《幕間・参》

戸惑い

 物語の後は、やはり余韻の沈黙が満ちる。

 此度の物語は随分華やかな雰囲気の、比較的明るい物語であったように感じる。

 ただし、今までの二つと比べれば、である。

 登場した娘の抱えた事情等を考えれば、即座に「明るい話だった。めでたし、めでたし」と素直には言えない。

 それに、美しい女優の話を聞いて劇場での出来事が蘇り、あやめは少し憮然とした様子で口を噤んでしまう。

 沈黙が先日までのものと微妙に違うものを帯びている事を感じとったのか、一度躊躇いを見せた後に玄鳥はあやめへ向き直る。


「……私が劇場で会っていた相手についてですが」

「はい、あの綺麗な女の人の事ですよね。……とても仲がよさそうだった……」


 もしや、とつい言いかけたが寸でのところで飲み込んだ。

 玄鳥が何とも言えない顔をしていたからだ。片手で顔を覆い天を仰いだかと思うと、盛大な溜息をつく。

 とても深い、胸の奥の奥から吐き出しているのではないかと思う程のものだった。

 思わず目を丸くしてしまうあやめ。何と言葉をかけたものか、正直思いつかない。

 物語の後に満ちたものとは全くかけ離れた、痛い程の沈黙が二人の間に満ちて……。

 ややあって、そんな事だろうと思った……という苦い声音の言葉がそれを破った。


「……あれは、私の身内です」

「え?」


 思いもよらぬ言葉に、呆気にとられたあやめは少し間の抜けた声をあげてしまう。

 きょとんとした様子のあやめを見ながら、玄鳥は溜息交じりの言の葉を重ねる。


「あと、更に言いますと。あれは男です」

「え!?」


 違う意味で頭を殴られる程の衝撃だった。

 まさか、あのとびきりの艶な……どう見てもあやめより格段に美しい人が、男性。

 それが事実とするならば、と我が身を振り返り若干の物悲しさを覚えてしまったあやめである。

 肩を竦めながら、玄鳥は苦笑いを浮かべる。


「……身内でも変わり者で有名なのですよ。皆して諦めて本人の好きなようにさせていますが」


 確かに世の頭の固いお歴々からしたら顰蹙ものの人物であるのは間違いない。

 けれども、本人も楽しんでおり、周りの人間も容認しているというのであれば、それで良いのではないかと思う。

 美しいものは美しい、それで良いではないか。

 そんなあやめの考えを見透かしたように、ひとつふたつ頷きながら玄鳥は続きを紡ぐ。


「今日の主演女優さんの付き人をしていましてね。前から是非見に来て欲しいと声をかけられていたのです」


 成程、それで今日はあの歌劇を見に行ったのか。

 時折色々な方面に思わぬ伝手を持つ玄鳥であるが、此度の伝手はあの女性、いや男性だったというわけだ。

 あやめからの質問を挟みながら、玄鳥はその後色々と主演女優達について説明を続けてくれる。

 主演女優は、元々は先の看板女優の付き人であったという。

 付き人をしていたところを先代に見いだされ舞台に立つようになり、今は押しも押されもせぬ当代の看板女優となった。

 そうして、才能が見いだされながら続いていくならばあの付き人さんもいずれ……と思うけれど、先についてはわからぬ事である。本人もどう考えているかはわからぬ事であるし。

 それにしても、女優の付き人か……と不意にあやめはひとつ息をつく。

 また……と心の中で呟く。あまりにあの人の語る逸話は『現実にあった出来事』に共通する部分が多いからだ。

 確かに、全く有り得ないという程珍しい話ではない、しかし。

 今までに語られた、金の鬼の話の中にも、紅の鬼の話の中にも、あやめが知る過去の逸話との相似があった。


 先だって語られた『翠の鬼の話』と、自分の知る、元は付き人であった新人女優の兄の死もそうだ。

 ある時訪問した時に家中が騒めいており、聞いてみたら婚約者の妹の行方が知れないとのことだった。

 婚約者は声を潜めて、ただ『ある女優の付き人をしている』とだけ教えてくれた。

 あやめは何でこのような良いお家のお嬢様が、と不思議に思ったものだが彼は寂しげに笑うのみ。それから程なくして届いたのは彼の死の報せである。


 これは偶然と片づけて良いのだろうか。この酷似は、何か意味を持つのではなかろうか……。 

 物語の中で、鬼の男であった女優は、付き人の娘を女優として活躍させるべく自らは舞台から退いて付き人になって…‥。

 故に、今日の舞台の新人女優の付き人である美しい女性にしか見えない男は、姿を偽った先代の看板女優……?


