《幕間・壱》

昔語り

 語られる話の余韻で不可思議な心持ちだったあやめは、ややあって我に帰る。

 茶はすっかり冷めてしまっていた。淹れ直すかと問いかけたが、要らないと玄鳥は答える。

 何かを言うべきなのだろうが、言葉が見つからない。語られた話は、形容しがたい感情をあやめの中に残した。

 鬼と人の娘との恋の話は、美しくて恐ろしくて、そして哀しくも……幸せに響いた。

 他の人間はそう思わないかもしれない。だが、あやめはそう感じたのだ。

 けれどもそれ以上に『何か』が心に引っかかっている。

 何故か『きいたことがある』という言葉が、あやめの裡にぽつりとある。物語の内容だろうか、はたまた……。

 あやめさん? と問いかけられて、漸くあやめは吐息と共に言葉を紡いだ。


「綺麗……というか、何とも言えない終わりのお話ですね」

「あやめさんは、この話を聞いてそう感じたのですね、成程……」


 今しがた聞いたばかりの物語を、脳裏に巡らせてみる。何とも言えない気持ちの理由の一つに、ふと思い当たった。


「……胸具合の悪い話って何処にでも転がっているのだなあ、と」

「そんなに胸が悪くなる終わりでしたか?」

「いえ、お話の事ではなくて」


 ゆるゆると首を振って眉を寄せ問われた言葉を否定して、あやめはひとつ溜息交じりに口を開く。


「政略結婚に関連するあたりです。……少々私の知る事情と重なる所があったもので」


 玄鳥は少し目を細めて、続きを促すようにあやめを見つめる。

 それに促されるように、あやめは自らの血族の昔についての話を語っていく。

 あやめの生まれる前の話であるから伝え聞いた話であるが、不思議な相似が今聞いた話とあるのだ。


「私のお祖母様は資産家の出らしいですけど、元は妾の娘で……いえ、最終的には正妻の娘なので嫡子扱いになったのですが」


 曾祖母は曾祖父の妾であったという。娘に恵まれ大切にされていたある日、正妻が没した。

 誰もが後添えは曾祖母だろうと思っていた中、曾祖父は突然に華族の家から娘ほども年の離れた若い後妻を迎える。

 何でも子爵家が外腹の娘を妻にと寄越してきたのだという。

 子爵家からは名、曾祖父からは金。何処から如何見ても文句のつけようのない政略結婚であったというが……。


「その『二番目の妻』がそれこそ神隠しにでもあったように突然行方知れずになって、曾祖母様が三人目の正妻になったらしいです」


 男と逃げたのではと当時は少し騒ぎとなったようであるが、それ以後の詳しい話までは聞かされていない。

 分かっているのは、本来であれば最初の妻が亡くなった後に後妻に迎えられて然るべきだった曾祖母は、華族との縁組によって名を求めた男によって妾の身分のまま留め置かれた事。

