待宵・三
銀の鬼が六花に一方的な別れを告げてから、幾日かした後の事。
六花の姿は帝都のある屋敷の内にあった。
六花はがたがたと震えていた。
何が起こったのかわからない。
突然銀嶺が消えてしまい、泣きながら館中を探して回って、それでも見つからない。
銀嶺の家へと帰ったのだろうかと思うけれど、何故かそれとも違うような気がして不安でならなくて、闇雲に駆けまわって。
玄関の扉が軋む音がして、銀嶺が戻ってくれたのかと希望を抱いて向った先、居たのは見た事もない男達だった。
その中でも一番前に進み出た男が、うやうやしく礼をしたかと思えば言ったのだ。
『お嬢様、お迎えにあがりました』
その後の事はあまり覚えていない。
突然現れた見知らぬ人間達に怯えて暴れる六花は、無理やりに何かの乗り物に乗せられた。
そして、気が付いたら『ここ』に居たのだ。
暮らしていた館よりも格段に大きくて豪華な造りの屋敷だと思う。
けれど何処か刺々しくて、内に取り込んだものを食らってしまいそうな圧迫感を覚える。
暫くは逃げ出そうとして暴れ、その度に気を失わされ、現在に至るのだ。
目の前には知らぬ女と男が居る。
女は美しい着物を来て身を飾っているけれど華美で傲慢であるように感じ、六花の目には何故か醜悪に映る。
男の方はやはりきちんとした身形をしているものの六花から目を逸らしがちで、何処か卑屈さを感じる。
二人とも、お世辞にも好意的であるようには見えない。むしろ、敵意めいたものすら感じる。とりわけ女の方からは。
汚いものでも見るように六花に視線を向けていた女が、これみよがしな溜息と共に口を開いた。
「まあ、気味の悪い見た目だこと。それでも一応それなりではあるから、まあ良いでしょう」
明確な悪意による嘲笑と共に、高慢な女は尚も言う。
「変わり種好きで初物好きの業突く張りには、こんなもので良いわね」
「言葉が過ぎるぞ、初枝」
「取り繕っても仕方ないでしょう、貴方が作った借財のせいであんな下賤な男と縁を持たねばならなくなったのだから」
二人が何を言っているのかわからない。
分かるのは、言葉に宿る隠しようもない嫌悪と憎悪だけ。
六花はただ混乱している、この見た事も無かった女は何を言っているのか、何故自分にこんな悪意を向けるのか。
向けられる戸惑いの眼差しに返るのは、嘲笑だった。
「まあ、碌な教養も与えていないけれど、どうせ見目の良い玩具程度でいいもの、問題ないわ」
違う、優しい鬼が沢山のものを与えてくれた。
そう心の中で叫んだけれど、この女達にそれを言う気にはなれなかった。多分無駄だと感じていたから。
女は毒を含んだ声音で更に嗤いながら続けている。
「あんな老人の後妻に、瑞枝をやるなんてとんでもない。無駄飯食らって生きていた分、この子には役に立ってもらわないと」
お情けで生かされていた貴方の不義の子なのだから、女は男にそう言った。
男は罰悪そうに俯いている。
ああ、そうかと六花は悟った。この卑屈そうな男は、六花の父親だったのだと。
父親。
六花が生まれてくる事になった、その源にいる二人の人間の内の一人。
親である男、子を守ってくれる筈の存在。本来であれば、六花を守り育ててくれていた筈の男性。
その人が六花に向ける眼差しは、親しみも情も何も無い。ただ忌まわしいという光しか、そのおどおどとした瞳には見られない。
向けられる菫の眼差しに耐えきれなくなったのか、堰をきったように男は六花に滔々とまくし立てた。
自分が異国を遊学していた時に、六花の母に出会って六花が生まれた事。
母は出産にて亡くなり、母に血縁らしい存在は無かったために、仕方なく六花を連れ帰った事。
婚約者との結婚の障りになる為、あの館に追いやられていた事。
そして、今回男の家が傾いているのを何とかするべく、見知らぬ老人の後妻にされる為にここに居る事。
投資に失敗しただの、使えそうだった姪がいなくなっただの、良く分からない事も聞かされた気がする。
六花には理解できない、したくない事ばかりだ。
「お前の母親に誑かさなければ、私は道を間違える事もなかったのだ!」
震えながら叫ばれる言葉が、六花を礫となって打つ。
「お前の母親は、男を堕落させる魔物だ! そんな魔物から生まれたお前もな!」
何故そんな事が言えるのだろう、一度は愛した人ではないのか。
「お前さえ生まれてこなければ!」
その言葉が叫ばれた瞬間、弾かれたように六花は身を翻して走り出していた。
待ちなさいと女が甲高い声で叫ぶのが背後で聞こえる、けれど六花は足を止めない。
見た事もない広い屋敷を、只管に走り回る。
