46★頑なな心は天使の歌声にとかされる【エドモン視点】

(エドモン皇子視点)


 初夏の風が木立を抜けて、薔薇の香を運ぶ。 


 風の精霊たちに誘われるように、僕はテラスを見上げた。もえずる若葉のただ中、大理石の手すりが陽射しを浴びて白く輝いている。


 そこに、ふわりと天使が舞い降りた。銀髪が風に舞い、淡い若草色のドレスが陽射しにとける。


 誰だ、あの可憐な少女は。


 僕のジュキエーレちゃんだ!


 出会ったときのツインテールより大人びた髪型のせいか、歳相応に垢抜けて見える。……ジュキエーレちゃんって十四歳くらいだったよな?


 髪型もドレスも母上の指示だろうか? 好きな子が母上の色に染められていくと思うと、僕の心にはさざ波が立つ。


 男装姿も魅力的だけど、やっぱり綺麗な恰好してほしいよな。変身過程を観察したかったのに、クロリンダ嬢を迎えに行くため去らねばならなかったのだ。


「ねえエドったら、アタクシの話、お分かりになって?」


 クロリンダ嬢の不機嫌な声に、僕の意識は茶会に引き戻された。


「あなたがアタクシを愛しているなら、アタクシの髪を切った妹のレモネッラと、あの銀髪の騎士を処刑してほしいの」


 姉妹そろって怖いなあ。これはやっぱりジュキエーレちゃんに女装してもらって正解だった。彼の歌に耳を傾けてくれたとは思えない。


「あークロリンダ嬢、あの二人はラピースラ・アッズーリを倒そうとしてやったことだし、処刑は重すぎないだろうか?」


「エドったら、アタクシより妹の味方をするんですの!?」


「そんなつもりではないさ。ただ――」


 僕はわざと言いよどんだ。


「ただ、なんですの?」


 クロリンダ嬢はいら立ちをあらわにする。僕は心を決めた演技をして、彼女の手を両手で包み込んだ。


「これは帝国の上層部しか知らない重要機密なんだ。でもクロリンダ嬢には打ち明けよう。僕の大切な人だから」


 テラスの上ではヴァイオリンが、ゆったりとした前奏を奏でている。ヴァイオリンの音色を聞くと子供の頃、母上がノルディア大公国から連れて来たヴァイオリニストに厳しい指導を受けていたことを思い出してしまう。師の神経質な目線が刺さる幻想を振り払って、僕は少し大きな声で宣言した。


「ラピースラ・アッズーリは破滅を望む闇に堕ちた大聖女。彼女を倒さなければ、この世界は滅ぶんだ」


 そう、これが僕の作戦。本当のことを打ち明けるという、作戦とも呼べないものだ。


「僕と君の未来も消えてしまうんだよ!」


 いや正確には、ラピースラが魔神復活を狙っていて、その魔神が世界を滅ぼすのだが、込み入った話をしてもクロリンダ嬢には難しいだろうから省略したのさ。


「そんな―― アタクシとエドの帝国が滅んでしまうなんて!」


 素直なクロリンダ嬢が僕の話を信じて両手で口もとを覆ったとき、ジュキエーレちゃんが歌い出した。


「――君の笑い声は消えてしまった

 この指先をすり抜けて

 青空の向こうへ――」


 悲しげな、それでいて夢見るような歌声。話し声より五度からオクターブくらい高い音域を歌っているせいか、下町の悪ガキのようないつものジュキエーレちゃんとは別人だ。こんな澄んだ声が出せるなら、普段からもっと可愛い声で、欲を言えば可愛い口調でしゃべってくれたらいいのにな。


「――僕は心に誓った

 君を取り戻すと――」


 ああでも強い表現をすると彼の声だな。凛とした響きが耳に心地よい。


 しっかし―― ジュキエーレちゃんの歌声は初めて聴いたが…… いやはや驚いた。プロ並みにうまいではないか。これは母上が夢中になるわけだ。


 母上が少年愛に目覚めたかと心配していたが、安心したよ。やはり母は音楽家にしか興味がない。だから楽才のなかった僕から、興味を失ったのだろうけれど。


「――心よ、奮い立て

 死の国へ降りるのだ――」


 ジュキエーレちゃんと目が合ったような気がして、僕の心臓がドキリと跳ねた。


 降りる、という歌詞に合わせて目線を下に向けたのか。心憎い演出だと頭では分かっているのに、エメラルドの瞳に魅入られて、僕ちゃんが女の子になってしまいそうだよ!


 不思議だ。君は少女の姿で歌っているのに、その心はやっぱり少年なんだな。


「――待ち受ける死の女神も恐れはしない

 僕にしかできないから

 君を愛しているから――」


 デクレッシェンドすると、彼の声がまたやわらかくなる。中低音域のあたたかい音色に、優しく包まれるようだ。


 楽器が後奏を奏でる。ダカーポアリアではなくアリオーゾだったらしい。僕ちゃんだって母上に叩きこまれたから、音楽について知らないわけじゃないのさ。


 強制されればされるほど、心は音楽から離れて行っただけで――。


「ああ、アタクシにしかできないことなのね」


 最後のチェンバロの響きも消えぬうちに、クロリンダ嬢が涙声で言った。


 忘れていたぞ、この令嬢のこと。


「エドを愛しているから、アタクシの心に恐れはないわ」


 今ジュキエーレちゃんが、そんな詩を歌っていたな。そうか、歌声魅了シンギングチャームにかかったのか。


「教えてちょうだい、エド。アタクシがこの身にラピースラの悪霊を宿して妹の極大聖魔法に打たれれば、この世界を救えるの?」


「その通りだよ、クロリンダ嬢。君の美しい勇気は未来永劫、語り継がれるだろう!」


「ああ、なんという運命!」


 大げさに泣き顔を作るクロリンダ嬢。むしろこっちがオペラだな。


「アタクシは犠牲になるの。世界を救って散る薔薇なのよ!」


 いや、実際は聖魔法や聖剣を受けて、クロリンダ嬢が命を落とすことはないのだが――


「アタクシは殉教する乙女!!」


 まいっか。最高潮に盛り上がってるし、そっとしておこう。


「待ち受ける死の女神も恐れはしないわ!」


 それもさっきジュキエーレちゃんが歌っていた詩だな。うん、僕も口添えしよう。


「ああ、美しきクロリンダ嬢。君は心まで美しい。君こそは全女性の憧れだ!」


「オホホホ、知っていてよ。アタクシは身も心も美の結晶ですもの」


 美の結晶は僕のほうさ。いや、ジュキエーレちゃんには負けるかな。


 自信を取り戻してくれてよかった。侍女たちに頼んで、彼女の妙なアシンメトリーヘアでも美しく見えるよう工夫してもらったのも功を奏したのかも知れない。女性自身が自分を美しいと信じられなければ、僕が何を言っても嘘になってしまうから。


「約束しますわ、いとしのエド。次にラピースラがこの身に乗り移ったときは、決して離しはしないと」


 クロリンダ嬢の瞳には、決意の炎が燃えていた。



 ─ * ─



次話『皇帝に陳情だ!第一皇子の罪をあばけ!』

しっかり根回しし、ばっちり準備を整えた上で再度、皇帝に直談判です!

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