24、女も男も帝都中の人間を虜にする役

「私の美しいジュキエーレ、あなたはエウリディーチェ役のオーディションを受けたけれど、もっとぴったりな役があるわ」


 皇后様は瞳を輝かせて話し始めた。


「帝都中の全ての女性と全ての男性を、とりこにできるアイディアよ!」


 気に入った歌手は独り占めして、こっそりでたいとかじゃないんだ、と俺は他人事のように思った。意外そうな顔でもしていたのか、ミーナさんが、


「クリスティーナ様は、ご自分の宝物を見せびらかしたい人なのです」


 うしろからこっそり補足する。


「あら、だって素晴らしいものは皆様方に教えて差し上げたいじゃないの」


「布教に精が出ますね、クリスティーナ様」


「無駄口をたたかなくてよろしくてよ、ミーナ。おしゃべりしたいなら、この子にオペラ『エウリディーチェ』の筋書きを教えてあげて」


 皇后様から命じられて、ミーナはよどみなく話し始めた。


「エウリディーチェは主人公の女性の名前です。彼女は毒蛇に噛まれて命を落とし――」


「あ、俺その蛇の役ですか?」


 合点がいった俺とは反対に、ぽかんと口を開けたまま静止しているミーナさん。


「そんなわけないじゃない」


 皇后様にあきれかえった顔をされてしまった。だってガキの頃からシロヘビって馬鹿にされてきたんだもん。蛇と聞きゃあ自分のことかと思うわ。


 ミーナさんは気を取り直して再び語り出す。


「それでエウリディーチェの夫オルフェオが、妻を取り戻すために死者の国までやってきます」


「え、生きてるのに来られるんだ」


 つい現実的な感想をもらす俺。いけねぇ、これは物語なんだ。


 ミーナは俺の無粋な質問をとがめることもなく、


「生者の国と死者の国をへだてる『嘆きの川』の渡し守は、生きている者を船に乗せるわけにはいかないと言うのですが――」


 やっぱりそういう設定なんだ。


「――吟遊詩人のオルフェオは、竪琴と歌の名手でして、美しい音楽で渡し守の心をつかんで船に乗せてもらうんです」


 へ~、オルフェオのギフトも歌声魅了シンギングチャームだったのかな。


「それでエウリディーチェは生き返るってわけか?」


 先走って訊いた俺をなだめるようにミーナは、


「この後も長いんですよ。死者の国には亡者がいて、オルフェオの行く手をはばむんです。それを彼は美声で魅了して進むんですよ」


 俺はなんとなく、竪琴を弾いて歌いながらダンジョンにもぐっていた頃のことを思い出した。思えば今は皇后様とその侍女三人に囲まれて、髪をかされてるなんて、ずいぶん違う世界に来たもんだ。


「そしてついに死者の魂が眠る部屋を守る門番ケルベロスまで、オルフェオの歌で骨抜きにされてしまうんです」


 うんうん、魔獣ってそういうもんだよな。俺が納得していると、皇后様が得意げにほほ笑んだ。


「ね、ジュキエーレさんのためにあるような役でしょ?」


 あ、確かに。だが、


「え~、クリスティーナ様」


 不満を表明したのはミーナ。


「それでは女装を帝都中にさらすことになって、舞台の上で羞恥に燃えるジュキエーレさんを見られないじゃないですか」


 なんなんだ、この人。一体何を期待してたんだ?


 皇后様はミーナに冷ややかな視線を向け、


「役に入るのに羞恥心に焼かれることもないでしょう。私の劇場ではいつも女性歌手が男装しているけれど、そんな感覚を持って歌ったりしないはずだわ」


 それから俺に向きなおると、うっとりと見つめた。


「あなたの歌った『我が運命は小舟のよう』があまりに素晴らしくてね。少女のように愛らしい姿と美しい歌声なのに、青年らしい表現――そのギャップに私の脳は焼かれてしまったのよ」


 またなんかヤバイこと言ってんな、この皇后さん。


「それに帝都の者は、私の一押し歌手なら女性だと思い込むわ。舞台に出てきたあなたを、貴婦人たちは男装した女性だと思って胸をときめかせ、男どもは女性歌手だと信じて夢中になるの。女も男も、帝都中の人間がお前のとりこになるのよ!」


 えぇ、それって――一歩間違えたら男の服装で歩いていても、男装した歌姫だと誤解されるリスクをはらんでないか!?


 おやつをもらえなかった子供みたいに口をとがらせているミーナを、それまで黙っていた若い侍女二人がなだめ始めた。


「ミーナさん、こんな美少年が衣装を着てお化粧して舞台に立つんだから、女性役じゃなくてもいいじゃないですか」


「そうですよ。きっと皇后様が素敵な衣装を注文なさるに違いありませんわ」


 衣装まで口を出すのか、皇后さんは。大忙しだな。と思っていたら、隣りに座っていた皇后様が立ち上がって、デスクからインク壺に刺さった羽ペンと、綿紙コットンペーパーを持ってきた。


「でもジュキエーレさんの真っ白い肌におしろいは必要ないわね!」


 若い侍女さんはまだ盛り上がっている。


「自分で口紅つけられる? 手伝ってあげましょうか?」


 いや、多分レモがやってくれるんじゃないかなぁ。大体まだ楽譜も渡されていないのに、当日の化粧の話なんて考える余裕ないんだけど?


「いやちょっと待って」


 俺はふと疑問に思って、侍女さん二人をさえぎった。


「男役でもお化粧するんですか?」


「ジュキエーレさん、オペラ観たことあります?」


 あるわけないじゃん。俺は無言で首を振った。


「男性役でも美しい貴公子の役ならおしろいを塗って、唇には紅を差し、頬紅をはたいて華やかに装うものなんですよ」


「そうそう。それで下から照らし出されると、それはもう幻想的な美しさなんだから!」


「幽玄って感じよね~!」


 舞台のへりにロウソクが並んでいたのを覚えている。上からの照明はなかったはずだ。おそらく書き割りや緞帳どんちょうを下ろすための機構しかないのだろう。


 下から照らされた白い顔が舞台に浮かび上がるって、幽玄っていうより怪談じゃね? とは言わないでおいた。どことなく不健康な美しさが貴族さん方には受けるのだろう。


「できたわ!」


 羽ペンで何か描いていた皇后様が、満足げに綿紙コットンペーパーをかかげた。


「ジュキエーレさんが着る衣装案よ!」




─ * ─



※ 今回語られたオペラの雰囲気はバロック時代のものです。


次回『ありのままの姿で』。ジュキがまた故意でもなんでもなく口をすべらせて、アカデミー代表のラピースラ・アッズーリの正体についてバラします。

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