45、今日のドレスは若草色

「袖無しの服に慣れるようにと、クリスティーナ様がご用意して下さいました」


 ミーナが広げて見せてくれたドレスは、完全な袖無しではないものの袖部分は繊細なレースでほぼ透明。胸のあたりは若草色で、下へ向かうにつれて色が薄くなっていく。


「腕のうろこ丸見えじゃん」


「ジュキエーレさんだけに見えてるんじゃないですか?」


 ミーナは俺の泣き言を適当にあしらう。


「俺、白しか着ない主義なのに」


 ほおをふくらませると、ミーナは意外そうに目を見開いた。


「えっ、どうしてですか? 確かにジュキエーレさんの純粋な雰囲気に白は似合っていますが、瞳の色に合わせてグリーン系も素敵ですよ?」


 あまりに自然に返されて、肌が白すぎるのが目立つから、とは言えなかった。似合うから着ていたわけじゃなく、コンプレックスから白しか選べなかったなんて、うしろ向きでかっこ悪いんじゃねーかって気付いちまったから。


「スカートのシルエット綺麗でしょう?」


 ミーナは自慢げだ。スカート丈はうしろの方が長くなっており、床に引きずるデザインだった。


「ま、これならクロリンダ嬢に俺とはバレないだろうけどな」


 相変わらず胸は平らだが、結んでいた髪をほどくと鏡に映るシルエットは中性的な少女のよう。クロリンダ嬢の目の前で歌うわけではないし、問題ないだろう。


「それじゃあ軽くお化粧を――」


「え、二階テラスで歌うんだろ? 下から見えないじゃん」


「いえいえ。舞台に立った時、お化粧して歌うでしょう? その予行演習ですよ。うふっ」


 なんだその笑いは。しかし言っていることは間違っていない。大体俺は押しに弱いから困るんだよな。


「ほらジュキエーレさん、ご覧なさい」


 ミーナが見せてくれたパレットの上には、金銀やベージュ、色合いの異なる緑系の粉が、キラキラと光を放ちながら並んでいる。


「うわぁ、綺麗」


「でしょ?」


「口紅?」


「そんなわけないじゃないですか。アイシャドウですよ」


 分かるわけないじゃん。


 侍女さんたちは俺を椅子に座らせると、小筆の先に軽く粉を乗せた。


「さ、目を閉じてください」


 やわらかい筆先がまぶたの上を踊る。ちょっぴりくすぐったいのを我慢していると、


「できましたわ」


 俺も慣れたもんで、鏡をのぞく抵抗感もずいぶん軽くなっている。


 白竜由来の白肌はそのままで、唇と頬にわずかな紅をいただけなのは、皇后様の指示に違いない。まぶたには光をまとったように銀の粉が降り、落ち着いた緑のグラデーションが陰影を作っている。


「……綺麗」


 そんな言葉が口をついて出て、俺は戸惑った。単純に、美術品を鑑賞するような感覚で、綺麗だと思ってしまったのだ。


 俺、ナルシストになったんじゃないよな? エドモン化してないよな!? これって正常な自己肯定感ってやつだよなっ!?


 そういうことにしておこう! だって、自分を醜い化け物だと思って生きるなんて、苦しいじゃんか。


「綺麗でしょう? 私たちもジュキエーレさんをいろどるお手伝いができて幸せですわ」


「最後に髪を結いましょうね」


 若い侍女さん二人が両側に立ち、横の髪を一束取って三つ編みにする。それをうしろへ持っていき、ミーナさんが留めてくれた。


「完成ですよ。そろそろテラスに移動しましょう」


 可憐な銀色の靴に履き替えて廊下に出ると、レモとユリア、師匠が待っていた。暇人か?


「ジュキ、綺麗!」


 レモが目を輝かせて駆け寄ってくる。


「ごめんな、また女の恰好で」


 自嘲気味に苦笑すると、


「ぜーんぜん! 私、帝国一美人なお嫁さんをもらえること、誇りに思っているのよ?」


「お嫁さん?」


「ん? 空耳じゃない?」


 あれ? お婿さんって言ったのかな?


