草太、ハッピーエンドを目撃する
「なあ美桜……お前はいつから、こんな凄いことが出来るようになったんだ?」
倉庫からの帰り際、草太は美桜に尋ねた。彼女の予知能力について、草太はこれまで触れたことがない。美桜に気を遣い、あえて話題にしなかったのだ。
もっとも、今となっては話は別である。美桜が最初から予知能力を使っていてくれたら、この件はもっと早く片付いたのに……などと思いつつ、軽い口調で尋ねる。
だが次の瞬間、草太は自身の言葉を後悔した。
「さあ、いつからでしょうねえ。こんな力なんか、使いたくなかったんですけどね」
答える美桜の表情は、複雑なものであった。そう、美桜は十年前に事故を予知してしまったばかりに、人生が狂ってしまったのである。当時の彼女の行動は、あくまでも善意によるものだった。
なのに、美桜は悪意による集中攻撃を受けたのだ。彼女にとって、自身の力は
それなのに、草太が彼女の力を使わせてしまった。しかも、その力の存在を様々な人に知らしめてしまったのだ。
今後、美桜は否応なしに注目されることとなる。
「あ、あの……美桜、ごめんな。俺のせいで、余計な迷惑をかけちまって」
恐る恐る言った草太に、美桜は鋭い視線を向ける。その目には、先ほどのロシア人たちですら怯ませてしまうのでは……と思えるほどの激しさが込められていた。
「倉庫の中であなたが死ぬのが、はっきりと見えました。人が死ぬのを見るのは、とても不愉快なんですよ。しばらくの間、物が食べられなくなるくらいに」
静かだが強い口調で、美桜は言った。草太は何も言えず、叱られている子供のように下を向く。近くで見て気づいたのだが、美桜の顔色は非常に悪い。顔色は青く、唇の色も変わっている。死人のようだった。
それは、能力を使ったせいだろうか。あるいは、加納という大物との交渉ゆえだろうか。それとも、大勢の人間の注目を浴びたせいか。
いや、恐らくはその全てが原因だろう……。
「あなたは、ヒーローアニメの死にキャラにでもなったつもりですか? あなたが死ねば、ユリアちゃんが悲しむんです。黒崎さんも困るんですよ」
美桜の声には、様々な感情が込められている。草太は何も言えず、ただただ俯くだけだった。彼女をこんな場所に引っ張り出してしまい、申し訳ないと心底から思った。
「あなたに反省する気が少しでもあるなら、二度とこんな馬鹿な真似はしないでください。あなたが死んだら、困る人がいるんです。悲しむ人もいるんです」
そう言うと、美桜は振り返りもせず去って行く。黒崎は無言のまま、後に続いた。彼の沈黙は、草太の行動を責めているようにも、あるいは誉めているようにも思えた。
残された草太は、美桜と黒崎の今後について考えた。
ふたりとも、今までは世間から離れて生活していた。また誰も、彼らには目もくれなかった。美桜は引きこもり、黒崎はホームレス……それ以外の何者でもなかったのだ。
ところが今では、加納春彦に卓越した能力を知られてしまった。流九市の、裏の世界を仕切る大物である加納。そんな人物が、美桜や黒崎のような有能な人材を放っておくとは思えない。
今後、美桜と黒崎の生活は、本人の意思とは無関係に変化するだろう。ふたりにとって、それが良いことなのか悪いことなのか……今の草太には分からない。
分かっているのは、その変化をもたらしてしまったのは自分である……ということだけだった。
ふたりに、でっかい借りを作っちまったな──
・・・
それから時が経ち、いよいよユリアたちが流九市を旅立つ日が来た。
流九市の外れに一台の乗用車が停まっており、そこには荷物が積まれている。言うまでもなく、中田兄妹とユリアの荷物だ。
そんな彼らの旅立ちを見送りに来たのは、草太と美桜、そして黒崎……さらに、加納と木俣も来ている。
例によって加納はTシャツとデニムパンツ姿であるが、今日のTシャツには「
「加納さん、本当にお世話になりました」
そう言って、深々と頭を下げる中田兄妹。すると、加納はニッコリと笑った。
「これから行く場所は何もない山奥の田舎だけど、安全に暮らすことは出来る。自然に囲まれて動物も多いから、ユリアちゃんも気に入ると思うよ。君もヤクザとしてではなく、村の住民として生きてみるんだね。ヤクザより、楽しいかもしれないよ」
