35、聖堂の瑠璃石に封じられていたのは
ロベリアが聖女となって王都の聖堂にこもって三年後、ある日突然彼女は公爵家に帰ってきた。まったく異なる人格となって。
あんなに愛していたはずの、かつての恋人の顔をじろじろとながめ、
『ほう、汝がロベリアの愛したトンマーゾとやらか。つまらぬ趣味よのう』
と笑ったとき、公爵夫人――若いころのロジーナさんは背筋が凍ったそうだ。妹の中身が見知らぬ何かに取って替わられているのを確信して――。
「ん? トンマーゾって……」
話をさえぎったレモに公爵夫人はうなずいて、
「執事に昇格して、今も
「ああ、あのトンマーゾさん!」
俺もぽんっと手をたたいた。あのオッサンにそんな過去があったとは。
若いころのロジーナさんは気丈な人だったようで、ロベリアの姿をした何者かを問いつめたそうだ。
『ロベリアをどこへやったのですか? 妹を返しなさい!』
だがロベリアだったそれ――瑠璃色の髪の女は唇の端をつり上げた。
『我の魂で包み込んでしまったわ。妹を返してほしくば我の本体を壊すしかないのぅ』
『本体ですって?』
『そう、聖堂で汝らが千年以上に渡って祈りを捧げてきた瑠璃石じゃ。まあ、できぬじゃろうがの』
くっくっとあざけるように笑う女に、若きロジーナさんはぴしゃりと言った。
『嘘をおっしゃい! 瑠璃石に封じられているのは大聖女ラピースラ・アッズーリ様です! お前は何者だ!?』
女はさも楽しそうに答えた。
『我がそのラピースラじゃよ。汝らは何も知らぬのじゃなぁ。我は千二百年の長きに渡り、あの
ロジーナさんは信じられなかった。
『聖ラピースラ様が妹の身体を乗っ取るわけありませんわ』
『乗っ取った? 人聞きの悪いことを申すでない。あの女は我に「悲しいです。つらいです」と毎日訴えておったのじゃ。「助けて下さい。自由になりたい。解放してください」と願い続けたから、それを叶えてやったまでじゃ。この女の姿が生前の我によく似ておるのも気に入ったしのぅ』
その言葉に、ロジーナさんは目の前が真っ暗になったと言う。いまいち理由が分からない俺に、レモが教えてくれた。
「大聖女様に、利己心から私的な欲求を叶えて下さるよう願うのは禁止されているの。たとえ聖女に選ばれなくてもこの国では日々、大聖女様に祈りを捧げることになってるんだけど、日々の暮らしの感謝を伝えたり、今後もお見守り下さいって祈ったりするのよ」
「へぇ。ってことはロベリアさんは祈り方を間違えて、乗り移られちまったってことか?」
俺の問いに、レモは答えを探すように母親の顔を見た。公爵夫人はおぞましい光景でも見たかのように身震いした。
「どんな願いを口にしたとて、祈った者の心が消えてなくなってしまうなんて―― わたくしたちは今まで一体なにに祈りを捧げてきたというの?」
俺は慎重に言葉を選びながら、
「ラピースラ・アッズーリが大聖女として今もあがめられている理由は、魔神にそそのかされた水竜を千二百年前に封じたからってことになってるんだよな?」
と確認した。俺はその水竜の末裔だが、だからと言って今ここで聖ラピースラ王国の人々とケンカしたいわけじゃない。
「ジュキたち竜人族のひとたちの祖先を封じたなんて―― どうしてそんなことになったのかしら」
レモは気まずそうに、俺の腕を抱きしめたままうつむいた。
「ジュキエーレくん、竜人族のあいだではどう伝えられているの? 精霊王と呼ばれていた水竜のこと、それから―― 聖ラピースラ・アッズーリはあなたたちの歴史書に出てくるのかしら?」
公爵夫人の質問に、俺は冷や汗をかきながらドーロ神父から学んだことを思い出そうとする。
