待宵・二


 それを機として、鬼と人間の子供の不思議な交流は始まったのだ。

 交流と呼ぶには、一方的な世話焼きに終始してはいたのだが。

 鬼は痩せぎすな子供の栄養状態の改善から始めた。

 訪れる度に何かしらの食材を手にしては、手ずから料理して子供に食べさせる。

 箸の使い方も教え、食事の作法も教えながら傍で見守る。

 大体の場合において食するのは六花だけだが、その求めがあれば銀嶺も卓に着いた。

 誰かと食卓につくというそれまでした事のない事を、六花は銀嶺としてみたかったのだ。

 鬼の手製の菜が並ぶ食卓にて語らうのが、何時しか倣いとなっていた。


「ねえ銀嶺、何でそんなにご飯を作るのが上手なの?」

「少し興味が湧いて覚えてみた。どうせ食うなら美味いほうがいいと思って極めてみただけだ」


 時折話してくれた内容から察するに、銀嶺は鬼の中でも同族を統率する立場にある一人らしい。

 人の世では『大妖』とも称される、かなりの力持つ鬼であるとの事だ。

 それが、実に手際よく見事に食膳を整えて見せる。他者を従える立場にあるというらしいのに。

 常々の疑問をぶつけてみれば、返ってきたのは何とも言えぬ答えである。

 銀嶺は一度己を『凝り性』と称した事があるのだが、その域を越えてはいないだろうかと思う六花。

 こてん、と首を傾げつつ、更なる問いを六花は紡ぐ。


「……鬼って、人を食べるのに?」

「鬼は人だけを食うわけじゃない。人と同じように作物や家畜を料理したものだって食うし、無論嗜好だってある」


 鬼が人だけを喰らっていたら、人の世が大変な有様になるだろう。

 その言葉から六花は、鬼は人だけで命を繋いでいるわけではないと悟る。


「それに、お裁縫とかお掃除も出来るのは何で?」

「身の回りの事とて自分で出来るに越したことはないだろう?」


 ……仕えて身の回りの世話をする人が大変そう、気苦労という意味で。

 心の中で、六花は銀嶺の配下の鬼達の心情に思いを馳せた。


「銀嶺、何でも出来て凄い」

「……褒めたからといって青菜の煮浸しは残していい、とは言わないからな」

「……いじわる」


 褒め言葉にも、慈悲は無かった。

 色々口にするようになって好き嫌いが出てきたのだが、鬼はお残しを許さぬ方針。

 膨れて見せながらも、苦手な青菜をもそもそと口にする六花であった。



 また、ある時には六花が雷を苦手とする事が銀嶺に知られる事となった。

 雨の夜の帰り際、外に響く雷の轟きに怯えるのを押し隠そうとした、けれど相手に気づかれぬわけがない。

 銀嶺は苦笑すると、その広くて温い腕に六花を抱いてくれた。

 何処よりも安心できる居場所で恐怖など消え失せて、気が付けば六花は朝まで銀嶺の着物を握りしめて眠っていた。

 六花は、それ以来雷の日を密かに心待ちにするようになった。

 


 ひとつふたつ、触れあう思い出積み重ね。

 何時しか屋敷を訪れる事が銀の鬼の日常となり、鬼と共に過ごすのが六花の日常となり。

 小言が多くても情に厚く一度懐に受け入れてしまえば手放せない鬼と、ただ一途に純粋に鬼を慕う少女は幾つもの季節を共に過ごした。

 銀嶺が六花の元を訪れるようになって、実に五年の歳月が流れた。


 ◇◇◇◇◇


 満月をうけて青白く見える館の中、奥つ城の部屋にて六花は窓の外の月を見上げる。

 鬼と過ごす緩やかな優しい時は、六花に変化を齎していた。

 何時しか、垢と埃にまみれて震えていた痩せた子供はもう何処にも居ない。

 儚く消えてしまいそうな淡い風情を持つ、健やかな身体、優れた知性と教養持つ美しい少女がそこに居る。


(今日は月が明るい、お散歩したいってお願いしようかな)


