41★みじめな脱獄犯は追放した元仲間に嫉妬する

 日が暮れた広い中庭―― 屋敷の壁に枝を伸ばす木の根本に、ぽっかりと穴があいている。あたりをうかがいながら顔を出したのは、土ぼこりにまみれたイーヴォたち三人だ。


「よっしゃ、脱獄成功!」


「しっ、静かに」


 いつも通りの大声を出すイーヴォに驚いて、サムエレは人差し指を立てた。


「あそこに魔術兵の一団がいます」


 サムエレの指さすほう――中庭から正門の方角へ向かう道で、月明りに照らされた見張り兵たちが何やら不平を言っているようだ。


「なんで俺たち魔術兵団は、公爵夫人快気祝い演奏会に呼ばれないんだ!」


「ずるいよな。侍女たちに侍従、料理人に洗濯婦まで呼ばれてるってのによ」


「こっそり聴きに行っちまおうぜ!」


 若い兵士たちが歩きだす。イーヴォは小声で、さっさと行けよ! とつぶやいた。空中遊泳の術で屋敷の壁を登ったら、中庭をうろつく彼らから丸見えなのだ。


 しかし、年かさの兵士が彼らを引き留めた。


「おいこら持ち場を離れるな!」


「えぇ~、隊長だって聴きたくないんですか? ほらこれ、聖ラピースラ王国に伝わる古い歌ですよ! 隊長もご存知でしょ? フフフーン」


 公爵邸のどこかの部屋から聞こえてくる澄んだ歌声に合わせて、男は音痴な歌を披露した。


「お前は歌わなくていい。でもどこで演奏会がひらかれているか分からんだろう」


「俺、さっきレモネッラ様の侍女に聞いたもんね~! レモネッラ様の部屋で開催してるらしいですぜ」


「え、じゃあこの美しい歌声はレモネッラ様!?」


 別の兵士が驚いて話に割り込んできた。


「いや、最近雇った護衛が美しい声の持ち主で、レモネッラ様がこの国の歌を教えたとか」


「は? 護衛がこんな美声だったのか?」  


「あれ? 音楽家雇ったんだったかな?」


 混乱しだす魔術兵たち。そのとき曲が終わったらしく、わっと拍手が起こった。 


「俺たちも行こうぜ!」


 魔術兵の一団は駆けだして行った。


「助かった……」


 サムエレは思わず胸をなでおろす。


「で、あいつが歌ってやがるレモネッラ嬢の部屋ってなぁどの窓だ?」


 イーヴォは四階建ての公爵邸を見上げながらニコをつついた。


「あっち側の棟っス。三階の真ん中にテラスのついてる部屋が見えるでしょ、あそこっス」


 ニコの指さしたほうへ、三人は屋敷の影に隠れながら忍び足で移動する。


 テラスの真下に立ってサムエレは小声で呪文を唱えた。


聞け、風の精センティ・シルフィード。汝が大いなる才にて、低き力のしがらみしのぎ、我運び給え」


 もう一度、中庭に人影がないことを確認すると、イーヴォとニコを両脇につかんで意識を集中した。


空揚翼エリアルウィングス!」


 ふらりふらりと左右に揺れながら、ゆっくり浮揚すると、音楽が次第にはっきりと聞こえてくる。幸運なことに、レモネッラ嬢の周囲の部屋は明かりが消えていた。みんなジュキの歌を聴きに行ったのかも知れない。


 サムエレは静かにテラスへ降り立ち、風の術を解除した。カーテンのあいだからそっと中をのぞくと、昨日の朝見たときとは違い、天井から布を下げてベッドを隠してある。テーブルや椅子も、使用人たちが目隠し布のうしろに移動させたのだろう。


「全員ここに集まってやがんのか」


 声をひそめることもしないイーヴォにサムエレはヒヤヒヤする。


「そうですよ! 魔術兵たちもいるんだから見つからないように隠れて!」


「あのガサツな公爵令嬢も楽器弾いてると、多少は貴族っぽく見えるもんだな」


 まったく懲りないイーヴォは首を伸ばして、鍵盤楽器スピネット(小型チェンバロ)で伴奏するレモネッラ嬢をのぞき見る。


 サムエレの位置からはちょうど、木の鍵盤の上を清水が流れるようにレモの細い指がすべってゆくのが見えた。


「きれいだなぁ」


 優雅に装飾音トリルを奏でる彼女を見つめながら、サムエレはぽつんとつぶやいた。ガラス戸一枚へだてた空間ではシャンデリアの光に、軽やかなスピネットの音色がキラキラと踊り反射するかのようだ。


(僕にはこういう世界があっているはずなのに、なんで土と汗にまみれて息を殺して盗み見てなきゃならないんだ)


 レモが楽器部分インストパートを弾き終わって目くばせをすると、ジュキが聖ラピースラ王国の歌を歌いだした。


「――羊飼いの少年は、

 朝に昼に夕に愛の言葉を紡ぐ。

 連なる白雲の如き羊の群れへ、

 清らかに流るる澄んだ小川へ、

 誰も立ち入ったことなき森へ――」


 その澄みきった歌声はただ美しいだけではなく、なぜかなつかしくて、そしてどこか物悲しくて、心のひだに入り込んでくる。


「――木々の奥から声が聞こえる、

 『君を想う』『君を想う』

 羊飼いは恋をした、その言葉に。

 こだまは繰り返す、

 『君を想う』『君を想う』

 朝に昼に夕に愛の言葉を返す――」


 ジュキが歌い終わると一番前に座った公爵夫妻も、その後ろに居並ぶ侍女や侍従たちもほかの使用人も、さらには廊下からのぞく魔術兵の一団まで拍手喝采でこたえた。ジュキは目尻の上がった猫みたいに特徴的な目を、嬉しそうに細めた。


(あの無邪気な笑顔にみんな懐柔かいじゅうされるんだ)


 嫉妬心をいだいて苛立いらだつサムエレのうしろで、イーヴォがボキボキと指を鳴らす。


「ぶちこわしてやろうぜ」


「さすがです、イーヴォさん! ジュキのヤツいい気になってムカつきますからね!」


 安定のニコが追従する。サムエレは慌てた。


「待ちなさい、二人とも! なんのために夜陰にまぎれて、兵士たちにみつからず脱獄したと思ってるんですか!? この部屋には公爵夫妻に大勢の使用人、魔術兵までいるんですよ!」


 彼らの声が聞こえたのか、屈託のない笑顔を見せていたジュキが一瞬真顔になってこちらを見た気がした。


(バレたか?)


 冷たい宝石を埋め込んだかのようなエメラルドの瞳に射られて、サムエレの背中に冷や汗がつたった。

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