 どれ程愛娘と慈しまれても祖母は長らく公には蔑まれる立場のままであり、二番目の妻が失踪するに至り曾祖母は正妻として迎えられ、漸く嫡子として扱われるようになった事。

 しかし正妻となって程なくして、曾祖母は男児を産むのと引き換えに世を去ったという。

 妻に相次いで去られるとは余程縁のない男だったのだろうと、あやめは曾祖父を思うと苦い笑いしか浮かばない。

 お祖母様は如何なされました? という問いかけの眼差しを受けて、答えを口にしようとして、あやめの口から零れるのは更に深い溜息である。


「お祖母様は子爵家にお嫁入りしました。……『二番目の妻』の実家の、嘉島家に」


 玄鳥の目が少しばかり丸くなる。無理もない、とあやめは思う。苦い物を噛み潰すような表情で続きを口にする。


「何でも『二番目の妻』の父親である子爵様が焦ったらしいです、娘を嫁入りさせるのと引き換えにかなりの援助をされていたので」


 縁が切れて援助を引き上げられては堪らないと、父方の曾祖父である当時の子爵は考えた。

 何としても縁を切らずに済む方法をと思索する子爵は、資産家の娘の存在に着目した。

 そして自身には未婚の嫡男がいる、婚約者こそあるものの、そんなものはどうとでもなると……。


「何としても縁をきらない為に、婚約を反故にしてお祖母様を嫡男の妻に迎えた、という次第です」


 家柄としては釣り合わぬ縁であっても、ついてくる資産を考えればお釣りの来る縁組である。事実、そうして『二番目の妻』は売られてきたのだから。

 女は生きづらい時代であり、男に従う事が美徳とされている世とはいえど、件の男達の身勝手さに吐き気を覚える、と心の中で呟いた。


「お祖母様は、大人しい気性の優しいお方でした。……嘉島の親族で、唯一好きだった人です」


 母はあまり実家に帰りたがらなかった、兄嫁から一方的に忌み嫌われていたからだ。

 けれども祖母の事は気にかけていたようで、屋敷から離れて暮らしていた祖母の元には連れていってもらっていた。

 祖母は嫁との折り合いが悪かった。息子は情けない事に嫁の言いなり。早々と隠居すると言って見切りをつけて、帝都の外れに居を移していた。

 そこで時折遊びに来る母とあやめを笑顔で迎えてくれたのを思い出す。

 父の都合に振り回され、頭の上でなされたやり取りで言われるままに嫁いだ、その事を本人も苦く思ってはいたものの口には出さなかったと話していた。

 恨んでいるわけではない、けれどもあやめには違う生き方をして欲しいと寂しげに笑いながら告げたのだ。その祖母も数年前に亡くなっている。

 そして、男達の身勝手に振り回され哀しい想いをしたのは、祖母たちだけではないのだ。


「婚約を破談にされた令嬢は、お家の火事で亡くなったそうです。……何でも、令嬢が錯乱して付け火をしたらしい、と」


 静かに聞いていた玄鳥が絶句した気配を感じる。

 胸のなかではもやもやと黒雲立ち込める有様であったけれど、努めて冷静な声音を作ってあやめは続けた。


「一方的に破談にされたのを過失と責められて、それで心を病んだという噂です」


 破談の原因はどう考えても相手方にあるというのに、何故かその令嬢は責めを一身に受けてしまったようだ。

 真面目な方だったのだろうと推測する、或いは他にも追い詰められていたのかもしれない、けれど今となっては分からない。

 動かぬ事実は、彼女が屋敷に火をつけ、家族諸共焔の中に消えたという事だけだ。

 男達の面子や思惑に左右され続けた曾祖母も祖母も、婚約を反故された女性も、そして姿を消した二番目の妻も、ただ哀れだとあやめは溜息をつく。


「……あまり人様の身内の事を悪く言いたくはありませんが、愚か、ですね……」


 語り終えた後に沈黙が満ちていたが、玄鳥の呟きがそれを破る。

 彼の方を見てみれば、何とも言い難いといった風な表情を浮かべながら小さく唸っているようだ。

 何時になくその横顔は厳しい、ともすれば別人とも思ってしまう程に。


「愛した人を、己の都合で振り回すなど。……自分の思惑や迷いで不安な立ち位置のままで置くなど……愚か、です」


 眼差し伏せながら言葉を紡ぐ声音には、苦い響きがある。

 そもそも蓄妾を容認する事自体を、日頃玄鳥は是としては居なかった。故に、曾祖父たちに思うところあるのだろう。

 けれどもどこか自嘲も含んでいるような気がして、あやめは思わず玄鳥を見つめてしまう。何故この人が己を嘲る事があるのだろうか、と不思議でならないから。

 先生が何を気にする事があるのですか、と紡ごうとした。けれど、その前に玄鳥と視線がぶつかった。

 一度だけ交差した玄鳥の眼差しは、何かを酷く悔いているような光を宿して居て、あやめの言の葉を奪った。

 再び深い沈黙が横たわる、長時計が時を刻む音だけがやけに大きく響く。

 何と言えば良いのか解らずにあやめは俯いている。伝えたい事がある気がするし、けれどそれが分からない。


 そんな中、時計が夜更けを伝えて鳴る。

 そろそろお開きにしましょうか、と玄鳥が言って寝室へと引き上げていき、あやめはそれを見送った。

 玄鳥は語り続ける中、ずっと手にしていた万華鏡を棚の上へと置いていったようだ。

 何も結ばないとわかっているのだが、何故かあやめはそれを覗き込んで思わず声をあげそうになる。

 何の色もなかった黒の中、美しい金の欠片が舞っているように見えるのだ。

 それはまだ絵とは言えない、けれども色がひとつ、万華鏡の中に戻ってきている。最初こそ目の錯覚かと思ったけれど、間違いなく金色の煌めきがある。

 それだけではない、きらきらと舞う金色の中に、ふわふわと何かの景色らしきものが見えた気がする。あまりに儚く朧で、目の錯覚かと思ったけれど。

 これは如何いう事なのかと不思議に思う。この万華鏡は一体どんな仕組みで……一体『何』であるのか。何故こんなにも、あやめの心を騒めかせて已まないのか。

 問いかけたい背中は、書斎から既に消えてしまっていた。



 とても美しい光景を見た。

 風がそよぐのに合わせて涼やかにそよぐ翠の樹々、咲き誇る豊かな色彩の花々、光弾いて流れるせせらぎ。

 時の流れの果てにある、御伽噺の世界のような場所。

 浄土もかくやと思われる霞たなびく郷の奥には、古の造りの御殿があって……。

 


 そこで、光が弾けて視界が切り替わり、あやめは目を覚ました。

 外はまだ薄暗い、寝過ごしたわけではないと知ると安堵の息をつく。

 見た事もない、まるで絵物語の中にでも迷い込んだ美しい夢だった、としみじみ思う。

 それなのに、何故か胸を締め付けられるような感覚を覚える。懐かしいと称するのが一番しっくりくる気がするが、覚えがない。

 もうひとつ息をついて、あやめは心を整えようとする。

 気になったといっても夢は夢、何時しか意識から消えていくだろう。そう考えを切り替えながら、身支度を整え始めるのであった








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