第39話 ふたつの幸せを訪ねて私は……

 ────1980年代、アメリカ合衆国ニューヨーク州ロングアイランド。

 海岸沿いに立ち並ぶ摩天楼が特徴的な最大の島。

 

 大勢の人間が行き交う街にあるオープンカフェ。 

 そこでエブリンは本を読みながら午後のひと時を愉しんでいた。


 偶然か運命か。

 そこで3人の人物と相席になることになった。


 なにぶん人気の店だ。

 こういうことになるのは珍しいことではない。


 ……だが、そこでひとりが呟いた。


「あの、失礼ですが……皆さんどこかでお会いしたことって?」


「あ、奇遇ですね。私も今そう考えていたんです」


「おう、俺もだよ」


「……」


「あぁ失礼。私はグリファス・ノーラン。セント・ジョセフ大学で教鞭をとっています」 


「ロザンナ・スミスです。美術館で働いています」


「ドゴール・バンフリーだ。こう見えてもミュージシャンだぜ? スッゲーだろ? 売れてるか? 聞くな」


「あ……すみません。こちらで話を勝手に進めてしまって……」


 スーツ姿のグリファスが申し訳なさそうにする。

 エブリンは微笑みながら本を閉じた。


「エブリンです。ただの、エブリン」


「ほう、エブリンさん。住まいはお近くで?」


「はい。今はバーとかカフェで働いてます。ウチの店、良いジャズが聴けるんですよぉ。たまに私も歌いますし」


「マジで!? ぜひとも行きてぇなオイ」


「ここから3ブロック先の結構キラキラした店なので、すぐにわかるかと思います。どうぞ皆さんで来てください」


「美味いバーボンが吞めそうだな。ハッハッハッ!」


 会話に花が咲く。

 まるで昔馴染みに出会ったかのように。


 エブリンは3人の笑顔を温かく見守っていた。

 平和に暮らす彼らの姿はまさにエブリンの理想とする彼らの姿そのもの。


「ところで、皆さんはこれからどうされるんです? 私は午後は休講にしてるんでね」


「俺はどうすっかなぁ……なぁんか面白いことねぇかなって」


「私は非番ですし、特段やることは……」


「私は映画を観に行こうと思ってます」


 エブリンの言葉に3人が同時に彼女を見る。

 思わず肩を震わすエブリンだったが、そのあとの勢いがすごい。


「あ、あのッ! なにを観られるんですか!?」


「ランボーだよな!? ランボーだよな!?」


「ネバーエンディング・ストーリーとみた。どうだろう!?」


「え、え、え、え、え?」


 ……映画が好きなのだろうか。


「えっと……ア、アマデウス……」


「あぁ~そっちかぁ!」


 グリファスが大袈裟に首を振ってみせる。

 ドゴールに至ってはわかっていない。


 ロザンナは「まぁ」と目を輝かせていた。


「エブリンさんもあの映画に興味がおありなんですね!」


「はい、前から観ようと思っていました」


「ふ~ん、そんなに面白そうなのか?」


「エブリンさんが興味を示すのなら、私もぜひとも観てみたいものだが……」


「ふふふ、じゃあ皆さんも一緒にいかがです?」


 この言葉に3人が同時に賛同した。

 嬉々とした表情でカフェをあとにして、4人並んで映画館まで歩いていく。


 進むたびにいくつもの車が走る音が、天高くそびえるビルの間をくぐりぬけていった。

 無機質な響きの下を団らんとした雰囲気で歩くエブリンたち。


 これからも長い付き合いとなる4人を祝福するかのように、数羽の鳩が空を切り音を切り、上空高く羽ばたいていった。


(レムダルト……アナタにもそろそろプレゼントが届くはずよ。ごめんなさいね。私、悪い女だからこういうのしかできない)












 かつての世界。

 帝国が滅亡してから早数年の月日が流れていた。


 強国が消えたことでまた新たに覇を競い合おうとする国々があとを絶たない。

 そんな中、レムダルトは稀代の芸術家として名を馳せていた。


 名前を変えて、人前にほとんど出ることはなく、人里離れた場所でただひたすらに絵を描き続ける日々。

 描くのは決まってひとりの天使。


 金髪碧眼の美しい女性。

 微笑みをたたえ、見る者すべてを魅了する存在として描かれている。


 そんな彼の最高傑作として名高いのが『天使と炎』と言われる絵画だ。

 

「最高傑作、か。……違う、こんなのはエブリンじゃない」


 虚無的な笑みに乾いた視線が今のレムダルトだ。

 力なく額縁を撫でて、キャンバス奥の彼女に目を向ける。

 