 時折訪れる世話役は、怯えたように六花を見る。

 無理もない事だと思う。

 死なないようにだけ気を付けておざなりに世話をしていた筈の相手が、何もしていないのに元気に成長していく。

 薄汚れて痩せこけていた子供が、何時の間にか小ざっぱりとした衣服を纏い、見てわかる程健やかになっている。

 それに、館の中もいつの間にか綺麗になっている上に、見知らぬ飾り物まで増えている始末である。

 持ちだそうとした世話役は手ひどい悪夢に魘されるようになったらしい。

 きちんと清掃された屋敷の中は、調度類も往時の美しさを取り戻し、名家の別邸としての威厳を取り戻している。

 そうなる心当たりがまるでなければ、怯えたとしても仕方ない。

 ましてや、子供が得体の知れない異国の血を引いていると聞いているのであれば尚の事。


 矢張り鬼子だったかと呟いているのを聞いた時は、嬉しくすらあったものだ。

 鬼の銀嶺と共に在るのに、鬼子の自分というのは悪くないではないか。

 鬼子と呼ばれながら六花はずっと待っていた、何時しか鬼が自分の元を訪れてくれるのを。


 六花が置かれていたところには、何も無かった。

 ただ、四六時中お腹をすかせて、寒くて毛布をまきつけて、何をする事もなく宙を眺めているだけの時間。

 時折現れる人間は、君の悪い鬼子と呼んで食べ物を置いてすぐさま去っていく。

 鬼子とは何だろう、鬼の子供? 鬼とは何? 

