二、オペラ『オルフェオ』
62★計画始動
夕日が石造りの建物を桃色に照らし出す。橋の上に並ぶ魔力燈が運河に光を落とし、揺らめいている。
帝都の下町にある武器屋の店先からは、中年夫婦の言いあう声が聞こえていた。
「それじゃあアンタ、店じまいは任せたよ! アタシは一足先に劇場に向かってるからね!」
「なんでぃお前、ずるいじゃねえか」
「今朝、誰が店を開けたと思ってるんだい? 大体、今夜は初日なんだから早いとこ行かなきゃあチケットが売り切れちまうよ」
店から出ようとした女房の袖を、武器屋の店主がつかんだ。
「なにも初日に行かなくったっていいじゃあねえか。皇后様のお慈悲で帝都民はいつでも銀貨一枚で
「ほんとありがたい話さ! 銀貨一枚なんてちょいと呑んだら終わっちまうんだからね」
「そりゃお前が酒飲みだから」
ギロッとにらまれた店主は慌てて、
「いやほらでも絹織物ギルドや宝石職人ギルドは、前の皇后さんときのほうが羽振り良かったらしいけどな」
と話を変えた。
「ふん、そんな一部のギルドにだけ金が回ったってなんにも面白くないよ。こうしてみんなに娯楽を提供してくれるってのは、素晴らしいじゃないか」
言い終わるが早いか武器屋のおかみさんは、そそくさと表通りへ向かって歩き出した。
「行っちまいやがった。ちょいとばっかし早いが、もう閉めるか」
「おいボサッとしてねえで、表に並べてある盾を店内に戻してくれ。俺は売上を計算しないといけねえ」
壁ぎわに立つ全身鎧の脇を通り、安物の剣を何本も放り込んだ樽を避けて、店主は番台に腰を下ろした。
「まずは銀貨が――二十枚、三十枚」
夕方の日差しは店内まで届かない。手元を照らすランプの灯りを頼りに、店主はぶつぶつと数え始めた。
額に魔石の埋まった息子が足音も立てずに番台に近付き、店主の頭に手のひらをかざす。
「
白髪交じりの頭が、ごつんと番台に落ちた。
「グー、グー」
すぐにいびきが聞こえ始める。
「鍵はこれだったかの」
武器屋の息子は陰気くさい女の口調でつぶやくと、店主が首から下げた革ひもを外そうとする。重い頭を持ち上げてなんとか鍵を手に入れた息子は、壁に立てかけてある梯子を上って、吊戸棚の上の木箱に鍵を差し込んだ。
「これじゃこれ。オリハルコン製の剣よ」
金細工で飾られた鞘からそっと抜くと、うす暗い店内に硬質な青銀の輝きがまたたいた。
「あの袋にでも入れていくかの」
梁に打った釘にかけてある革袋に剣をしまうと――
「亜空間収納か。我の時代と比べると便利になったのう」
オリハルコンの剣は袋の口から飛び出すことなく収まった。
「まだちと早いかの」
鎧戸のあいだから暮れゆく空を見上げて、ぽつりとつぶやいた。
サンロシェ修道院の上空を海鳥が旋回している。潮の引いた浜で貝を取っていた子供は、
「母ちゃん、鳥さん」
修道院のほうを指差した。
「ああカモメが飛んでるんだろ」
「見ないで分かるの?」
「だって甲高い鳴き声がするもの」
海からはゆったりとした波音が、空からはカモメたちがせわしなく鳴き交わす声が聞こえてくる。
「母ちゃん、人みたいのも飛んでるよ」
「ハーピー便じゃないのかい」
母親は砂浜をひっくり返して貝を探すのに忙しく、空を見上げもしないので、子供は口をとがらせた。
「違うよ、もっとおっきいの」
母親はようやく手をとめて、修道院の上空に目をこらした。海から湿った潮風が吹いてきて、母親のフードをなびかせた。
「獣人騎士が操るロック鳥かね?」
「翼なんて見えないよー」
だが母親の視線はすぐに、手元へ戻ってしまう。
「早く仕事してくんな。潮が満ちちまうよ」
そのころサンロシェ修道院では、オレリアン第一皇子の部屋に若い修道士が訪れていた。
「食器を下げに参りました」
オレリアンは修道院でも元の身分に応じた、それなりの扱いを受けていた。世話係は同時に見張りでもあるのだが。
「いらっしゃらないのですか? それともお休みになられましたかな」
修道士は合鍵で扉を開け、室内に足を踏み入れた。
テーブルの上には食べ終わった食器が置いてある。
「そういえば今夜は夕食後に湯浴みをされるとおっしゃっていたか」
修道士は食器を重ね部屋を出ようとして、ふとベッドを振り返った。
何か違和感を覚えたが、何も変わっていないような気もする。
小首をかしげ、修道士は部屋を出て行った。
─ * ─
今回散りばめた謎の答えは次回分かります!
武器屋の息子はなぜ父親を眠らせたのか?
サンロシェ修道院の上空を飛んでいた、翼のない何かの正体は?
オレリアン第一皇子はどこへ行ったのか?
次回『魔力封じの魔装具VSオリハルコンの剣』お楽しみに!
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