60★栄光のハゲ術士、クロリンダ嬢から逃げまわる

 オペラの稽古もだいぶ進んだある午後のこと、イーヴォは宮殿内に与えられた部屋で目を血走らせていた。


「ニコ、お前はそっちの扉をふさげ!」


 指さしたのは、クロリンダ嬢の部屋へ続く内扉。取っ手が神経質に動き、鍵穴からはガチャガチャと騒がしい音が聞こえる。


「ウッキィィィ! どうして開かないのよ!」


 扉の向こうから叫ぶクロリンダの声におびえながら、ニコは呪文を唱えた。


顕巨岩グランルペス!」


 でーんと現れたのは、ニコの身長を優に超える巨岩。扉の前に陣取り、びくともしない。


「でかしたぞ、ニコ!」


 イーヴォは机や椅子でバリケードを作って、廊下に続く扉の前に積み上げている。


「イーヴォさん、人生最大のモテ期到来ですね」


 ニコのお気楽発言に、汗の流れる額に青筋を浮かべるイーヴォ。


「んだとてめぇっ!?」


 振り上げたこぶしは、隣の部屋からヒステリックな声が聞こえてきて、なかばで止まった。


「ちょっとそこにいる侍女! どうしてこの内扉、開かないのよ!?」


「クロリンダ様ぁ、きっと開けられないように、隣の部屋から押さえているのだと思いますわぁん」


 かすれた男の裏声がしなを作って答えたので、イーヴォは身震いした。危険なクロリンダにか弱い女性を仕えさせるわけにはいかないというエドモン殿下のお優しいご配慮により、今も女装した騎士団員が代わる代わる侍女のふりをしているのだ。


「隣の部屋にはアタクシに求婚したイーヴォがいるのよっ!? 扉を押さえているわけないじゃない! アタクシに会いたくて会いたくて震えているわ!」


 いまだほどけない誤解の糸に、イーヴォの汗にぬれた顔が青ざめてゆく。


「ではクロリンダ様ぁ、廊下から回ったらいかがかしらぁん?」


「言われなくてもそうしますわ! 分かっているのよ、あなたたちのうち誰かが、アタクシの美しさに嫉妬して働いた悪事だってことは!」


 クロリンダの叫び声が移動して、廊下に出たことが分かる。


 せっせと椅子を積み上げるイーヴォの耳に聞こえたのは――


「ッキィィィッ! こっちも開かないわ! ああっ、お可哀想に! 身分の低い、小汚い竜人族は、宮殿でこんな扱いを受けるのねっ!」


「ぐっ、ぐやじいっ!!」


 イーヴォは唇をかみしめて、なんとか怒鳴り返したいのをこらえた。


「アタクシはどんな身分の方にも等しく慈悲を与えて差し上げますわ!」


 偉そうなことをのたまう甲高い声が遠ざかってゆく。イーヴォは疲れた顔で安堵のため息をついた。だがそれも束の間――


「イーヴォさん、窓から来ましたよ!」


「えっ!? だってここ二階――」


 窓の方を振り返ったイーヴォは凍りついた。昆虫のように両手両足で壁にへばりつき、小さなバルコニーへ降り立とうとするクロリンダが見えたからだ。細いバルコニーにはゼラニウムの鉢植えが置いてあるから、人が降りられるようなスペースはない。


「ニコ、そいつを外へ突き落とせ!」


 命令するなりイーヴォは窓に背を向け、廊下に出る扉の前に積み上げた椅子や机を必死で移動どかし始めた。


「よっしゃ逃げるぞ、ニコ!」


 振り返ったイーヴォが見たのは信じられない光景だった。


「ニコてめぇ、なんでその女を部屋に入れてんだよっ!?」


「だってイーヴォさん、おいらたちが受けた依頼はクロリンダ嬢の護衛ですよ? ケガさせたらヤベェんじゃねえスか?」


 ニコは大理石の手すりに立ったクロリンダに、手を差し伸べながら正論で返した。


「なんでお前この頃、俺様にたてつくようになったんだ? えぇ? 前は何言っても賛同するばかりだったじゃねえか」


「いやーある日、疑問が浮かんだんスよ。帝国一の冒険者パーティになるはずだったおいらたちが、なんでいっつも地下牢にいるんかなって」


「そりゃおめぇジュキのせいよ。あいつが何だか知らねえが企んでんのよ」


 雲をつかむようなイーヴォの答えに、ニコはクロリンダを支えながら、


「ジュキにそんな頭ありますかね?」


「分かんね。でもほらいつも一緒にいやがるレ――レなんとかっつーのが悪知恵働くんじゃね?」


「レモネッラね」


 答えたのは部屋に入ってきたクロリンダだった。その血走った両眼に浮かぶ執念の色に、


「ひえっ!」


 イーヴォの口をついて悲鳴が漏れた。


「アタクシたちは共通の敵を持つ者同士――」


 両手を前に伸ばし、ゆらりと近付いてくる。


「うわぁぁぁっ!」


 イーヴォは叫んで廊下へ駆け出した。 


 茶器を運ぶメイドの脇をすり抜け、衛兵の前を走り、やみくもに逃げる。


「キャッ!」


 すれ違った貴婦人が悲鳴をあげ、


「おい、何があった!?」


 兵士の問いかけも無視して、イーヴォはカサカサと追いかけてくる足音から必死で逃亡した。


「素直になってぇぇぇ!」


 背後から意味の分からぬクロリンダの声が迫ってくる。


「おいニコ、ついてきてるか?」


 振り返るが子分の姿はない。


「なんであいつ、いねぇんだよ」


 クロリンダに追いかけられているのはイーヴォだけだから当然なのだが、幼少の頃から手足だと思っていた弟分の変化に、一抹いちまつ哀惜あいせきを覚えるイーヴォだった。


「ハァ、ハァ、ここまでくりゃあ大丈夫だろう」


 開け放たれた扉から空中回廊へ出る。大理石の手すりをつかんで身を乗り出すと、下を流れる川から涼しい風が吹き上げて、バンダナの端を揺らした。


「歌が―― 聴こえる」


 風に乗って届く歌声を探して、回廊の真ん中あたりまで歩いてみる。


「この声、どこかで……」


 記憶をたどるが思い出せない。元来、音楽に興味などないのだ。ただなつかしく甘い気持ちがこみ上げてくる。


「ああ見えた。貴族の女どもが集まってやがるな」


 少し離れたところにもう一本、空中廊下が通っており、その向こうに広間が見えた。開け放たれた窓から大きなカーテンがあふれ出し、風を含んで広がる。


「あの鍵盤楽器弾いてんの、レなんとかじゃねーか」


 そのかたわらで譜めくりをしているのは、子犬のような耳を生やした少女。


「あいつも知ってるぞ。ってことはジュキの奴もいるんじゃねーか?」


 目をらすも、


「女だけか」 


 イーヴォはククッと笑いをもらした。


「そりゃそうだよな。俺様たち庶民があんな貴族連中に混ざれるわけねえ」


 特にハープを奏でる女性は、遠くからでも分かる圧倒的な威厳を放っていた。


「あのおばさんが一番偉そうだな」


「皇后陛下よ」


「ゲュヴォッ!?」


 振り返ったイーヴォの口から言葉にならない悲鳴が押し出された。


「ななななんでお前がここに! クロリンダ!」




 ─ * ─




美しい貴族女性たちのアンサンブル。歌っているのは誰なんでしょう?


次回、美しい歌声の効果かイーヴォとクロリンダ嬢の心が束の間、通じ合うようですよ。

『聖剣被害者の会、ここに結成?』お楽しみに!

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