そう、これからユリアたちが行く場所は……山奥にある田舎の村である。ただし、住人たちのほとんどが加納の知り合いなのだ。
言ってみれば、村全体がまるごと隠れ家となっているようなものである。万が一のことを考え、加納が用意してくれたのだ。
続いて中田は、草太たちの方を見る。
「草太……それに夏目さん、黒崎さん、ユリアが御世話になりました。このご恩は、一生忘れません」
そう言うと、中田兄妹は草太たちに深々と頭を下げる。
しかし、ユリアだけは動こうとしない。彼女は、何か言いたげな表情でじっと三人を見つめている。その表情は、今にも泣き出しそうだった。
もっとも、草太もこみ上げてくるものを必死でこらえていたのだ。これまでユリアと過ごした日々が、走馬灯のように甦る。彼女のおかげで、草太は生きることの意味を知った気がした……。
いや草太だけではない。美桜も、黒崎もだ。
だからこそ、ここで泣いた顔は見せられない。ユリアの前では、最後まで頼りになる大人でありたかったのだ。
しかし、その直後にとんでもないことが起きる。
何を思ったか、ユリアは深く息を吸い込んだ。そして──
「そうたーん! みおねえちゃーん! おっちゃーん! いっぱい、いっぱい、ありがとおぉぉ!」
ユリアが叫んだのである。その声は、あまりにも可愛らしいものだった。三人はただただ呆然となり、何も言葉を返せなかった。
「な、なんで……ユリア、喋れたのかよ」
ややあって、草太は呟くように言った。すると、加納がおもむろに口を開く。
「ユリアちゃんの失声症は、環境の急変や極度の不安からくる一時的なものだったようだね。ロシアにいたころの彼女は、日本語もロシア語も話せていたらしいよ。まあ、喋れるようになって良かったじゃないか。君らのお陰だよ」
加納の言葉に、草太は涙をこらえながら頷く。その横では、美桜が涙を拭きながら手を振っている。黒崎ですら、こみ上げてくる何かをこらえるため上を向いていたのだ。
本当に、良かった……草太は、心からそう思った。こんな形でのラストを迎えられるとは。世の中というのは、そう酷いものでもないらしい。
少なくとも神さまは、ユリアのことを見捨てなかったのだ。
しかし、次いで発せられたユリアの言葉には、草太のこらえていた涙をも吹き飛ばしてしまうほどの威力があった。
ユリアはすっと息を吸い込み、さらに大声で叫んだ──
「そうたーん! ユリアはね! おっきくなったら、そうたんのおよめさんになってあげるから!」
「えっ……えええっ!?」
思いもよらぬ告白に、唖然となる草太。一方、ユリアはぶんぶん手を振った後、母の真美と共に中田の車へと乗った。
直後、車は走り去って行ったが、ユリアは車の中からずっと手を振り続けていた……。
「おやおや、逆プロポーズとは。ユリアちゃんらしいですねえ」
そう言って、美桜はクスリと笑った。彼女は、涙を拭きながら笑みを浮かべている。
一方、普段はしかめ面をしている黒崎までもが、にやけた表情で口を開いた。
「便利屋……良かったなあ、嫁さんが見つかって。ユリアは、間違いなく美人で気だてのいい奥さんになるぞ。まあ年の差はあるが、こんな時代だ。問題なかろう」
「か、からかうんじゃねえよ。どうせ大きくなったら、同じ学校にいるサッカー部のキャプテンあたりと付き合うようになってるさ」
そう言って、草太はプイとうつむいた。すると、今度は加納がポンと肩を叩いた。
「いやあ草太くん、僕は君を誤解してたよ。君は便利屋さんかと思っていたが、実は大泥棒だったんだね。君は、ユリアちゃんの大事なものを盗んでしまったようだ」
「はい? 大泥棒、ですか?」
訳がわからず、聞き返した。しかし、加納は愉快そうに言葉を続ける。
「そうさ、君はユリアちゃんから大変なものを盗んでしまった」
そこで加納はいったん言葉を止め、真剣な表情を作る。
「彼女のハート──」
「どっかの映画のセリフを、そのままパクらないでください。あなたも、セリフ泥棒です。さっさと帰りますよ」
加納が言い終わる前に、木俣の手が伸びてきた。彼のゴツい手が加納の首根っこを掴み、強引に引っ張っていく。加納は引きずられて行きながらも、ニコニコしながら草太たちに手を振っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます