第九話 終焉の口火

 ──「運命はいつだって私の希望を打ち砕く!」   戯曲『旧時代』第二幕




「隊長、奴は音と体温に反応します。群青石からは防護魔法が……!」


 希望を託そうとするミリアの肩に手を置いてグラムは白い歯を見せた。


「お前は休んでいろ、ヴァージル。それから、愛剣は手元に置いておけ」


 手帳を開いて魔法符のページを破り取る。さきほど警邏隊が放った魔法銀製の投擲弾の破片を拾い上げて、魔法符で包む。


「ガル・ダエラ」


 魔法銀の破片が加速してパラゴーレムに直撃する。岩の表面に魔法銀がめり込んでいる。


「グラン! 勝手な真似は……」


 ゼンティーダがすごい剣幕でグラムを睨みつけた。


「よぉ、魔法オタク。いまもくだらないもの作ってるのか?」


 ネイサンの家に転がっていた剣を鞘から抜いて構える。パラゴーレムが足を蹴り上げるのを軽やかに避けると、渾身の力を込めた一撃を残された短い右腕に食らわせる。刀身がビリビリと唸って、パラゴーレムの腕に大きなヒビが入る。反撃の足が自分の身体を捉えるよりも先に地面にうつ伏せに。そのまま自分のすぐ上を切る足に移動魔法符を貼り付ける。蹴りの勢いそのままに脚をすくい上げられる形となったパラゴーレムは一瞬だけ身体を浮かせて背中から地面に落ちた。その衝撃で、ヒビを入れた右腕がボロボロと崩れ去った。自分が製錬した鋼鉄で作った剣を持って力だけでパラゴーレムの腕を断ち割ったのだ。


「馬鹿力め……」


 ゼンティーダが忌々しげに声を漏らす。まだ魔法開発室で失敗作を作り続けていた頃に、グラムはよく出入りしていた。筋肉馬鹿でありながら、魔法に興味津々でその知識も並外れていた。当時、精鋭揃いの特殊強襲部隊にあって、グラムの存在はそこまで大きなものではなかった。魔法を発動させる詠唱呪文もデタラメな音の羅列らしい。そんなふざけた魔道士はいなかった。


 さすがに刃こぼれした剣を残念そうに一瞥し、立ち上がるパラゴーレムの脇を駆け抜けて、東門の方に向かった。


「逃げたぞ……!」


 建物の壁に打ち付けられていたクラウスが立ち上がりながら叫んだ。グラムは地面に爆裂魔法の魔法符を何枚も貼り付けて、パラゴーレムの移動に合わせて発動させ城門まで誘導した。足の一撃を回避して、脇腹に移動魔法を貼り付ける。門から街の内側に転がり出て、詠唱した。


「ハルバリア」


 パラゴーレムの脇腹が地面に向かって引っ張られ、岩の巨体が倒れる。グラムは距離を取って、手帳を掲げた。


「ストランツァ」


 城門の内部で爆発が起こって、アーチの両脇が破壊される。そのままアーチは崩れ落ちてパラゴーレムにぶつかった。数日前の夜に忍び込んで仕込んでいた魔法だ。全ての城門には、万が一追われた時のために、瓦礫で塞げるように保険をかけていたのだ。瓦礫の山から脱するように石の塊がもがいていた。


