かえりみち

 刻は何時の間にか夕暮れ。誰そ彼時となれば人は自然にまばらになり行く頃である。

 夕陽に照らされた茜色の帰り道、あやめは何時の間にか誰かの手を引いて歩いていた。

 小さな男の子だった、何処か見知った青年の面影がある。

 その子供の額には角がある、けれどあやめは驚かない。


『あやめ、帰ろう。■■が待ってる』


 あやめを見上げながら、男の子は笑う。

 そうね、帰りましょう。戻るのが遅くなったら、あの人が心配するから。

 あの人が待っている、早く戻りましょう。

 けれど走ってはいけないわ、また転んで怪我をしてしまうから。

 そう言えば、男の子は少し不貞腐れたようにするけれど、あやめの手を離して道の先を指し示す。


『■■が待ってる、早く行ってあげて』


 きっと待ってくれている、もしかしたら待ちくたびれてしまっているかもしれない。

 ええ、早く行きましょう。さあ一緒に……。


「あの方は、ずっと貴方を待っていた」

「え……」


 馴染みのある声が聞こえたと思って驚きながら目を瞬いたなら、少年が居た筈の場所には御影が居た。

 御影は一人である。

 一緒にいた筈の玄鳥とは別れたのだろうか。御影は、何故、ここに居るのだろうか。

 問いに戸惑いに、様々な感情や考えに綯交ぜとなったあやめへと、静かな眼差し向けながら一度沈黙した御影は、意を決したように言葉を紡いだ。


「彩の鬼と人との恋物語は、五つではありません」


 御影がいうのは、玄鳥が月夜に語ってくれた物語の事なのだろう。

 何故それを御影が知っているのか。玄鳥から聞いたのか、それとも別の理由なのか。

 それよりも彼の言葉の続きが気になって、あやめは言葉を口に出来ないままでも、真っ直ぐに御影を見つめた。

 その眼差しを受け止めて、確かな口調で御影は続ける。


「もう一つあります。‥‥…最後の一つである、最初の物語が。今の貴方にならきっと……」


 訴える青年の額に、角があった。先程の少年と同じように。

 強い風が吹いて、一瞬目をあけていられず咄嗟に瞳を閉じる。

 再び開いた時には、もう青年の姿はそこになかった。

 この先で、貴方を待つ人が居ると『あの子』と御影は言っていた。

 あやめは沈黙のまま、そのまま先へと歩みを再開した。そうするべきだと思ったから。


 通った事のないのに奇妙に懐かしい帰り道を、一人で歩く。

 玄鳥宅へ帰るのに、こんな道を通る事はない。知らない場所を歩いている。それなのにこの道が正しいと思うのだ。

 風が吹く度に、夕焼けに照らされた名前も知らぬ花たちが右に左にと揺れる。

 その中を、あやめは言葉もないまま進む。夕焼けは徐々に黒を帯びて濃くなっていく。

 一歩、また一歩と足を進める度に、あやめの中にひとつずつ思い出が戻って来る。

 小さくてささやかな日々の積み重ね、それはあやめとしての日々であり、あやめのものではない日々であり。

 大事に大事に抱いていた温かな記憶が、今に昔にとくるくると移り替わりながら、あやめの中に収まっていく。

 光がひとつ、またひとつあやめに集う。その度に、ただ淡く光るのみだった周囲の花々に色が表れていくのだ。


 道を行く最中、幾つかの影と行き会った。彼らは皆、道の先を指し示す。

 本音悟らせない微笑みで如才なく立ち回る金の鬼。

 生真面目実直で融通が効かない紅の鬼。

 享楽的にありながらも朗らかな翠の鬼。

 意地悪く笑う少し天邪鬼な蒼の鬼。

 気難しいけれど面倒見の良い銀の鬼。

 かつて在った日々に邂逅した彼らが、愛する者の肩を抱きながら道を示してくれている。


 花々が数多の色彩を宿す頃には、あやめの手の中にはあの万華鏡があった。

 玄鳥が亡き妻の為に誂えた不思議な万華鏡の中には、今では幾つもの色彩が溢れて像を為している。

 金色、紅色、翠色、蒼色、銀色、そしてそれを取り巻く……玄。

 きらきらと集い散じる、輝き達。

 ひかりを放つ、鬼と人を繋いだ想い――。

 あの日、深淵の玄がくれた世界に唯一つのこころを色として華を結ぶ万華鏡。

 彼が手ずから作ってくれた、だいじな、だいじな贈り物。


 あと少しと言い聞かせながら歩み続けて、あやめは漸く其処へと辿り着く。

 歩いて歩いて辿り着いた先、彩り誇る花々が咲き乱れる中、望月が輝く漆黒の空の元に玄鳥は立っていた。

 平素の頼りなげな雰囲気はもうなかった。草臥れて情けない様子もない。

 そこに居るのは、深い玄の色を纏い、何処か触れてはならないと畏れを抱かせる威厳を持つ者。

 けれど彼女は知っている、この人が本当は誰よりも優しい事を。誰よりも妻を愛してくれている事を。


「あやめさん」


 風が渡り、花々が揺れる。一斉に数多の彩が揺れて踊る。

 不可思議の空間で、彼は未だにそう呼ぶのと言いたげに、彼女の口元には苦笑が浮かぶ。

 静かな声音が名を呼ばれても、彼女は唯穏やかな微笑みを浮かべて彼を見つめるばかり。

 もういいのです、という想いを込めて眼差しを向ける。それは少しの迷いを宿す黒とぶつかる。

 僅かばかりの逡巡を感じる。

 けれども、彼はもう一度口を開いて、彼女を呼んだ。


「『彩女あやめ』……」


 その瞬間、最後の光が彼女の中に戻ってきた。

 光は弾けて、それが最後の鍵となる。

 開かれたのは、彼女が探し求めていた何時か。交わした約束と、それが叶う刻。

 全てが彼女に戻ってくる。

 額に角持つこの存在が、どれ程自分を愛してくれているのか、どれだけ優しく幸せな季節を共に過ごしたか。

 自分が――彩女がこの鬼の元にどれだけ帰りたかったか……。


『必ず……戻って、きます。あなたの、もとに』


 思わぬ形で訪れた別れの際、最期に願い紡いだ約束。

 幾つもの季節の果て、巡るときの彼方に必ず戻るのだと願っていた場所に、彩女は辿り着いたのだ。

 彩女の夫である、この『始まりの鬼』の元に。

 万華鏡の中に眠り続けた『彩女』の想い。

 積み重ねたこころが戻る日を待ち、巡る時の夢を見ながら。夢に夢を重ねながら、約束が叶う日を待ち続けた。

 鬼と人との間に結ばれた絆を契機として、五つの物語の先に見出した『最初の物語』。

 人と心を交わした彩の名を持つ鬼達。

 それも始まりに一つの愛があったからこそ。

『始まりの鬼』が人を愛し、愛されたからこそ、鬼達はその在り方を変えた。


 さあ、六つ目の物語を紐解きましょう。

 私の魂の中に存在した、始まりの物語を今こそ。

 今宵の語り手は私、今宵の聞き手は貴方。

 彼女が手にした万華鏡が、くるくると美しい絵を紡ぎ始めて。二人の間に物語が開かれる。


 ――今宵此れに語るは、不思議の万華鏡に纏わる物語。彩の鬼と人との始まりのお話、天の足夜のきせきがたり……――。



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