57★第一皇子の逆転計画

 空中庭園に降り立ったのは、眼鏡をかけたブロンドの青年だった。耳が尖っているところを見ると亜人族だろう。


「修道士か? なぜ空からやって来たのだ」


 廊下の扉から入ってこないのはおかしいし、聖魔法教会の修道院に亜人族がいるのも不自然だ。オレリアンは身構えた。


「殿下、お初にお目にかかります。私は最近、見習い修道士となったサムエレ・ドーロと申します。アカデミー代表の指示を受け、殿下の連絡係を務めることになりました」


 アカデミー代表と聞いて、オレリアンは息を呑んだ。


(ラピースラ・アッズーリは生きていたのか?)


 一瞬で数百年の時を経たかのように、ミイラの如く干からびた女の遺体を思い出す。


 オレリアンは目の前の若者を疑って、試してみることにした。


「アカデミー代表は、どのような手段でお前に指示を与えたのだ?」


 だが質問には質問が返ってきた。


「あの方は他者に乗り移ることができるのですか? 会うたび別の人間となって、私に指示を出すのです」


「自称、千二百年前の大聖女だからな」


 オレリアンはラピースラの言葉を完全に信じているわけではなかった。


 だがラピースラが、魔石を額に埋めた一般会員に乗り移ることができたのは事実だし、時おり身体から離れて情報を集めてくることもあった。


「千二百年前の大聖女というと、まさかラピースラ・アッズーリですか?」


 金髪の青年は見事言い当てた。


「よく知っておるな。お前は聖ラピースラ王国の者ではあるまいに」


「隣国ですからね」


 青年は短く答えてからひざまずいた。


「殿下、何か必要なものがあればお申し付けください。出来る限りご用意させていただきます」


「この隔絶された島でどうやって?」


「方法はございます。サンロシェ修道院は完全な自給自足ではありません」


 こんな岩山では満足に作物を育てられないからだろう。オレリアンは黙ってうなずき、先をうながした。


「この島を訪れる商人にもアカデミーの会員はおります」


「その者に乗り移ってラピースラがやってくるというわけか」


 オレリアンの言葉に見習い修道士はうなずいた。


「それなら情報が欲しい」


「どのような?」


 青年の問いに、オレリアンは冷たい目を細めて声を低くした。


「皇帝、皇后、第二皇子、それから宰相と騎士団長。さらに法衣貴族たちまで――高貴な者が一堂に会する場はあるだろうか? 急ぎはしない。だが僕はチャンスを待っている」




 三日後、見習い修道士のサムエレは重い木箱を両手で運びながら、修道院の長い階段を注意深く降りていた。木箱の中ではガラスの小瓶同士が触れ合い、カチャカチャと高い音を立てている。修道士たちが作った商品――魔法薬だ。


 桟橋で待っていると、ほどなくして一艘の小舟が青い海面をすべって近付いてきた。


「仲介人のジョルジョーニさんですね」


 サムエレが声をかけると、


「我じゃよ。分かるかえ?」


 ジョルジョーニだったはずの男はかいを操りながら、ざらついた声質に不釣り合いな女の口調で問う。


 男の日に焼けた額を見ると、確かに魔石が嵌まっていた。


 海を渡る心地よい風に吹かれているのに、サムエレは暗闇に巣食う魔物でも見たかのように身震いした。


「今日はおぬしに伝言を頼みたい」


 仲介人の身体が覚えているのか、その人物は慣れた手つきで太い縄を放った。それは生き物のように宙を飛び、海面から伸びる杭に絡みついた。


「なんでしょうか」


 ふしくれ立った指が器用に縄を結ぶのを見つめながら、サムエレは平静を装って尋ねる。


「オレリアンは足首に魔力封じのアンクレットを嵌められておるだろう?」


「そうなのですか」


 サムエレはもちろん、そんなことは知らない。


「そのはずじゃ。騎士団の連中が話しているのを聞いたからな」


「はずす方法があるのですか?」


「帝都までくれば、な」


 青菜がめいっぱい詰め込まれた大きなかごを受け取りながら、サムエレが思案顔をしていたのは短い間だった。


「僕が空中遊泳の術で殿下を帝都に連れてゆくことは可能でしょうな」


「心強いのう。おぬしはさらに回復魔法も得意であったな」


「ええ、ちょっとした怪我くらいなら」


 腰ほどまでの高さがあるかごを二つ桟橋に下ろすと、サムエレは重い木箱を持ち上げて手渡した。


「僕からも質問があります。殿下が情報を欲しいとおっしゃって――」


 オレリアンの質問を伝えると、ジョルジョーニと呼ばれる男の姿をしたそれは即答した。 


「そんなことなら簡単だ。皇后劇場のオペラ公演がうってつけじゃよ」


「宰相や騎士団長まで観に来るのですか?」


 サムエレは、オペラ観劇など貴族の奥方様の趣味だと思っていた。


「宰相や騎士団長はもちろん、高位の法衣貴族たちは皆観に行くのじゃ。観ておかないと帝国の影の実力者である皇后と、話が合わないからね」


 貴族社会も大変なんだなと思いながら、首肯するサムエレに、


「すると彼らの部下たちも話題に乗り遅れまいと、興味のない者も含めて初日は一応顔を出すというわけじゃ」


 あざ笑うように語って、運び屋の姿をしたその人物は、杭に巻き付けてあった縄をほどいた。


 こちらに背を向けて遠ざかっていく小舟を見送りながら、サムエレは大きなかごを背負い、もう一方を胸に抱えた。陽光にあたためられた青菜から、カタツムリの糞を思わせるきつい匂いが立ちのぼる。


(修道士なんて楽な仕事かと思いきや、冒険者より汗をかくじゃないか)


 強い陽射しを反射して白く輝く岩肌を見上げて、サムエレは階段を上る前から心底うんざりした。




 一日の務めを終えたサムエレがオレリアンのもとを訪れたのは、修道院の早い夕食後のことだった。


 報告を受けたオレリアンは冷たい笑みを張り付けたまま、すぅっと目を細めた。


「悪くないアイディアだ。父上もエドモンもオペラなど関心もないくせに、皇后の手前、初日は必ず観に行っていたからな」


 何が楽しいのか、口の端に底冷えするような笑みを引っかけたままのオレリアンを残して、サムエレは中庭から風魔法で空へと舞い上がった。修道院の朝は早いのだ。肉体労働を免除されている皇子に付き合って、夜更かししている場合ではない。


 六月の日は長い。人目を気にしながら苔むした瓦屋根を越える。海の方を振り返ると、水色からピンクへとグラデーションを描く空に浮かんだ夕日が、静かに凪いだ海を黄金色に照らしていた。


 一人になった皇子は四方を建物に囲まれた中庭で、クククと低く笑った。


「運命の日はオペラ公演初日か。僕が全てをひっくり返してやる」




 ─ * ─



ジュキの晴れ舞台をぶち壊す計画を立てやがる第一皇子。

彼の策略は成功し、劇場は阿鼻叫喚の地獄と化すのか!?

それとも事前に食い止められるのか!?


次回に続くっ!

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