「ヴァージル、お前の剣を寄越せ」


 一方的な攻勢に目を丸くしていたミリアはびっくりしたようだが、大人しくエスペランサーを手渡した。


「群青石はもう劣化しましたけど」


 象嵌のための柄尻の爪が飛び出て、ここに嵌まるべき主を待っているようだった。


「一番リソースを食う魔法はどうやって発動させる?」


「刀身を指で撫でた後に切っ先の方へ加速度を加えます。でも、隊長この剣は群青石が……」


 グラムは悪戯っぽい笑みで二枚の魔法符を突き出した。


「最近の魔法具研究では、群青石の魔力を近くの魔法具に転送できるらしい。知ってたか?」


 瓦礫を足で吹き飛ばしたパラゴーレムがグラムに向けて突進する。グラムもパラゴーレムに向けて全速力で駆け出した。相手にぶつかる寸前で地面を滑り、股の間を抜けて背後に回ると、エスペランサーの一撃を左膝の群青石に向けて放った。群青石は横に真っ二つに断ち割れて、パラゴーレムは崩れ落ちた。グラムは背中の巨大な群青石に魔法符を一枚貼って、もう一枚を剣の柄に巻きつけた。機動力を削がれたパラゴーレムがグラムの方を向き直る。だが、すでに反撃の術を失ったパラゴーレムの胸元に向けて、グラムは煌めく切っ先を向けた。そのまま渾身の突きを打ち込む。爆発音と衝撃が辺りを駆け抜けて、パラゴーレムの胸元に大きな窪みが出来上がった。背中の群青石が展開している防護魔法によって突きが貫通しなかったのだ。その一方で、群青石自体に貼り付けられたグラムの魔法符は、防護魔法の対象から外れ、エスペランサーに魔力を供給し続けていた。グラムは何度も何度も突きを繰り返した。バラバラになる岩の身体を支えるのは大きな群青石ひとつだけだ。突きでぶつけられる領域魔法が防護魔法で相殺されるのも構わず、グラムは取り憑かれたように突きを繰り返した。


 そして、最後の突きを放った後で、パラゴーレムを駆動させていた群青石が灰色に変色してボロボロに朽ち果てた。ついにパラゴーレムは完全に破壊されたのだ。


 息を切らすグラムは剣を支えに辛うじて立っていたが、やがて力なく倒れ込んだ。




 グラムは一時的に魔法令目によって守られたものの、東門の破壊や街中に未認可魔法符を配置した件が明らかになると、ゼンティーダや特殊強襲部隊第三部隊の隊員は追及を始めた。ふらついて膝をついたグラムの前に、ネイサンが盾となって立ちはだかる。


「この件については、彼を追及することはできません」


 ネイサンの隣でミリアも超然としていた。


「隊長の行動は全て私の責任のもとで行われた。文句なら私に言うんだな」


 歯軋りをするゼンティーダは、異端者へ向けた鋭い視線を緩めようとしなかった。ミリアに対しても敵意を剥き出しに、声を荒げた。


「街の破壊と固定魔道砲台の件も、第三部隊に重大な落ち度があったと報告させてもらう」


「フロフツ室長、固定魔道砲台はあなたが現場判断で使用の判断を下したものだ。不当な申し立ては看過できない」


 ミリアはグラムだけでなく第三部隊、そして特殊強襲部隊を守る必要がある。パラゴーレム討滅にかけた損害は決して落ち度があったことが原因ではないと主張し続けなければならなかった。たとえ責められたとしても。


 やがて、治安維持局から事態収拾のための人員がやってきて、東門が封鎖され、その周辺が立入禁止区域に指定された。パラゴーレムの残骸は治安維持局の魔法開発室が引き取ったものの、その後、西方魔道府の本拠地であるエウロポリスからアーカイバが派遣され、接収していった。


 ダネヴェの損害はイストリア西部で被害を受けた都市では最も小さいものではあったが、動員された治安維持局の人員二百四十二名の内、死者六十一名、負傷者二百三名という大きな犠牲を払うこととなった。被害を受けた全都市の死傷者は把握されているだけでも五百名を下らない。こうした甚大な被害を受け、ロティア教西区教主フース・ミルケアがダネヴェにて慰霊祭を執り行うと発表した。また、被害都市の巡行も行うとし、一ヶ月後の乙女月の第十五日からの一ヶ月が慰霊のための期間となった。


 イストリアを始め多くの国で信仰されるロティア教は、およそ六百年前にゲーテ・ロティアが開いたとされている。世界は天上と地上と地下に分かれ、我々は死して神の園である天上へ向かうが、生前の悪行によって地下へと堕ちていく。地下は冥王の支配する世界で、御伽噺のゴーレムも地下からの使者とされている。


 この"パラゴーレム事変"は政治的に重大な問題を引き起こした。かねてからパラゴーレム創造の首謀者と目されていたイザベル・エルとイストリアとの軋轢である。いまや、イザベル・エル領とイストリアの境界は緊張状態にある。イストリアの軍事都市ベルアからはイストリア軍の防衛隊が派遣され、厳戒態勢が敷かれることとなった。イザベル・エルは公式にイストリアの対応を批判、パラゴーレムとの関係を完全否定した。


 グラムもまた、話題の人となっていた。まず最初に異端者への非常時緊急戦闘員の任命についての問題が取り沙汰された。立令学者たちは、再三議論されてきた「任意の人員」に立ち戻る羽目になったし、その判断をしたミリアもまた非難の的に立つことになった。同時にネイサンはミリアの擁護に立ち、魔法令目の世界で一躍脚光を浴びる。


