39、アシンメトリーなヘアスタイルはいかが?

「では今夜行きましょう」


「だからいきなり押しかけたってダメなんだ」


 クロリンダが沈黙する。嫌な予感……


「…………あなた、あれもダメこれもダメって、ではアタクシはどうしたらいいのよーっ! うわぁぁぁん!」


 泣き出した! なんてめんどくさい奴なんだ……!


「ククククロリンダ嬢! そんな幼女のように泣かないでおくれ!」


 慌てふためくエドモン殿下。気の毒なのか、今まで誰彼かまわず愛をささやきまくってきたツケが回ったのか。


「あなたが悪いのよ、エド! アタクシをだまそうとするから!」


 クロリンダがエドモンにつかみかかろうとするのを、固唾かたずを呑んで見守る俺の横で、レモは楽しそうにニヤニヤしている。今まで姉に苦労させられた分、ほかの誰かが餌食になっているのが愉快でたまらないといった様子。


「クックック…… 私の美しいジュキエーレ様に色目を使ったバチが当たったようね、殿下……」


 低い声でつぶやいたレモの言葉を聞こえないふりしていたら、俺のななめうしろに立っている侍従が無言で片手を挙げたのが、視界の端に映った。護衛が二人、敬礼するなり部屋から出て行く。すぐにエドモンたちのいる部屋に入ってきたのが、ガラス壁越しに見えた。


「エドモン殿下、伯爵殿がお待ちです」


 護衛の一人が告げ、もう一人はさりげなくクロリンダの後ろ側に回った。


「逃げようというの!?」


 クロリンダのヒステリックな声。


「すまない、約束の時間になってしまった。またあとで話そう」


「アタクシもついていくわ。構わないでしょう? 将来のきさきなんだから」


「なりませぬ、クロリンダ嬢」


 止めたのは護衛。


「どうしてよ!? 愛するダーリンが何をしているか、アタクシには知る権利があるのよ!」


「殿下のお仕事には機密事項も多いのです。ご理解ください、クロリンダ嬢」


 護衛が止めるのも構わずクロリンダは、部屋から出ようとしたエドモンを追いかける。


「クロリンダ嬢、いけません」


 大股で歩いてきた護衛がうしろから、彼女の肩に手を置いた。強い力を出しているようには見えないが、クロリンダはそれ以上動けなかった。


 エドモンは扉のところで振り返り、完璧な微笑を浮かべた。


「なるべくすぐに戻ってくるよ。僕の愛するクロリンダ」


 しかし彼女は聞いていない。


「放しなさい、無礼者! 許可もなく高貴なアタクシに触れるなんて、罪に問われるわよ!」


 片側にしか生えていない金髪を振り乱して叫んだ。


「あらっ?」


 違和感に気付いたらしい彼女は、片手で髪をかき上げる。


「え……」


 放心状態で後ずさる彼女から、護衛が手を離した。


 クロリンダは俺たちが眺めるガラス壁――彼女側からは大きな鏡――の前に走り、


「な、何これ……」


 見る見るうちに血色が失われていく唇から、かすれ声がもれた。


「この鏡、間違っているわ!」


 両手で青ざめた顔に触れる。


「嫌ぁぁぁあぁぁぁあぁっ!!」


 身も凍るような絶叫を上げたかと思うと、


「はうっ」


 卒倒して、護衛の腕の中に倒れ込んだ。


「かわいそうに。だが髪はまた伸びるだろう」


 当たり前すぎる捨て台詞を残して、エドモンは部屋を出て行った。


 クロリンダを支えていた護衛は、彼女に睡魔スリープをかけると抱きかかえ、ベッドに寝かせる。


 一呼吸置いたあとで、俺たちがいる薄暗い部屋の扉が開いて、廊下からエドモンと二人の護衛が入ってきた。


 あれ? エドモン殿下、伯爵と会う約束があったんじゃ? と思っているとレモが立ち上がった。そうか、皇子を立たせて俺たちが座ってちゃまずいのか。そそくさとソファから尻を離すと、背の高い師匠がかがんで俺に耳打ちした。


「真空結界を張ってもらえますか?」


 なるほど仕事があるというのは、クロリンダから離れるための方便だったのか。俺は納得して印を結んだ。


聞け、風の精センティ・シルフィード。我らがつどいしところ包みたる二重結界ただちにたまえ」


 水属性の術以外は無詠唱では発動しないので、呪文を唱える。


くうべるぬしよ、かさねて願いしはの大いなる力をもっくうゆがましめ――」


 この術はレモが創作した魔術だから、威力が大きな攻撃魔法でもないのに、呪文がやたらと長いのだ。メジャーな術は数百年前に誰かが創作したあと、時の流れの中で様々な魔術師によって改良が加えられ、精霊に要求を伝える必要最低限まで呪文が圧縮されるのだが。


はるかなるいただきさらなる高みのごとく、うつろなる場とたまえ」


 部屋全体を包み込む空気の塊をイメージして――


真空結界ヴオートバリア


 一瞬、耳の奥が詰まるような感覚がしたあと、完全な静寂が部屋に降りた。宮殿の庭園から届いていた蝉の声も、今は一切聞こえない。 


 結界が完成したと分かった途端、エドモン殿下は両手をぶんぶんと上下に振ってわめいた。


「あの難しい女性はなんなのだ!?」




 ─ * ─




どんな女性もイチコロだと思っていたのに、敗北して戻ってきた情けないエドモン殿下。

どうやってクロリンダ嬢を御すのか、次回、現代の賢者と呼ばれるセラフィーニ師匠が、その方法を考えます。

『やっぱり最後は俺の出番なのか』お楽しみに!

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