第38話 天使たちの母の掌で
「おのれこの程度のまやかしで! ……ぬ? 力が、魔術が発動しない?」
自らの手足のように軽々と扱いこなしてきた魔術が一切使えなくなっていた。
というよりも、初めからそんなものが存在していなかったかのように、奇妙な空洞が魔導炉にある感じだ。
「無駄です。私の許可なく攻撃することはもちろん、存在することすらできないのですから」
「どういうことだ。なにをしたエブリン!」
「えぇ、あまりにも無様なんで教えてあげますよ。これは云わば、『世界の疑似的な破壊』です」
曰く、エブリンは世界を構成するあらゆる概念を存在させるための『土台』を破壊したという。
時間、速度、距離、そして質量といったものは完全に消失しており、土台の上で生きてきた者にとって、この空間は己の存在を定義しきれない場所なのだ。
自身の持つあらゆる認識や能力は真の意味で無価値となり、効力を表さない。
この破壊された世界で自在に動けるのはエブリンかアルマンドくらいなものだろう。
自らの死をスイッチに発動する荒業。
エブリン最終形態【ヌンク・スタンス・イデアー】。
「アナタは星々の力を借りていましたが、ここにおいては星という概念すらありません。魔力という概念すらもね。わかります? 私とアナタ以外の概念は皆無と言っていい。ではなぜ私がアナタがここに存在していることを許しているのか。これは一種の温情なんですよ?」
「温情だと!?」
「この状態になればアナタなんてほんの一瞬で消滅させられるからです」
先ほどからなる傲岸不遜な態度と、この言葉で青筋を走らせた皇帝が食ってかかろうとしたそのとき。
────バシュッ!!
「……はっ! い、今のは……」
「はい、アナタを消して、もう一度よみがえらせました。アナタという存在を概念レベルで消滅させ、もう一度定義し直す。簡単に言うとこんな感じ」
エブリンの笑みに言葉が出なかった。
彼女にとって自分は取るに足らない塵でしかなくなったのだと。
だがそれを本能で察しても、皇帝としての矜持がそれを認めない。
エブリンはその心理にひどく満足そうにしていた。
「落ち着いてください。なにもアナタに戦わせないだなんて言っていないでしょう」
「なんだと?」
「……────ひざまずいて私の靴を舐めなさい。そしたら元の力に戻してあげます」
足を組んで座るようなポーズで皇帝に足を差し出す。
「いいですか? 『どうかこのみじめな男にアナタ様と戦う権利をお与えくださいエブリン様』と言ってから舐めるんですよ? あ、嫌なんですか? 別にいいですけどもっといじくっちゃったりしますよアナタを? それでもいいんですか?」
「ぐっ! 貴様……ッ!」
「貴様? ふ~ん、そんな態度取るんですか。……あ~わかった。シャイだから素直になれないんですね。手伝ってあげます」
次の瞬間、皇帝の身体が勝手にひざまずく。
皇帝は力を込めて抵抗しようとするが、両膝をついて頭を下げるという、彼にとって屈辱的な体勢へと。
「ぐぅぅうううう!! ぬぅぅぅうううぉぉおおおおおお!!」
「アッハッハッハッハッハッ!! はぁ~みじめ。ホントにみじめですね。最高ですよ皇帝陛下。こんな女の子に土下座するとか、威光もへったくれもないね。今の皇帝陛下なら好きですよ。そのまま四つん這いで歩いてみてくださいよホラ」
「な、なんだと、貴様ッ!」
「あ~、そういう反抗的な態度とるんだ。ふ~ん。……────さっさと歩けっつってんのよブタ」
エブリンの冷淡な声が皇帝の肉体を走る。
意志に反して身体が動き、思った以上に周囲を動き回り、エブリンの大爆笑を誘うことに。
「うゥゥゥウウうぅぅう! この、きさ……うぐ……!」
「ハァ、ハァ、ハァ……。やばい、お腹破裂しそう。……さぁ本題です。先ほどの言葉を述べたあと、靴を舐めなさい」
「誰が……、そんなことを……ッ」
「フフフ、抵抗したって無駄だってわかってるはずなのにぃ。いいですよぉ。もっと屈辱的な遊びしてあげますから。なにがいいかなぁ……大股開き? ヤバい映えるクスクス」
台詞と舐めるという行為。
それだけは操ってやろうとはしなかった。
あくまで本人の意思でやらせるから楽しいのだ。
これもまた復讐のひとつ。
皇帝はこれ以上ない屈辱を胸に歯を食いしばりばがら、エブリンの足元に近づく。
「ど……こ……な……を……」
「聞こえませぇん。ちゃんと聞こえるように話してくださいホラ」
「ぐっぅっぅううううううううう!! ど、どうかッ! この、みじめな男にアナタ様と戦う権利を、お与えくださいエブリン様ァァァアアアッ!!」
皇帝の舌がエブリンの靴を伝った直後。
「ふんっ!」
不意打ち。
皇帝の顎を蹴ったことにより舌がガリッと挟まり、血が滴る。
「うぶぅううっ!!」
「はいよくできました。さすがは皇帝、えらいですねー」
わざとらしい態度のあと、約束通り力を戻す。
皇帝は怒りのあまり戻った瞬間に、一気に力を解き放った。
巨大な魔力レーザーがエブリンを襲うも、まるで水浴びをするかのような所作でそれを受け止め、意にも介していない。
気持ちよさげに微笑んでみせるエブリンにゾッとしながらも、皇帝は攻撃の手をゆるめなかった。
「ならば……これはどうだぁぁぁあああッ!!」
皇帝が極めし絶対奥義。
無尽蔵ともいえる規模の魔力を用いた、世界最強の魔術。
「降り注げ死の妖星よ。この異次元もまた、我が領土とするためにッ!! フハハハハハハハハハハハハハハハハッ! ハーッハッハッハッハッハッハッハッ!!」
空間に歪みができて、そこから闇色の魔力をまとわせた巨大隕石群がエブリンめがけて降り注ぐ。
「どうだエブリン! これが余の力だ! 今さら許しを乞うてももう遅いぞ! フーッハッハッハッハッハッ……は?」
皇帝の顔から笑みが消える。
目の前にいたはずのエブリンの変化に呆然とするしかなかった。
まるで自分が塵にすら思えるほどに、彼女が巨大化しており、隕石群を吸い込むようにして飲み込んでいっているのだから。
「……ゴクン、ごちそうさま」
「な、な、こ、これは一体……!?」
「さぁ次はなにを見せてくれるんですか?」
皇帝の背後からエブリンの声。
元の大きさで、腕を組むようにして微笑んでいた。
あの巨体のエブリンはすでにいなくなっている。
(な、なんだ……? 余は夢でも見ているのか? これは現実なのか?)