 みんなでぞろぞろと、贅を尽くした華麗な宮殿内を移動する。迷路のように複雑なのは、運河で隔てられた島に建つ各宮を空中回廊で結んでいるからだろう。


「案内がなきゃぁぜってぇ迷うぞ、これ」


「お兄ちゃん、美少女のときはもっとかわいくしゃべろうねぇ?」


 くっ、ユリアにまでからかわれるとは!


 ようやくたどり着いたテラスは一階の屋根部分を利用した、いわゆるルーフバルコニーというやつだ。かなり広々としていて、俺が冒険者時代に泊まっていた宿屋の一室よりでかいんじゃないか?


 中央にチェンバロが置かれ、弦楽器の皆さんがその周りを囲んでチューニングしていた。


「誰かと思ったらジュキエーレくん!」


 テオルボ奏者のおっちゃんが俺に気付いて右手を上げた。


「ずいぶんかわいくなっちゃって」


 チューニングを中断してこちらを振り返る楽器の皆さんに、


「今日はよろしくお願いします」


 と、あいさつする。


「おお! ドレス姿、似合いますな」


「綺麗な子だと思っていたけれど、これは本当に歌姫だ!」


 口々に感心されて、首から上がぶわっと熱くなる。


 宮廷楽師たちとはリハーサルで顔を合わせているが、このテラスで演奏するのは今日が初めて。ちなみに曲はオペラ『オルフェオ』のためにフレデリックが書いた新曲で、妻を失った主人公オルフェオが、愛する人を取り戻すため死者の国へ旅立つ決意をする場面だ。


「ジュキエーレくん、歌姫さんの場所はここだからね」


 作曲家のフレデリックがチェンバロの椅子から立ち上がり、俺の肩を抱いてテラスの前方へ押し出した。


 見下ろすと薔薇の花が咲き乱れる庭園に、テーブルセットが置いてある。大理石の手すりをつかんで興味津々、整った庭園を眺めていると、


「室内で歌うのと違って返しがないと思うけれど、無理して声を出さないように。喉を大切に歌ってください」


 うしろからフレデリックがアドバイスしてくれた。


「その点は心配ありません」


 よく通るレモの声が室内から聞こえる。


「私が風魔法で音響を操りますから」


 相変わらず心強い!


「というわけでジュキ、私たちもここで聴かせてもらうわよ」


 レモは部屋の中から嬉しそうに手を振った。そのうしろで侍従が、


「そろそろ時間です」


 懐中時計片手に指示を出したとき、侍女を一人だけともなった皇后様が、こっそり部屋にすべりこんできたのが見えた。


 一曲目は器楽曲ソナタ。俺は室内に戻って、レモのとなりに腰を下ろす。


 静寂が訪れる。鳴き交わす鳥の声が遠くに聞こえる。


 弦楽器奏者の皆さんがフレデリックを見て同時に息を吸うと突然、音楽が始まった。空気の色が変わる。あざやかな旋律が次々に描き出されてゆく。


 軽快なチェンバロと小気味よいヴァイオリンの音色に耳を澄ましていると、レモが指先で俺の肩をたたいて窓の外を指差した。


 エドモン皇子がクロリンダ嬢の手を取って庭へ入ってくる。クロリンダは頭にクリームイエローのスカーフを巻き、細く編んだ三つ編みを片側だけ何本も垂らしていた。


 二人がルーフバルコニーの下に入り、俺たちの視界から消える。おそらく席に着いたのだろう。今度はメイドさんが、あたたかいお茶を運んでくるのが見えた。


 やがてソナタが終わり、俺の出番となった。



 ─ * ─



次回『頑なな心は天使の歌声にとかされる』

ジュキくんの歌声に、クロリンダ嬢の心がとかされる!?


※ジュキくんが白しか着たがらない理由は、第一章「13★世界一大切な私の弟【姉視点】」でもちょろっと出ております。

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