草太、ドン引きする

 その後、流九市にはいつもと同じ日常が訪れる。

 とある女性議員が「流九市だと!? あんな場所にはヤクザと不良外人と失業者とホームレスしか住んでないだろうが!」などと秘書を怒鳴り付けていた音声が流出し、翌日に謝罪会見を開いたことを除けば……流九市が特に話題になるようなこともなく、平穏に時が過ぎていった。

 そんな、ある日のこと。




 昼間の流九公園は、静かなものだった。

 だが例によって、その静寂を乱す者たちが現れる。


「おいコラァ! おめえ、今日は幾ら持ってんだって聞いてんだよ!」


 居丈高な態度で怒鳴っているのは、まだ顔に幼さの残る少年たちである。まだ十代の前半であろうか……中学生になったばかり、という雰囲気である。Tシャツにジーパンというラフな服装で、公園の隅に集まっていた。まさに不良の見本のような者たちである。

 そんな彼らに睨み付けられているのは、ひときわ体が小さく痩せた学生服姿の少年である。震えながら、自身を取り囲んでいる者たちに頭を下げている。


「す、すみません。もう一円も無いんです」


 言いながら、ペコペコ頭を下げる少年。だが、それで許してくれるほど、不良たちは優しい性格ではなかった。


「はあ? 無い? 無いで済まされると思ってんのかよ!?」


 不良のうちのひとりが、喚きながら柵に蹴りを入れる。すると、少年はビクリと怯えた表情でうつむく。


「なあ、わかってんの? 俺らはさあ、貴重な時間を削ってお前のボディーガードをやってあげてんだぜ。俺たちのお陰で、お前はよその学校の連中からボコられなくて済んでるんだぜ」


 なおも言葉を続ける。そう、彼らはよく分かっているのだ。さっきから、少年の体には指一本も触れていない。怪我の可能性がある直接的な暴力は振るわないのだ。代わりに、壁を蹴飛ばすような間接的な暴力を見せつけ恐怖心を煽り、さらに言葉の暴力で追い詰めていく。それが、彼らの手口である。

 少年は何も言えず、黙ったまま下を向いた。その反応を見た不良たちは、さらに高圧的な態度に出る。


「おい! 何とか言えやあぁ!」


 少年を睨みながら、怒鳴りつける不良。すると、その言葉に応えた者がいた。


「さっきから騒がしいぞ。まったく昼寝も出来ん」


 ぶつくさ言いながら、姿を現した者がいる。年齢は、四十代後半から五十代前半といったところか。作業服に身を包み、禿げ上がった頭を掻きながら、不良たちをじっと見つめている。