 どれだけ探しても見つからないかつての婚約者にして裏切り者。

 だが恋しくてたまらない。


 エブリンを描いているときだけは不思議と心が落ち着いた。

 だが描けば描くほどに情は強くなっていく。


 最後に抱いた彼女の温もりと柔らかさが忘れられない。

 絵に描いたエブリンにはそれがなくとも、衝動は止まらないものだ。


 レムダルトにとってエブリンとはそれほどまでに不思議な女性だった。

 下手をすれば自分がその復讐の炎に焼かれていたかもしれないのに。


 だがエブリンが与えてくれたのは、心にこびりついて離れない、甘く切ないヤケドの熱だ。

 

「君がもしもまだ生きているのなら、きっとこの絵を見てくれるって思うんだけどな。これだけ描いたんだから、1枚くらい……なぁんて」


 レムダルトは日に日に元気を失っていった。

 この数日後にはもう筆を握る元気すらなくなった。


 そんなある日のこと。



「こんな時間に誰だ?」


 満月が煌々と地上を照らし、夜の風が草原を吹き抜けていく。

 不眠の中感じ取った気配を察知しドアのほうまで近づいた。


「そこにいるのは誰だ? 盗人か?」


 ドアの向こう側の主は答えない。

 苛立ち交じりにドアを開ける、すると……。





「エブ、リン……?」


「盗人とはずいぶんな言い方ですね。……うわ、ちょっと見ない間にみすぼらしくなりましたねぇ」

  

 レムダルトは目を疑った。

 不眠などと思っていながらこれは夢の中の出来事ではないかと。


 ────愛した女性がいた。

 最後に別れたときと寸部も違わないままの彼女が。


 物言いは少し棘があるものの、そんなものは些細なことだ。

 一挙手一投足、すべてがエブリンそのものなのだから。


「あの、ジッとしてないで入れてもらえます? このままじゃ話も……────ッ!!」


 レムダルトはワナワナと震える身体で勢いよくエブリンを抱きしめた。

 ────再会は永遠に叶わないと思っていた。


 だがこの温もりは本物だ。

 けして夢ではない。


 顎が震えて言葉が出ない。

 視線や思考が真っ白になったように、なにも浮かばない。


 本当にどうしようもない。

 そんなレムダルトに観念したように、ため息交じりに「よしよし」と頭を撫でながら腕を回すエブリン。


 レムダルトが落ち着いたころに、ようやく事態の説明をした。

 

「私はエブリンの分身といえる存在。99パーセント本人と言えるでしょう」


「あ、だからちょっと俺にきついんだ」


「これが私の素なんですー」


「なるほど、1パーセントはとりつくろってた分か」


「ご想像にお任せします」


「……でも、そっか。エブリンが……異母兄上を……」


「レムダルト、アナタには選択肢があります。復讐のためとはいえ、アナタにとって私は間違いなく仇そのものです。ゆえに、アナタには私を殺す権利があります」


「エブリン……」


「私、悪い女ですので。こういう卑怯なやり方しかしません。クローンとはいえ私もエブリン。覚悟くらい継承されてますよ」


「俺が、そんなことすると思う? あの日、君を止めようとした俺がさ」


 その眼差しにエブリンは黙った。

 疲れ果てていたとはいえ、この青年の根本は変わっていない。


 本物のエブリンが愛した男。

 分身である自分がその熱を帯びた眼差しを受けていいのか……。


「俺は誰も恨んでない。誰も恨みたくない。そんなことより、君を愛したいんだ」


「本物じゃなくて分身ですよ?」


「君は君だ。エブリン。君のすべてを愛する。君の過去も今もすべてを……」


 そう静かに告げたあとレムダルトはエブリンの傍により片膝をつき


「────改めて、俺と結婚してくれ。エブリン」


 かつて見た光り輝く真っ直ぐな瞳が向けられた瞬間、エブリンの中でなにかが弾けた。

 それは彼女の瞳の中で光となり零れ落ちる。


 復讐という燃え盛る茨の道を越えた先にあった、確かな幸せ。

 今度は静かで優しいキスによって証明されることに。


 空に流れ星がひとつ。

 ふたりを見届けるように飛び、やがて水平線の方角へと消えていった。 

 

 

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私の「幸せ」は帝国への憎しみと、アナタたちの「幸せ」です。────天使より 支倉文度@【魔剣使いの元少年兵書籍化&コ @gbrel57

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