 鬼という単語に何故かしら親しみを感じた、きっと自分にとっては慕わしいものである気がする。

 漏れ聞こえてきた人間の言葉の端から察するに、鬼とは人を喰らうものらしい。

 それなら、自分の事もばりばりと頭から食べてしまってくれるのではなかろうか。

 自分には何もない、どうせなら食べられて無くなってしまいたい。

 そうすればきっと、少なくとも『何でもないもの』から『鬼の一部』にはなれると思うから。

 そのままただ時折与えられる食べ物を食べて、息をする事を続けていく事に意味なんて見出せなくて。


 そして鬼は現れた。

 初めてみたそれは、月の光に銀色の髪がきらきら輝いてとても綺麗な存在であって。

 けれど、想像していたものとは随分と違っていた。

 鬼は六花を喰らわなかった。むしろ六花に手製の料理を食わせてくれた。

 顰め面で小言を言いながら、温かな手で六花に触れてくれた。

 溜息をつきながらも、溜息交じりでも、六花の生に意味を与えてくれた。


 銀嶺は訪れる度に様々な事を教えてくれた。

 立ち居振る舞いや礼法などの暮らしていく上で必要な事、身の回りの事や家事などの生きていくために必要な事。

 鬼の目から見てのものではあるが人の世の在り方や歴史、数多の教養や嗜み、無聊を慰める術。

 ひとつひとつ隣にて、時として手を添えながら六花が覚え一人で出来るようになるまで根気よく教えてくれた。

 何事にも凝り性の鬼は、非常に厳しくも熱心で温かな師であった。

 小言を言いながらも、頑張った褒美と沢山のものを与えてくれた。

 美しい衣服であったり、面白い本であったり、甘い菓子であったり、綺麗な飾り物であったり。

 でも六花が一番好きなのは、手習いで頑張った時に撫でてくれる大きな手だ。優しくて力強い感触が、どんな贈り物よりも一番嬉しい。


 振舞おうと思えば幾らでも優雅に振舞えるようになっても、六花は銀嶺と居る時は無邪気なままだった。

 取り繕った顔なんていらない、銀嶺の前では飾らぬそのまま自分で居たい。何

 も考えず銀嶺に甘えていたい、寄り添って過ごしたい。

 出来るならば、この優しくて美しい鬼を独占したいとすら思う。

 独り占めしたいし、独り占めされたい。

 銀嶺は時折、六花を人と関わらせるべきかと悩んでいる事がある。肉親も生きているし、友というものの必要ではないかと。

 けれど、六花はそんなものなどいらない。

 ただ、銀嶺だけが居てくれればいい。銀嶺に与えられたものだけが、六花の世界の全てであればいい。

 救い、今の形を与えてくれたのはあの美しい銀の鬼。銀嶺こそが、六花の世界であればいい――。



 その夜現れた銀嶺は、何時ものように食事を作り共に卓についてくれた後、六花の願いを聞き入れて月下の散歩へと連れ出してくれた。

 輝く月は、銀嶺を思わせる美しい銀色だ。

 銀嶺の腕に横抱きに抱えられながら、月を見上げる。

 近くに輝く月、上空に輝く月。二つの月に、幸せそうに笑う六花へと銀嶺が眼差し落す。

 伝えたい、と六花は思った。


「あのね、銀嶺」


 口にした、心の中を満たす、ただ一つの想いを。


「銀嶺、だいすき」


 ◇◇◇◇◇


 銀嶺は思わず目を見張った。

 六花が口にした言葉に、思わず言葉を失ってしまう。

 戸惑ってはいたけれど、それは嫌なものではない。

 寧ろ好ましい、否、嬉しいとすら思った。

 嬉しいと思った己に、愕然としたのだ。


 六花が己を好いていると言う。

 六花は無邪気な娘だ、それに好ましいと感じたならそれを口にする。

 そこに他意はないかもしれない。

 けれど『他意があって欲しい』と思った自分に気付いてしまったからだ。

 銀嶺にとっては、六花は『庇護する対象』だった。

 森の館で見つけた奇妙な子供。

 世話焼きの性質故に放っておけず、手をかけていたなら懐いてきた。

 懐に一度入れてしまえば中々手放せない性格もあると思っていた。

 恐らく自分が構う事を辞めたなら、そう遠くないうちに六花は再びやせ衰え、今度こそ命を落すかもしれない。

 だから、仕方なく世話を焼いてやっている。

 そう思おうとしていた、けれど違うのだ。

 六花の世話を焼く事を心の中で何よりも楽しんでいる自分が居る。

 小言を言いながらも、六花が自分へ悪戯な笑みを見せるのが愛らしいと思う自分が居る。


 自分が与えるもので、六花が花開いていく。

 美しくなった六花が、無邪気に自分を慕ってくれるのを至上の喜びと思う、自分が居る――。


 世話を焼いて守ってやらねばと思っていた小さな子供は、何時の間にか一人の美しい娘となっていて。

 そんな娘を、愛しい、と思っている事を銀嶺は自覚してしまった。

 自分以外をその瞳に映してくれるなとすら、思ってしまう事も……。


 けれども、自分は鬼で六花は人の子だ。生きる時の長さの違う、異なる種族である。

 人の世から隠してしまう事はできる。

 自らの眷属として迎え入れれば良いのだ、そうすればもう命の時間に煩わされる事なく共に在る事が出来る。

 けれどそうしたならば、六花は『業』を背負う事になる。人であったが為に、人から鬼に転じた者が背負う『業』を。

 始まりの鬼が最後まで悩み続け、その結論を出せなかった事を銀嶺は知っている。その内に悲劇は起こり別れが訪れた。

 悲劇が怒らなくても人の命は短い、別れは瞬く間に訪れる。

 それに、人でなくなってしまったなら、六花はもう得られない。人として生まれて本来得るべきだった、人としての幸せを。


 今手放さなければ。

 もう一度抱き締めてしまえば、その時はもう二度と――。



 部屋に戻ってきても無言のままの銀嶺を、六花は不安そうに見上げている。

 銀の鬼はそんな娘に背を向けて、短く告げた。


「もうここには来ない」

「銀嶺!?」


 窓へと歩み始める銀嶺へと歩みよろうとする六花。

 しかし、その足が縫い留められたように動かない。銀嶺の背には、それを拒絶する何かが感じられたから。


「ねえ、銀嶺! どうしたの? 怒ったの?」


 不安そうな声音に涙の気配が滲む。

 振り返ってみたら、恐らく六花は泣いているのだろう。だからこそ、鬼は振り向かない。


「待ってよ! 行かないで!」


 一人にしないで。

 その言葉を背に、銀色の鬼は空に跳んだ。

 


 招かれざる客が鄙の屋敷を訪れたのは、その直後の事だった。

 その後、もう二度と鬼が屋敷を訪れる事も、娘が鬼を待つことも無かったのである――。

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