「んだとぉ! こらクソオヤジ! 調子こいてっと殺すぞ!」


 不良たちは、暴力の矛先をその中年男に向けることにした。ホームレスなら、殴っても問題あるまい。肩をいからせながら、中年男を取り囲む。

 だが次の瞬間、不良たちの表情が一変した。


「お、おい……こいつ、黒崎じゃねえのか?」


 不良たちのひとりが、怯えた表情で呟くように言った。すると、その怯えは全員に伝染していく──


「黒崎って、あの空手十段のホームレスか?」


「ロシア人マフィアを、十人ぶっ飛ばしたらしいぞ……」


 不良たちの輪は、少しずつ広がっていく。彼らが後ずさりを始めたせいだ。

 一方、黒崎は苦虫を噛み潰したような表情になる。


「俺は空手五段だ、十段ではない。それに、ロシア人マフィアも五人しか倒しておらん」


 黒崎の言葉に、不良たちは顔を見合わせる。彼らは悟ったのだ。目の前にいる男が、自分たちの手には負えないことに。

 そんな彼らの変化を悟った黒崎は、ふうとため息を吐いた。


「お前ら……やる気がなくなったのなら、さっさと帰れ」




「あ、ありがとうございました」


 不良たちが去った後、少年は黒崎に何度も頭を下げる。だが、黒崎は相変わらず渋い表情だ。


「俺は、礼を言われるようなことは何もしていない。だから、礼を言う必要もない。気を付けて帰れ」


 少年はもう一度頭を下げ、嬉しそうに帰って行った。黒崎の方はというと、仏頂面でベンチに座り込む。

 その時、声をかける者がいた。


「よう、おっちゃん。あんた凄いじゃないか。不良どもが逃げてったぜ」


 黒崎は顔を上げ、声の主を見る。言うまでもなく、便利屋の田原草太である。


「どこかの馬鹿が、俺の大げさな武勇伝をあちこちに広めたらしくてな。そのせいで、殴られることもなくなった」


「へへへっ、良かったじゃんよ」


 言いながら、草太はベンチに座った。持っていたカバンから、一通の封筒を取り出す。


「おっちゃん、ユリアから手紙が来たぞ」


 その言葉を聞いた瞬間、黒崎の表情が変化した。


「な、何だと? ユリアからか?」


「ああ、そうだよ。見たい?」


 いたずらっ子のような笑みを浮かべ、草太は聞いてきた。


「あ、ああ。もったいぶらないで、早く見せろ」


「だったら、バレンタインデーに憧れの先輩にチョコレートを渡す女子中学生みたいな顔で、俺に頼んでみな。そしたら見せてやる」


「そうか。お前を気絶させた方が、早く読めそうだな」


 そう言うと、黒崎は立ち上がった。その目には闘気がみなぎっている。草太は身の危険を感じ、慌てて手紙を差し出した。


「じょ、冗談だよ。ほら、手紙」


 黒崎は封筒をひったくると、ベンチに座った。中には写真が三枚と、便箋が一枚入っている。

 写真は、どれも微笑ましいものばかりだった。一枚目には空手着を着て、勇ましい表情で仁王立ちしているユリアの姿が写っている。二枚目には、ランドセルを背負ってはにかむような笑顔を向けているユリア。さらに三枚目は、満面の笑みを浮かべて母の真美とともに写っていた。


「フッ、ユリアの奴……空手を続けていたか」


 黒崎は、満足そうに呟いた。その表情は、孫を見て目尻を下げる老人と全く同じである。

 次いで黒崎は、便箋に視線を移す。


(そうたん、みおねえちゃん、くろさきのおっちゃん、みんな、ありがとう。らいげつになったら、あそびにいくからね。ユリア)


「ほう、ユリアが遊びに来るのか。それは楽しみだ」


 そう言うと、黒崎は顔を上げて草太を見る。だが、草太は浮かない表情をしていた。


「便利屋、どうかしたのか?」


「なあ、おっちゃん。あんたは、この結果をどう思うんだ?」


 空を見上げ、逆に聞き返してきた草太。それに対し、黒崎は首を捻る。


「お前は何を言っているんだ? 俺にもわかるように言え」


 黒崎に言われ、草太は顔を歪めた。


「結局は、ロシアにいるクズどもの望んだ通りになっちまったってことだよ」


 その声は、暗く沈んでいた。黒崎は黙ったまま、彼の顔を見つめる。

 ややあって、草太は言葉を続けた。


「ユリアと真美さんを殺させようとした本当に悪い奴らは、今もロシアでのうのうと生きてるんだぜ。ユリアが貰うはずだった遺産を独り占めしてさ。なんか釈然としねえ気分だよ」


 言い終わると、下を向き力なく笑う。すると、黒崎が彼の頭を叩いた。


「痛えな。何すんだよ」


「お前は、神さまでもスーパーマンでもないんだ。お前は、自分に出来ることをやった。その結果が、これだ。これのどこに不満がある?」


 言いながら、黒崎は写真を見せる。そこには、ユリアと真美が満面の笑みを浮かべて写っていた。

 心の底からの、幸せそうな笑顔だった。


「便利屋、お前は自分に出来ることをやり、ユリアを救ったんだ。これは、誇っていいと思うぞ──」


「誇れねえよ」


 黒崎の言葉を遮り、草太は首を振った。


「俺は今回、何をした? 何もしてねえよ。おっちゃんや、美桜や、加納たちが力を貸してくれなかったら……ユリアは助かってなかったよ」


 草太は、そこで顔を歪めた。


「俺は結局、何も出来なかった。ひとりでピーピー騒いでただけの、しょうもねえガキだよ。俺は、礼を言われるようなことは何もしてない」


「お前は本気で、そう思っているのか?」


 言うと同時に、黒崎はまたしても草太の頭を叩いた。パチン、という音が響き渡る。


「痛えなあ。空手五段の癖に、人の頭パチパチ叩くな。パンチドランカーになったらどうすんだよ」


 頭を擦りながら、草太は冗談めいた口調で文句を言った。だが、黒崎の表情は真剣である。


「お前が馬鹿なのは知っていたが、ここまでとはな。おい便利屋、お前は自分の果たした役割が、どれだけ大きいものか分かっていないのか?」


「えっ……」


 草太は困惑し、何も言えずに黒崎を見つめる。だが、黒崎は話し続けた。


「いいか。俺、美桜、そして加納。この三人がユリアと知り合えたのは、誰を通じてだ?」


「そ、それは……」


「お前がいなければ、俺も美桜も加納も、ユリアの存在すら知らないままだっただろう。俺たちをこの件に引き入れたのは、お前なんだよ。ユリアを救ったのは、紛れもなくお前だ」