 違う。それは物語の中の事だ、現実ではない。

 あやめは、駄目だ、と頭を左右に振る。

 現実と物語が自らの中で複雑に交ざり合い、奇妙な感覚を形成し始めている。

 あやめの様子を見て不思議に思ったらしく、玄鳥は首を傾げて問いかける。


「あやめさん? どうしました?」

「いえ、何でもありません。疲れているのかもしれないです……」

「それなら、今日はもう寝たほうが。私ももう少ししたら休みますから」


 お出かけもしたし歌劇を見て興奮もしたし、確かに心身共に疲れているかもしれない。

 頷いて、そうさせてもらうという旨伝えて立ち上がると、背中に玄鳥の嬉しそうな声が聞こえた。


「少し嬉しかったですよ、……あやめさんが誤解してくれて」

「……! おやすみなさい!」


 見透かされている、と思えば罰の悪い表情を浮かべるしかない。

 少しばかり悔しくて、紅に染まった頬を見られないように。けして振り向かずに言い放つと、あやめは足早に居間から消える。

 もう少し気の利いた返しでもしたかったものの、気取られぬようにするのが精一杯。

 或いは、気付かれていたのかもしれないと考えると、尚の事足運びは早まる。

 別に焼きもちを焼いたわけではないし、深い意味があっての誤解ではない。

 自分に言い聞かせるようにしながら歩んでいた時、ふと何かに呼ばれる気がして立ち止まった。


 そこは、書斎の前だった。

 何が、と不思議に思ったが、ある事が気になりそっと書斎へ足を踏み入れる。

 そして、棚に置かれたあの万華鏡を手に取ると覗き込み……。


「……また、戻っている……」


 今までの例に倣って、翠の色が万華鏡の中に戻ってきている。

 金に紅に翠、三つの色が筒の回る度に様々に組み合わされて美しい絵を結んでいた。

 その絵を背景に、不思議な郷愁誘う郷の風景が、そこに生きる人々の姿が、浮かんでは消え、消えては浮かぶ。

 この不思議な万華鏡と玄鳥が語る鬼の物語に何らかの関係がある事は間違いない。

 あの日あやめがこの万華鏡を見つけてから始まった、月の下の物語。

 色の名を持つ鬼と人の恋物語は、あやめの知る過去の出来事と不思議な共通点がある。

 玄鳥が何を思いあやめにそれを聞かせるのかはわからない。

 しかし、物語がひとつ語られて万華鏡にひとつ色が戻る度に近づいている気がするのだ――『何時か、必ず戻る』という約束が叶う時が。

 そう思う理由も、そもそもあやふやな約束にここ暫くの出来事が関わっている確証とてないのに、何故かそう感じられてならない。

 玄鳥に聞きたい事が沢山ある。

 この万華鏡のこと、鬼の話のこと、亡くなった奥様の事。近くに暮らしながら、知らない事が多い玄鳥自身の事……。

 居間の灯りがまだついているのが見えた、玄鳥はまだ寝室へ引き上げてはいない様子だ。

 けれど。

 今戻るのは何故か少しだけ悔しくて、どんな顔をして戻っていいかわからなくて。

 一度頷くと、あやめは身を翻して己の部屋へと戻って行った。



 感じるのは数度目であるならば、あやめはそれが夢である事にすぐ気付いた。

 目の前には、見慣れていない筈なのに深く見知った気がする光景が繰り広げられている。

 美しい郷に幸せそうに笑う人々。

 それを見て喜びで胸を見たしながら、流れる時に微笑む。

 優しい春が過ぎて活気に満ちた夏が来る。寂しくも美しい秋が過ぎて、厳しい冬が来る。

 過ぎる季節、巡る刻の中で、そこにあの人がいた。大切な大切な、あの人が。

 衣に足元を取られないように気を付けながら、あの人の元へと駆けていく。

 少しばかりはしたない行いであるけれど、あの人は優しく目を細めてくれる。

 ああ、微笑ってください。

 私は、貴方の微笑んでくださるお顔が、大好きです。

 威厳のある顰め面も素敵ですけど、やっぱり笑っている貴方が一番好きです。

 そう伝えたら、少しだけ困惑した様子はあったけれど、微笑みと共に手に温かな感触を感じて……。

 


 ……そして、現へと戻ってくる。

 あやめは、我が身が眠る前と同じく自分の床にある事を認識する。そして朝が来た事もまた。

 何時もならばすぐに起きだして身支度整えるところである。

 だが、今日は身体がひどく重く感じる、これは直ぐには起き上がれそうにない。

 溜息をつきながら横たわり、あやめは大きく息を吐く。

 誰かにわらってと願っていた気がする。

 自分も微笑んでいて、相手も笑みを返してくれた。とても幸せで、温かくて―――泣きたい程に哀しい夢。

 何時の間にか頬を伝っていた涙を拭おうとした時、あやめは激しい頭痛を感じて身じろぎする。

 痛みは警告のようだと、何故かしら感じる。けれど、その先にあの人がいるのだから……、いえあの人とは、誰……?

 わからない、それが酷く切なくて悔しい。答えに手が届きそうで届かない事が、もどかしくてならない。

 あやめが床から起き上がる事が出来たのは、それからやや暫し後の事であった。

 

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