捕えようと追う男達から逃げながら、六花は宙へと向って叫ぶ。
「嫌! 知らない人なんて嫌! 嫁ぐなんて嫌!」
そこに彼が居て、訴えを聞き届けてくれるとでも言うように。
今までそうしてくれたように、優しい手で自分を抱き留めてくれるとでも言うように。
六花は必死に叫び呼ぶ、愛しい銀の鬼を。
「銀嶺! 助けて! 銀嶺以外は嫌!」
知らない男の妻になるのも、知らない男に触れられるのも絶対に嫌だと、六花は訴える。
追う手を躱し逃げ続けながら、かつての小さな世界の庇護者であった鬼を呼び続ける。
「銀嶺以外のものになりたくない! それぐらいなら、私を喰らって!」
銀嶺以外いらない、銀嶺だけがあればいい。欲しいのも、求めて欲しいのも、銀の鬼だけ。
わたしの世界には、貴方だけでいい。
貴方以外をわたしの世界に入れなければいけないなら、いっそ殺してくれ――。
追う下男の手が、六花の髪の先に触れると思われたその瞬間。
音もなく下男は吹き飛び、その場のあらゆるものをなぎ倒す程の暴風が吹き荒れた。
為す術なく飛ばされて身体を打ち付けるもの、何かにしがみ付いて辛うじてやり過ごせたもの。
誰もが立って居られぬ災いが過ぎた後、その場にはそれまで無かった影があった。
美しい銀色の色彩纏う男が、六花を腕に抱いて他を睥睨している。
一対の角が男の額にある事を認めたものは、震えながら後退り声なき悲鳴を上げる。
鬼だ、と引き攣った叫びが聞こえた気がするが、六花にとってはそんな事はどうでもいい。
銀嶺が自分を抱き締めてくれている、それだけが全て。
深い嘆息と共に、苦い声音で銀嶺は言葉と紡ぐ。
「……こうしてしまえば、もう離せなくなると思ったから離れた筈だったのだがな」
「……離れるのは、嫌」
もう一度抱き締めてしまえば、絶対に手放せなくなる。
何を背負わせる事になろうとも、自分の傍から離せなくなると思ったから。
六花を手放そうとした鬼は、そう言った。
けれど今自分はその腕の中にある、そう思えば六花の顔には自然に笑みが浮かぶ。
嬉しそうに笑う六花を見て、更に溜息を追加して銀嶺は続ける。
「誰に囚われるより性質の悪い男に捕まったのだぞ、わかっているのか?」
「わたしは、銀嶺がいいの! 銀嶺に捕まっていたいの!」
六花が宣言するように言い放ったならば、銀嶺は目を見張って絶句する。
一瞬言葉に詰まったようだったが、優しい苦笑をその端正な面に浮かべて何かを言おうとした。
その瞬間、無粋な金切り声がそれを阻んだのである。
「鬼であろうと、その子は連れていかせないわよ! その子は大事な金蔓なのだから!」
「……鬼を相手に、食ってかかれるその肝だけは褒めるべきなのか」
そちらを見たならば、追いついてきたらしい父の妻が凄まじい形相で二人を睨みつけている。
呆れた様子で言う銀嶺は、尚も何か言い募る醜悪な女に醒めた眼差しをやりつつ、如何したものかと思案する。
四の五の五月蠅い血縁など、消してしまった方が後腐れなかろう。
そう結論を出して、力を振るう為に上げようとした手を止める手があった
六花である。
「……まさかと思うが、情でも湧いたか?」
「そんな事あるわけがない」
ほっそりとした手で銀嶺の腕を押さえる六花は、ふるふると首を横に振りながら迷いなく言い放つ。
「わたしは、こんな人達の血で、銀嶺の手が汚れるのが嫌なだけ」
「……なら、仕方ないな」
銀嶺は宙空に眼差しをやり、一度指を鳴らした。
その場にいた人間達は、思わず目を疑う光景が展開される。
金に銀に宝石、見事な宝飾品や細工物、眩いばかりの財宝が空から降り注ぎうず高く積み上げられていく。
小柄な六花の背丈など越えてしまう程に山を為すそれを前に、言葉を発せる人間は皆無であった。
卑小なる父親も、高慢なるその妻も、間抜けに口を開いたまま言葉を失ってしまっている。
その様を見下ろしながら、銀嶺は凍てついた声音で告げる。
「これぐらいで良かろう? お前の借財補っても余りあると思うが」
人間達が未だ茫然として動く事が出来ぬ中、銀嶺は六花を横抱きにして歩き出す。
「要らぬとは思うが、最後に一つ忠告しておく」
去り際に視線だけ向けて、鋭く呟く鬼。
「……それを扱うなら、慎重にせねば身を滅ぼすぞ」
そして次の瞬間、煌めく宝に茫然としたままの人間達を残して銀嶺と六花の姿はその場から消えていた。
残されたのは沈黙したままの人間と、意味ありげな輝き放つ富だけだった……。
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