「ええっとですね―― 竜人族ってもとは文字を持たない民族だったから、そんな古い時代の歴史書はなくって…… 歌や伝承として伝わってるだけなんだと思う」
じゃあどう伝わってるんだって質問される前に、俺は慌てて次の句を継いだ。
「精霊王って存在も俺は精霊教会でお祈りする石像くらいの感覚だったし、ラピースラ・アッズーリなんて名前は、隣国の歴史を教わったときにちらっと出てきたくらいで……」
「そうなのね――」
考え込んでしまった公爵夫人に、俺は意を決して口を開いた。
「信じていただけないかもしれねぇんだけど――」
ダンジョン「古代神殿」の最下層に封じられているホワイトドラゴンのドラゴネッサばーちゃん――四大精霊王の水竜から聞いた話として、人族としてはあり得ないほどの魔力を持っていたラピースラ・アッズーリが魔神アビーゾに魅入られて、ばーちゃんを封印したと打ち明けた。
公爵夫人は
「もしそれが真実なら、あの女が言ったように聖ラピースラ・アッズーリが封印されたのもうなずけるわ」
だがレモは怒って――いや、泣き出しそうな目でうったえた。
「ねぇジュキ! そんな話、今朝ひとことも言ってくれなかったじゃない!」
「ごめん。ラピースラ・アッズーリを信仰してきた国の人にできる話じゃないと思って――」
レモは自分を落ち着けるように、ふぅっと息を吐いた。
「私は生まれた国の文化や伝統に愛着を持っているけれど、伝説や宗教を妄信する気はないのよ。帝都の魔法学園に通って、このレジェンダリア帝国には本当に色とりどりの風習が息づいてるって知ったんだから」
娘の言葉にうなずく公爵夫人は満足そうだ。
「広い視野を持ってほしくて、わたくしは娘たちを帝都の魔法学園に通わせたの。この国ではほとんどの貴族が、攻撃魔法をも教える魔法学園を嫌って家庭教師を雇うんですけどね」
「へぇ…… クロリンダ様も――」
まさかこの偏狭な姉さんまで帝都の学園に通ったとは。俺は驚きを隠せず、レモの風の術で縛られたままの彼女に目をやった。
「お姉様はあんな野蛮な人たちと一緒に学べないとか言って、すぐに逃げ帰って来たけどね。入学してから知ったけど、お姉様の
それまでの人生、ずっと自分のギフトで他人を支配してきたクロリンダは、思い通りにならないところでは生きていけなかったのだろう。
「それでお母様」
レモがまた矢継ぎ早に尋ねた。
「ロベリア叔母様は何しにこの公爵邸に戻ってきたの? それでまた王都の聖堂に帰って行ったの?」
「わたくしも
すると瑠璃色の髪の女は、アルバ公爵家の人々へ命じたそうだ。
『汝らがすべきことはただひとつ、王都の者どもにロベリアは処刑済みだと伝えるのみじゃ』
『そんなことはできませんわ』
毅然とした態度で応じたロジーナさんを、瑠璃色の髪の女は攻撃魔法で黙らせた。ロベリアがもともと持っていたギフト<
旅支度を整えた瑠璃色の髪の女は、公爵家の馬にまたがり正門から堂々と出発した。
『どこへ行くのです!?』
追いすがるロジーナさんを魔力の衝撃波で吹き飛ばし、瑠璃色の髪の女ははっきりと言ったそうだ。
『南東の海辺にある丘に精霊王の末裔が誕生すると、あの方からお告げがあったのじゃ。あの方復活の妨げとなる。その者の精霊力を封じてくるのじゃよ』
アルバ公爵領から見て南東の海辺にある丘って―― ロジーナ公爵夫人の話をさえぎって、俺は思わずその地名を口にしていた。
「モンテドラゴーネ――」
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