地下の青空を見る社員

目の前の青は、空ではなかった。僕は地下鉄のホームで電車を待っていた。目の前には今いる駅の名前が書かれた駅名標と、その路線のラインカラー。正式な色の名前は知らないが、空色とかスカイブルーとか言われる色だ。地下深く潜った、陽の光も届かないこの場所で「空」とはどことなく皮肉的だ。

そのラインカラーに、太陽が燦々と輝く青空を想起させ、入社後もうすぐ1年経とうとしている自身の、おそらく空色とは違う色である毎日と比較された。その結果出たため息はおそらく灰色だ。

 去年の今頃はまだ大学生だった。世間一般の文系大学生と同じように3年生の3月から就職活動をスタートし、初夏には内定ももらっていた。僕の人生はいつも、80点主義だった。それなりに行きたかった大学へ進学し、それなりに行きたかった会社に就職した。


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「それでは、志望動機をお願いします。では、葛西さんからお願いします。」

 面接官が、僕の発言を手のひらで促した。

「はい。私が御社を志望する理由は、鉄道が人々の暮らしになくてはならない生命線だからです。このエリアは車社会とは言われますが、それでも街は駅を中心に発展し、鉄道路線に沿って生み出される人の導線が生活や文化を形作ります。それは、単に鉄道事業に止まらない、この地域の経済生活そのものを支える営みであり、それこそが鉄道会社が鉄道事業以外を収益の中核とする理由でもあると考えます。また、鉄道は交通機関の中でも、年齢や障害の有無にかかわらずアクセスしやすいという点で、極めてユニバーサル性の高い交通機関です。そのような社会にとっての生命線たる鉄道会社で働くことで、その経済活動を通して社会に貢献したいと考え、御社を志望いたしました。」

「ありがとうございます。では、次、伊藤さん。お願いします。」

 面接官の表情に、ささやかな手応えを感じつつ、僕はふうっと小さく息を吐いた。二十社ほど面接を受け、慣れてきたとはいえ、第一志望の会社の面接はやや気を張る。最初の質問さえ無難にこなせれば、後は気分に乗って話せるほうだと、これまで受けた面接の中で自分の特性を把握した僕は、もうリラックスムードだ。

 就職活動は、本心を言うものではない。自分の行動や考えに、納得性の高い理由を付けて、自身を説明するプレゼンテーションだ。でも、僕は自分が嘘つきだとは思っていない。ただ、心の底から思っていることを、そのままは言っていないだけだ。僕はそれを、嘘だとは考えない。どうせ働くなら人の役に立ちたいと思っているのは事実だし、鉄道会社の事業は、社会に貢献できる事業ではあると確かに考えている。そのぼんやりとした気持ちに、少し味付けをしただけだ。

 その後も、答えに窮することなく集団面接は終わり、数日後にきたのは、予定調和の次回選考通知だ。そこから最終面接を経て、内定を獲得するまで、二週間とかからなかった。

 その後の大学生活は……いや、それは特に言及するまでもない話だ。簡潔に言えば、飲み会に行って、恋をして、振られて、卒論を締め切り当日の朝5時に徹夜で書き終え、東南アジアに旅行に行ったら、もう卒業の時期が来ていた。さしたる波風もない、よく言い換えれば、まあまあ楽しい大学生活だった。気がつけば、再びリクルートスーツに身を包み、社会人という新たな肩書きを手に、通勤電車に揺られる日々が始まって、さらに気がつけばもうその行為に慣れてしまっていた。

「いやー葛西、早かったよな、もう社会人になって一年だぜ。」

 ビールジョッキを片手に、この世の二十三歳が全員言うようなセリフを吐いているのは同期の荒川だった。ただ、その陳腐な台詞には、僕も同感だった。

「な。もう二年目とか、ほんと恐ろしい。もう先輩だぜ?」

「まだ何にもできるようになってねえよ、俺。うちの会社優しいから、一年目はそこまで数字出せなくても詰められないけどさ、今日先輩に『荒川、もう新人期間は終わりだぞ。覚悟しとけよ。』って言われたよ。口は笑ってるけど、目は全然笑ってねえの。」

 荒川は、僕と同じ鉄道会社に勤務しているが、彼は不動産部門で営業をしている。詳しいことはわからないが、客が持っている不動産の収益向上を提案する仕事らしい。彼は、月並みな営業成績を上げ(新入社員が月並みなら拍手ものだ)、客はもとより同僚や上司の懐に入るのも上手く、人から色々なことを教わり、それがまた数字に繋がるという好循環をなしているようだった。彼の言う、「目の笑っていない先輩」は、彼のに手を焼いているのではなく、その実、彼が金の卵であることを見越した愛の鞭を打っているのは、僕にも容易にわかった。

「荒川は数字残してるだろ。俺こそなにもできるようになってねえわ。」

「そういえば葛西は最近何してんの。てか総務部って人事課は何してるかわかるけど、お前がいる庶務課ってそもそも何すんの。」

「何でもすんだよ。会議室の手配もそうだし、文書管理とか、官庁対応窓口とか、お前みたいな法令遵守意識の欠片もない奴のためにコンプライアンス規程整備したりな。」

「なるほどなー。それはそれで大変そうだな。」

「コンプラのくだりは否定しろよ。」

 軽口を叩いて笑い合ったが、僕は彼の仕事と自身の仕事を比べて、やはり少し暗い気持ちになった。僕は、ある意味で仕事を舐めていた。毎日午後六時に退社できれば、それで満足できると学生の頃は考えていた。落とし穴は以外なところにあった。自分の仕事に誇りを持てないということの辛さを、僕は甘く見ていた。


 

 

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幸せのほどきかた @maisakashu

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