53、サンロシェ修道院に見知った顔が!?

 小舟がいかめしい修道院へ近付くと、まぶしい太陽は尖塔のうしろに隠れてしまった。水面から立ち昇るひんやりとした冷気が頬をなでる。


「城壁に囲まれてんの、要塞みたいじゃね?」


 首が痛くなるほど見上げていたら、腰に振動が伝わってきた。船の腹が桟橋に着岸したようだ。


「ろーじょーして戦えそうなのー」


 回らない舌で一生懸命、難しいことをしゃべるユリア。戦に関する単語は知ってるってどういう教育だよ、ルーピ伯爵家。


「政治犯を収容するのにぴったりね」


 安定して発想が怖いレモ。先に桟橋へ上がった俺が差し伸べた手のひらに、彼女は優雅に指先を乗せて桟橋へ足を踏み出した。


「ありがと、私の騎士さん」


 ふわりと腕の中に収まった彼女を優しく抱きとめる。


「お兄ちゃんたち細い桟橋でイチャイチャしてると危ないよー」


「そうそう、修道院の中でイチャイチャしないで下さいね?」


 ユリアと師団長から冷たい目を向けられた。


 迎えの修道士に先導されて、俺たちは終わらぬ石段を上り続ける羽目となった。


「魔石救世アカデミーの残党がっ――」


 息を切らせながらしゃべるレモ。黙ってらんねぇタイプだからな。


「皇子を手引きして、またかつぎ上げる可能性もあるかと思っていたけれどっ」


 ひたいに浮かんだ汗を手の甲でぬぐいながら、


「海と城壁と階段に守られていては、それも難しそうね!」


「我々は俗世から切り離された空間で日々、祈りに生きています。理由なく外部の者と接触することはありません」


 先頭を歩く修道士が答えた。


 天井が高い石造りの修道院に足を踏み入れると、外の日差しが嘘のように涼しい。長いあいだ修道士たちが己を律し、静かな生を積み重ねてきたせいか、冷涼な空気に心が引き締まる。


「なんかさむっ」


 外階段をのぼってかいた汗が一気に冷えて、胸の前でマントをかき合わせたとき、太い石柱の影から若い修道士が姿を現した。金髪ストレートの短髪に眼鏡をかけた――


「えっ?」


「どうしました?」


 案内役の修道士が振り返る。


「今、知り合いに似てるヤツが――」


 振り返るとすでにその男は姿を消していた。


「なんでもありません。あいつがここにいるわけないんで」


 俺は慌てて言いつくろう。


 建物内に入ってからもまた階段をのぼり、大きな窓からやわらかい陽射しの差し込む大廊下を進む。


「ねーねー、ずっと誰かついて来てるねっ!」


 ユリアが無邪気な笑顔で、背筋の寒くなるような発言をした。


「はぁ? 嘘だろ?」


「嘘じゃないよー。おっきな柱のうしろに隠れて、わたしたちのこと見てるもん」


 修道士も気になったのか一度うしろを振り返った。俺たちもつられて、アーチ形の天井が連なる大廊下に目をこらすが――


「誰もいませんよ、お嬢さん。もしかしたら聖霊たちが殿下を歓迎しているのかも知れません」


 柔和な笑みを浮かべて見下ろす修道士に、


「うん、そうかも! 皇子様がどこのお部屋に入るのか知りたいみたいだから!」


 ユリアはぴょんぴょんと跳ねながら元気に答えた。


「殿下の居室はこちらになります」


 分厚い木の扉を開けると、質素だが広々とした寝室、その向こうには整えられた中庭が見える。


「あれっ? 空中庭園!?」


 あんなに階段をのぼったのに、ここに地面があるのかよ。


「岩山に建てられた修道院ですからね」


 修道士の言う通りなんだが、ちょっと混乱するんだよな。


「お庭付きのお部屋、いいねーっ」


 ユリアがきょろきょろと室内を見回しているあいだに、騎士団員たちが眠ったままの皇子を木のベッドに寝かせた。


「この模様、魔法陣かしら?」


 レモが指摘したのは床に描かれたモザイク画。五つの頂点には宝石のようなものが嵌めこまれている。


「ええ、魔力を封じる力があるそうです。数百年前の古いものですがね。この部屋は代々使われ方をしてきたのでしょう」


 修道士はあきらめにも似たまなざしを、ベッドに横たわる皇子に向けた。 




 翌日、俺は宮殿の自室で歌の練習をしていた。レモがチェンバロで伴奏してくれて、ユリアはその横に立って譜めくりをしている。


 半ときほど歌ってから、


「なんか下の階、騒がしくね?」


 俺は窓から身を乗り出した。


「なんか姉がキーキーわめいてるわね」


 レモの言う通り、クロリンダ嬢のものと思われる金切り声が聞こえてくる。


「おなかすいちゃったのかなぁ?」


 首をかしげるユリアを無視して、レモはこぶしを作った。


「練習の邪魔になるから黙らせてくる?」


 俺が止めようとしたとき、


「レモネッラ嬢、いらっしゃいませんか」


 廊下から男の声がした。隣りの部屋の扉をたたいているようだ。


「レモならこっちにいますよ」


 廊下に出ると、男二人がレモの部屋の前に立っていた。一人はエドモン第二皇子の侍従、もう一人は昨日謁見の間で陳情していた帝都冒険者ギルドのマスターだ。


「ああよかった」


 こちらへ歩いてくる侍従の顔に、焦りの色が見える。


「クロリンダ嬢のことで、レモネッラ嬢にお尋ねしたいことがありまして」


「姉のことで?」


 部屋の中からレモが冷たい声を出す。姉の名を聞いた途端、不機嫌になるやつ。


「失礼します」


 俺に一礼してから室内に入った侍従が、


「突然ぶしつけな質問で申し訳ありませんが、クロリンダ嬢は婚約破棄されたのですか?」


 思いがけない質問に、俺たち三人は沈黙した。ややあってレモが首をかしげて、


「私は存じ上げませんが、なぜでしょう?」


 答えたのはギルマスのほうだった。


「実は今朝、冒険者ギルドに『乱視がひどくて生きている人間より悪霊のほうがよく見える』という冒険者が現れたんです」


 なんだその怪しい話は。


「で、その竜人族の男二人を宮殿に連れてきまして今しがた、クロリンダ嬢に護衛として紹介したのですが」


「姉が彼らを元婚約者だと?」


「はい。二人のうち赤いバンダナを巻いている男に対して婚約破棄だの、慰謝料がどうのと訴えられて」


 ギルマスの言葉を侍従が引き継ぎ、


「取り乱していらっしゃるので悪霊が取りいた可能性も考えて、魔力視できる者を呼ばせました」


「その必要はないわ。取り乱しているのが姉の個性だから」


 反応に困っている二人に、今度は俺が尋ねた。


「その赤いバンダナの竜人族、なんて名前?」


 ギルマスがすぐに教えてくれた。


「イーヴォ・ロッシでしたかな」


 また出たー!



 ─ * ─



次回『光魔法を操る偽イーヴォ?』

今回のイーヴォは一味違うようで? いや、そもそも本物?


イーヴォとクロリンダの関係は、

第二章「10★クロリンダ嬢、恋をするも一瞬で玉砕」

https://kakuyomu.jp/works/16817330649752024100/episodes/16817330651054582831

あたりに最初の物語があります!


その続きが同じく第二章「25★イーヴォは怯えて逃げ回る」となっております。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る