『えぇ、現実ですよ』
(コイツ、直接脳内に!?)
皇帝がこれまでつちかってきた叡智と力の及ばぬ領域の世界だった。
「く、クソッ!」
今度は時間を止め、魔力で編んだ刃で串刺しにする。
だが解除を行った直後には、エブリンの姿はなく、代わりに刃が皇帝の足に刺さっていた。
「な、なにぃぃぃいいいいッ!?」
「あらあら、自分で足を刺すだなんて。わぁ痛々しい」
「なんだ、貴様、なにをしたッ!?」
「さぁなんでしょう。クスクス」
「クソォォォオオ!!」
もう一度時間を止めて今度は遠くへと逃げようとする。
だが、ほんの一瞬で距離を詰められてしまった。
「あらお久しぶり」
「う、うぉおおおおお!!」
また時間を止めて逃げるも、今度は時間の止まった中で追いかけ回される。
「な、なんだ! 一体なにが起きているというのだ!!」
「さっきも言ったでしょう。ここでは時間も速度も質量も一切関係ないんですよ。アナタが時間を止めようがなにしようが、すべて私の思いのままです。残念でした」
皇帝はこの未知の状況に困惑し、完全に冷静さを失っていた。
逃げる姿は最早鷹に終われる小鳥のよう。
長年憎んできた相手の憐れな姿に、エブリンは軽蔑の視線を向ける。
「さぁそろそろ終わりにいたしましょう。演目にも飽きました」
「く、ま、待て! エブリン、わかった。貴様の実力よくわかった! 余が、余が悪かった。余が民をかないがしろにしたのが間違いであった。これからは考えを改めよう。そうだエブリン、貴様に、いや、貴殿に国をやろう! なんなら余の後継者として帝国を統べる女帝に……ッ!」
「演目は飽きたと言っているのです」
エブリンの顔から笑みが消える。
次の瞬間、気付けば皇帝は巨大化したエブリンに捕まっている状態になっていた。
ギリギリと手で握りつぶされそうになり、皇帝は思わず絶叫する。
恐怖のあまり魔術を使おうとするもすでに力を取り上げられ、ただもがくほかなかった。
「待て! 待てぇぇぇええええッ!! 待つのだエブリン! 話せばわかる! 余と話し合おう! 悪い話ではないはずだ! お前は世界を手中に治められるのだぞ!? それがなぜわからない! 頼む殺すな! 余にはまだやり残したことが……ッ!!」
────ガブゥッ、ブシュウウゥゥウウアァァアアアアアアアアアッ!!
エブリンの歯が皇帝を鎧ごと噛み千切った。
大量の噴血が宙を漂い、吐き出された上半身が絶叫しながら浮遊していく。
「上下斬り分けられた際の痛みを永遠に繰り返しながら、永遠に別の異次元空間で生きなさい。もう誰にも見つからない遥か彼方へ」
口元を拭い、背を向ける。
「ぐわぁぁあああああああ!! ぎぃおいいいああああああああああッ!!」
「あぁうるさい。……もういい。さよなら」
エブリンが次に瞼を開けると、そこは元の世界。
崩れた宮殿は鎮火されかけており、周囲には瓦礫と死体の山があった。
────彼女の復讐はようやく終わった。
カマエル帝国は天使も皇帝も失い、これから急激な衰退の一途をたどるだろう。
「よう、終わったみたいだな」
「えぇ……」
エブリンは裸身であったため、カーテンらしき布地を身体に巻きながら瓦礫の上に座っていた。
ちょうど達成感に浸っていたとき、こうしてアルマンドが声をかけてきた。
「皆死んだよ。お前に感謝してたぜ」
「そう……」
「さて、これからのことだが────」
「準備はできてるんでしょ?」
「もちろん」
「じゃあいいわ。私もすぐに行くから」
「だとしても、お前が報われるとは限らねぇぞ?」
「報われる? 誰がそんな話したの? 私はただ、報いたいだけよ」
「報いたい、か。嫌いじゃないねその考えは。お前はオレにとっても天使だったよ。すんげー面白かった……────あばよ」
「えぇ、また会いましょう」
もう二度と会うことはない。
そうわかっていながらも再会の言葉をいいたくなるのはなぜだろうか。
────この日、魔女と天使が消えた。
魔女は次なる復讐者のいる世界へ。
天使は新たなる居場所へ。
それを知る者は誰ひとりとしていない。
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