一番最後の答え合わせ

 夜闇、月を眺めながらペットボトルの甘いミルクティーを口にする。


 ゴクリと飲み込んで息を吐きだせば、白い息がふわりと空気に溶けていく。


 太刀上たちかみ溌希はづきは釈然としないようすで自宅近くの公園のベンチに一人で腰かけていた。


「物思いに耽っているようじゃの。らしくもない」


 か細さと明瞭さが奇妙に混ざり合った幼い声がした。


 振り返ればそこには、見覚えのある小さな女の子が立っている。


「……、あなたですか。一体何の用ですか」


「なぁに、別に答え合わせが欲しいかと思って、わざわざ出向いてきてやったというだけじゃ」


 哉子やこと呼ばれていた小学生くらいの年頃に見える女の子。


 声色にあどけなさが残っているのに、言葉には妙にすっきりした真があるので脳に混乱が引き起こされる。


「今回の件、あなたは全部知っていたのですか?」


「全部は知らんよ。少し相談は受けたがな」


「……、そうですか」


 それっきり溌希はづきは何も聞こうとはしなかった。


 ただ、公園のベンチに深く座って春の夜空に瞬く星を見るばかり。


「興味ないのかえ?」


「ないわけないでしょう。ただ、わたしがそれを知ることが正しいことかどうか、自信がないんですよ」


「正しさなんて誰にも判別つけられぬよ。真実なんてものはただそこにあるだけなのじゃから」


「……、なんですか。真実を一人で抱え込むのが辛いとかそういう話ですか?」


「じゃあそれでいいから、聞いてけ?」


「やけに素直ですね。分かりましたよ、聞きます。でもどうしましょうか……、わたしたちに『龍の瞳』は効果がないはずなのに、一体どうしてあの子は刃を受け入れたんですか、とでも聞けば良いですかね?」


「うん、随分話し易くていいのぉ、それは。なぁに簡単なことじゃよ、そもそも始めからアヤツは刃を受け入れる気じゃった」


「でしょうね。それ以外には考えられない。でもだからこそ、分からないんですよ。あの子は死にたがりなんかでは決してなかった。だのにどうしてそんな決断を……」


「それはお主と同じじゃし、わらわとも同じじゃよ」


「……、同じとは?」


「わらわがこの姿で『瞳』の力を使ってまで人の子のふりをしているのと、お主が自らの血と同調できる可能性を持つあの少年の傍らについたのと、同じということじゃ」


「……、わたしはあなたの事情についても全く知らないのですが」


「それもそうじゃな、少しだけわらわの話もするかのぉ。今わらわがそばにおるあのおなごの本当の娘は交通事故で命を落としているのじゃよ。酷く悲嘆していたものだから、見ていられなくてのぉ、心が整理できるまでの間、子の代わりとしてそばにいてやろうと思ったんじゃ」


「それは却って残酷じゃ……」


「かもしれんのぉ。だけれど、そのまま放っておくこともわらわには出来なかった。ただまあいつかは真実を話さなければいけない時がくるじゃろうな。来年には二人目も生まれるようじゃし」


「なるほど、あの子はわたしたちが傷つけてしまった子たちを救いたかったのですね」


「うむ。島後とうごという娘はあのときの事故で姉を失くしているでな、自らの命を絶たせる相手として選んだのもきっとその辺りが理由じゃろうな」


「復讐の対象者に復讐のお膳立てをされるというのも随分と……」


「わらわだってそう思うし、アヤツにもそう伝えたんじゃがの、それでも考え直すことはしなかったんじゃ。だから多分アヤツなりの誠意の示し方がコレだったんじゃろうて」


「……、随分と難儀なモノですね。まああの子が自分の死を『上手く使おう』としていたことは理解出来ました。でもだからこそ、分からない。一つだけ本当に……。何だってあんな大舞台の上で殺させたんですか……、あんな……」


「それについても本人から直接聞いたんじゃがな。確か、『私たちは確かに強く長く生きるけれど、不死身で無敵の生き物ってわけじゃないって、みんなに知って欲しいんだよね』じゃったか……」


 溌希はづきはしばらく黙り込んでいた。


 黙って、ただぼんやりと月を眺める。


 答えのないただ白く輝くだけの月を。


「言いたいことはなんとなく分かる気がします。ただ、それはきっと……」


「伝わらないじゃろうな。でもそれでも、命を使うことで伝えようとしていたんじゃアヤツはな」


 きっと初めから報われることや、本当の意味で理解されることを期待することのない行動だったのだろう。


 忠義でもなければ、奉仕でもなく、献身とも言えず、特定の誰かのための情でさえなく、それどころか意味があるかどうかさえも分からない、ただ無償の自己犠牲。


 いや、ここまで来ると自己犠牲とすることすら、躊躇いを覚える。


 決定的なまでの無私の想い。


 その想念に溌希はづきは感傷的な想いを馳せる。


 同情は浮かばず、慰めも浮かばず、褒めるべきとも思えない。


 何か言えることがあるとするならば、きっとただ短い労いの言葉だけだろう。


 気分を変えるように一口ミルクティーを飲み込む。


 口の中に広がる味わいは、上等なモノではなかった。


 だけれど、そのくらいがきっと相応しいのだと、なんとなく納得してしまった。


 結局、決心だの決意だの覚悟だの腹をくくるだのなんてモノはその辺のペットボトルで買うことが出来るミルクティーくらいチープなモノなのだ。


 だってそういう当たり前にあるようなチープなモノたちが集まることによって全ては支えられ今日まで歴史が続いて来たのだから。


 深く、ゆっくり、長々と時間を使って、息を吐きだす。


「お返しにわたしからも、あなたに一つだけ伝えておくことにしましょうか。彼らの望みである一六年前の被害者の救済については行政側である程度の便宜が図られることになるように誘導しておきましたから、あの子の身体が無駄に使い潰されることは恐らくないでしょう」


「お主はわらわと違って『瞳』の力を使うのは嫌いじゃろうに、手間かけさせてすまなかったのぉ。アヤツの代わりにわらわが礼を言っておこう。ありがとう」


「たまには使っておかないと、いざというときに使い方が分からなくなってしまいますからね。だから、いいんですよ」


 溌希はづきはそれ以上言葉を返すことはなく、ただ黙って甘いミルクティーを一口飲んだ。


 気が付けば、哉子やことなっている龍の少女は夜闇に紛れるように消えていた。


 きっとまた元の居場所に戻ったのだろう。


 そして溌希はづきもまた立ち上がって元の居場所へと戻るために歩き出す。

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どうして龍は死んだのか? 加賀山かがり @kagayamakagari

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