 普段、冷めきった静かな口調で話す黒崎だったが、今は違っていた。その言葉からは、熱いものが感じられる。その熱気に圧倒され、草太は何も言えずにいた。


 黙っている草太に封筒を返すと、黒崎は再び語り続ける。


「あの中田というヤクザが、大事な姪っ子をお前に預けた理由……それは、お前なら確実にユリアを守ってくれると信じたからだ。俺は、中田のことは何も知らん。だが、人を見る目だけは確かだったよ」


「お、おっちゃん……」


「それに、俺はお前に感謝している。お前のお陰で、俺は自分の誇りを取り戻せた。俺の空手に対する誇りを、な」


「誇り?」


「そうだ。俺の空手は、ひとりの少女を救うことが出来たんだ。空手を捨てなくて良かった……俺は、心底からそう思っている。そう思えるのも、お前のお陰だ」


 黒崎の言葉を聞いているうちに、草太の顔つきも変わってきた。


「そっか。まあ、そうだよな。これで、良かったんだよな」


「ああ、そうだ。そもそも、ユリアがロシアのクズどもの金など欲しがると思うのか?」


「どうだろうな。まあ、金は幾らあっても困らないしね」


 言いながら、草太は立ち上がる。その表情は、明るさを取り戻していた。


「なんか、おっちゃんと話したらスッキリしたよ。ありがとな、おっちゃん」


 そう言うと、草太はくるりと振り向き立ち去りかけた。

 しかし、すぐに立ち止まる。


「忘れるとこだったよ。おっちゃん、あんたに頼みがある」


「なんだ? 金なら貸さんぞ」


「あんたから金借りるほどバカじゃねえよ」


 言いながら、草太は再びベンチに座る。

 だが、続いて発せられた言葉は意外なものだった。


「おっちゃん、俺に空手を教えてくれないか?」


 想定外の言葉に、黒崎は唖然とした表情のまま硬直した。次いで、目の前にいる男が正気なのかどうか、まじまじと見つめる。

 だが、草太の表情は真剣そのものだった。一応、まだ正気は失っていないようにも見える。

 少しの間を置き、黒崎は口を開いた。


「お前、正気か? 空手を習いたければ、この町にもちゃんとした道場がある。そこに行けばよかろう」


「いや、俺はおっちゃんから習いたいんだよ。黒崎健剛の空手を、な」


 草太の口調もまた、真剣なものだった。いつものような、ふざけた雰囲気が無い。


「何故だ? 俺は破門された身だ。それに、指導には向いていない──」


「あのさ、ロシア人が事務所に来た時……おっちゃん言ったよな。俺の空手は、力なき人を守るためのものだって」


「ああ、そんなことを言ったかもしれんな」


「あの時、俺は本気で感動したんだよ。今の時代、こんなことを真顔で言う奴がいたんだな……ってさ」


 草太の言葉に、黒崎は苦笑いした。誉められているようには聞こえない言葉だが、草太は澄みきった瞳を黒崎に向けている。


「おっちゃん、あんたこそ本物の空手家だよ。俺もおっちゃんみたいに、力なき人を守れるようになりたいんだ。だから、俺に空手を教えてくれ。指導料は一回五百円プラス、コンビニの弁当でどうだ?」


 その言葉を聞いた黒崎は、すくっと立ち上がった。


「そこまで言うなら仕方ないな。俺が直々にお前を指導してやる。まずは、正拳中段突きと前蹴りだな。教えた技を、毎日千回やるんだぞ」


「えっ、毎日千回!?」


 草太は、引きつった表情を向ける。だが、黒崎はお構い無しに喋り続けた。


「そうだ。毎日千回、それが基本だ。さらに拳立て伏せや腹筋、背筋も毎日やるぞ。あと、懸垂も忘れてはいかん……そうだ、組手も毎日やらなくてはな」


「く、組手? 何それ?」


 完全に引いている草太。しかし、黒崎は気づいていない。嬉しそうに語り続ける。


「組手とは、お互い自由に技を出し合う練習だ。今風に言うなら、スパーリングだ。俺が、いつでも相手になってやるからな。好きなようにかかって来い」


 ニコニコしながら、そんな物騒なセリフを吐く黒崎。草太は、愛想笑いを浮かべた。もっとも、その額からは冷や汗が垂れてきているが……。


「あ、あのさ、ユリアん時と全然違うじゃねえかよ。せめてさ、もうちょい楽な初心者コースで頼むよ」


「遠慮するな。俺が基礎から、きっちり鍛えてやる。こう見えても、かつては鬼の黒崎と呼ばれた俺だ。お前を、一人前の空手家にしてやるからな」


「いや、空手家になりたい訳じゃないから。だいたい、鬼の黒崎って絶対に誉め言葉じゃねえだろ……」






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とある便利屋の事件簿 板倉恭司 @bakabond

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