちた。ふらりと立ち上がったローブ姿が舞台を目指しているように見えたのか、


「どこへ行くつもりだ」


 ガンバ奏者が長い弓の先をローブに引っかけた。


 はらりとフードが取れて、男の顔があらわになる。


「魔石――」


 俺は口の中でつぶやいていた。


 額に嵌まったそれは、魔石救世アカデミーの一般会員である証。


 ――ってこたぁ狙いは俺? だが歌声魅了シンギングチャームをかける前から、舞台上で歌う俺をねらう動きはなかった。


「あの亡者、オルフェオにつかみかかる役か?」


「いまいち迫力にかけるっつーか」


「演技ヘタクソだよな」


 客たちはエキストラだと思い込んでいる様子。


 魔法を使って一般会員を凍らせることは簡単だが、俺の正体がここにいる全員にバレるリスクを伴う。それは皇后様もお望みではないだろう。ちらっとロイヤルボックスを見上げると、皇后様も息を詰めて見下ろしているようだ。


 そこかしこに見える衛兵たちも状況を見守っているのは、演出だと信じている観客を驚かせないためか? 満員の劇場で観客が恐慌をきたしたら、事故につながりかねないもんな。


 だが間奏が終わる直前、また最後尾後方の扉が開いて、今度はぞろぞろとオーガが入ってきた!


「キャーッ、魔物だわ!」


 どこからか悲鳴が上がったものの、


「ずいぶん精巧に作られた着ぐるみだな。地底に住む怪物役か?」

「今シーズンは気合が入っていますな」


 楽しんでいる客が大半だ。


 しかし、通し稽古で本来の演出を知っている楽団員たちは震え出した。


 ああ、最後まで歌い終わらぬうちに曲が止まってしまう――


 深いため息がもれたとき、


「音楽を止めるな!」


 フレデリックがチェンバロを弾きながら、叱咤激励した。


「あの子の歌声には不思議な力が宿っている。魔物暴走スタンピードだって鎮めたんだ。アリアの続きを歌ってもらおう!」


 チェンバロさえ止まらなければ、音楽は先へ進み続ける。


 フレデリックは舞台上の俺を見て、力強くうなずいた。


 ――まかせて!


 俺は心の中で答えて目線で合図を送ると、ダカーポのA部分を歌い始めた。


「――いとしき人を失って佇むは

 永遠とわに明けぬ宵闇の只中ただなか――」


 見張りの衛兵たちに襲いかかっていたオーガたちが、動きを止めた。


「オルフェオの歌が地底の怪物を魅了しているぞ!」

「今回の演出、臨場感あって楽しいな!」


 平土間席プラテーアの客は大盛り上がり。


 装飾を加えて走句アジリタを成功させると、そこかしこから拍手が聞こえてきた。


 オケピを越えたすぐそこでは、すっかり戦意喪失したオーガが立ち尽くしている。そいつめがけて一人の衛兵がマジックソードを振り上げた。が、うしろから近付いた上官が彼の肩に手を置いた。


「待て。殺さずに捕らえるんだ。魔石が嵌まっているから証拠品になる」


 その言葉通り衛兵たちは、氷魔法や風魔法でオーガたちを拘束し始めた。アカデミーの魔物が劇場を襲ったことを理由に残党を狩るってわけか。


 アリアを歌い終わった俺は、まだ後奏の演奏が続く中、観客たちの歓声に包まれながら舞台袖に引っ込む――はずだった。


「今度はもっとでかいのが襲ってきたぞー!」

「中に三人くらい入ってるんじゃないか?」


 なんだって?


 舞台袖からのぞいた俺は、その化け物の名を口にしていた。


「キングオーガ!?」


 まずい。もう俺のアリア、終わっちゃったぞ!?




 ─ * ─




次回『俺たちの作戦と切り札』4月5日に更新します!

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