第2話 一般女子、H本を買う
「あー、分かった!」
急に声を高くしたのは、もちろんユキ。堂本の方は、再び、びくっと身体を震わせた。
「な、何だよ」
「やっぱり、描くからには自分の好みの……えっと、肉体美じゃないし、体格でもないし。うーん、要するに好みの裸を描きたい、そうでしょ? それで色色と見て、選んでいたんだ」
「……あからさまに言う奴だな……」
疲れたように、堂本は額に片手をやった。次に額から手を離したときには、彼はすっかり開き直ったらしく見えた。
「そうだよ。はっきり言えば、垂れた胸なんか描きたくない」
この言葉を聞いて、ユキは、へえと思った。
(何だ、堂本は堅物かと思ってたけど、こういう話し方もできるのよね。当たり前かな)
「何を笑っているんだ?」
相手に言われ、含み笑いをしているのに、ユキは気が付いた。
「何でもない。ふうん。ねえ、どんなのがお好みなの? 本、見せてよ」
「よせよ」
ユキの次の行動を察知していたらしく、堂本は雑誌を高く掲げてしまった。ユキの両手は、低い位置で空を切る。
「あーん、届かない。けち」
「けちってなあ、これは僕が買ったの。それに、人の好みを知ろうなんて、プライバシーに関わる」
「難しいことは言いっこなし。黙っててあげるからさ、見せてよ」
その言葉には弱い堂本であった。次の瞬間、雑誌は元の高さに降りてきた。
「どれどれ」
「紙袋は破かないでくれよ。持って帰るとき、むき出しじゃまずいから」
堂本の言葉を聞き流し、ユキは雑誌を取り出した。
「おおー」
いきなりどかーん!とある。続いてどかん、どかん。
「声、出さずに見られないのか」
周囲を気にする様子の堂本。
「ほっほー。こーゆーのがタイプ? ああ、これだな。これが一番、気に入ったんだ。そうでしょ」
と、ユキはあるモデルのページを広げて、堂本へ見せた。髪の長い、男が一般的に美人と見なす容貌の女性が、そこにはいた。胸は大きさも形も程良く、全体のスタイルはかなりいい。
「……」
黙っているところを見ると、当たっていたようだ。ユキは満足して、また雑誌の続きに戻った。
「おい、もういいだろ」
「だめ。いいじゃない、まだ」
「時間がないんだよ」
堂本が手を伸ばしてきた。ユキは雑誌を取られまいと、慌てて引き寄せる。次の瞬間――二人は同時に声を上げた。
「あっ」
雑誌は、ユキの手から飛び出て、くるくると回転しながら、夜空をバックに放物線を描いている。
そしてぽとり。雑誌は、通りがかった小型トラックの屋根の上に落ちた。
「あーっ!」
ひときわ長く叫んだ堂本は、ダッシュ! しかし秀才クンにしては運動もできる彼だが、相手はエンジンである。見る間に、距離は開いていく。
責任を感じていたユキは、とことこと、堂本を追っかけた。すぐにへばってくれたので、楽に追いつけた。小型トラックは、もはや影も見つけられない。
「堂本……君」
肩で息をしている相手に、恐る恐る声をかける。
「ごめん。大丈夫?」
返事がない。怒っているのかと思ってしまうユキ。
「本当にごめんなさい」
「……ていい」
「え?」
はっきり聞こえない。
「……あ、謝らなくていい」
切れ切れに、堂本は言った。
「でも」
「もう一回……買えばすむ」
やっと呼吸が整ってきたか、堂本は身体を起こした。
「あ、そうか。だったら、今度は私が買ってあげる」
「何だって?」
手でぽんと音をさせたユキを、堂本は不思議そうに見ている。それにかまわず、ユキは頬の辺りに人差し指を当て、喜色を取り戻していた。
「待っててよ。えーっと、本、『Boy needs Girl』だったよね?」
「そうだけど……」
「心配しないで、雑誌一冊分ぐらいのお金なら持ってるから。じゃね」
そうしてかけ出そうとするユキを、堂本は呼び止めた。
「木川田さん! 男でも買うのに勇気がいる本を、買えるかい?」
ユキの足が止まる。でも、彼女は振り返って、
「うん、そりゃそーだわ。だけど、お詫びだから、それぐらい我慢する」
と、苦笑いを浮かべてみせた。そして、あっと思う間もなく、コンビニの方へ引き返していた。
堂本が躊躇する態度をかいま見せながら、それでもしばらく待っているところへ、ユキは戻って来た。
「さすがに変な目で見られちゃった。さっき、あの店を飛び出したばっかりの私が、舞い戻ってきて、こんな本を買うんだものねえ。そりゃ、変に思われるわ。参った参った」
舌をちらりと出しながら、ユキは、さっきだめにしたのと同じ雑誌を紙袋ごと、堂本へ押し付けた。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。と言うか、お礼なんて言われる筋じゃないもん。当然のお詫びをしただけで。それじゃね。邪魔しちゃったね」
あっさり言って、ユキは帰ろうとした。でも、ちょっと踏みとどまり、にっこり笑って、もう一度、堂本を振り返った。
「な、何」
どぎまぎした表情の堂本。またもかわいいと感じながら、ユキは猫なで声を
出した。
「ねえ、堂本クン。イラストができたら、見せてね。あ、小説の方も。お願い
だから」
「……面白くないかもしれない」
「いいって、いいって。そんな期待してないから、気楽にどーぞ。ただで見せ
てもらえるんだったら、何でもいいよ」
「そうか」
気を悪くした風でもなく、堂本は何度かうなずくようにしていた。
そんな彼の姿を目の端で捉えながら、ユキは家路を急ぐことにした。
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