 ダネヴェの治癒院で、グラムは冷遇されていた。世論は、パラゴーレム事変解決の立役者か、依然として異端者かという二論に分かれ、治癒院としてはグラムを養生させるべきか難しい判断を迫られた。最終的には、養生させるが冷遇するという中途半端な対応を取った。


「プティ、裁判はどうなる?」


 毎日グラムを見舞いに来るプティは、皮肉めいた笑みを浮かべる。


「イストリアとして、イザベル・エルに軍を向けたでしょ。あれがあったせいで、私のパラゴーレム関与容疑がこの国として支持できなくなったらしいの。そこでアリさんが手を回してくれて……。未認可魔法符所持は、グラムさんが非常時緊急戦闘員に任命されたおかげで、遡求っていうの? とにかく遡ってパラゴーレム事変の対応という風にアリさんが決着をつけてくれた」


「よく分からんが、よかったな」


「この世はグラムさんの理解の及ばないことがたくさんあるのよ」


「たいして知らんくせに」


 知らん顔をしてプティは窓の外を見た。ダネヴェの街はパラゴーレム事変から数日経って、落ち着きを取り戻し始めていた。ヴァレスの難民は居住街に仮住まいを求めたり、難民テント街を通りや城壁の外に作っていた。それらの場所がいまでは犯罪の温床になりつつあり、警邏隊が厳しい監視体制を敷いていた。


 通りの向こうから、目立つ容姿の女がやってくるのが見えた。エミリーだった。早足だが思案げな顔はやがてグラムたちの前で溜息をつくことになる。


「しばらく見なかったな、エミリー」


「ええ、アーカイバに拘束されていたのよ……。あの馬鹿ども、融通が効かないんだから……!」


「拘束? 大丈夫ですか、エミリーさん?」


 自由を奪われることの苦痛はプティも身に染みて分かっている。心配そうな少女にエミリーは笑いかけた。


「気にしないで、プティちゃん。つまらない手続きみたいなものよ」


 ベッドの上でグラムは面倒臭そうに腕を組んだ。


「で、何があったんだ」


「ダネヴェ図書館でパラゴーレムに繋がる資料を探していたのよ。そうしたら、特殊開架でいきなり火事が起こったの」


「火事? 図書館で?」


「すぐに特殊書庫守護群が図書館を封鎖して消火に当たったんだけど、問題は燃えた本にあった」


「貴重な魔道書か何かか?」


「そうじゃない。蔵書にない手製の本だった。燃え残った部分には魔法式が書かれていたのよ」


「話が見えてこん」


 痺れを切らせて、グラムは起こしていた上体を横たえた。特殊尋問官に与えられたダメージはかなり深く、脇腹に開けられた穴が最も重大な影響をグラムに与えていた。辛うじて副次的な症状を引き起こすことはなかったが、二週間は安静にするように告げられていた。


「魔法式が読み解かれて、その大半が移動魔法の記述だと分かった」


 横になっていたグラムは慌てて身を起こした。


「おい、まさか……!」


「おそらくパラゴーレムの駆動魔法。あなたが言っていた、駆動魔法の送信元だと特殊書庫守護群も推定した。後で分かったことだけど、あなたがパラゴーレムを破壊したのと同時に本が燃えたらしい。つまり……」


「パラゴーレムがやられると送信元が燃えるように設計していた……」


「そう。そのための魔法式の一部も見つかった。問題は、誰がその本を置いたのか?」


 グラムは、それよりもまず本の在り処を知りたがっているようだった。しかし、エミリーは興醒めしたように深い溜息をぶつけた。


「この状況が指し示すのはとても重要なことよ。本が置かれていたのは特殊開架だったんだから」


「あっ!」プティは大きな声を上げた。「犯人は魔道士!」


 グラムは、問題が起こるのを恐れた治癒院が個室をあてがったため、大きな声を出すのは大したことではなかったが、プティは自分の口元に両手を押しつけながらも自分の気づきに驚きを隠せなかった。


「そう。特殊開架は魔道士資格を持つ者しか入ることが許されない。通常開架と特殊開架は警備通路で隔てられ、そこを監視しているのは特殊書庫守護群。間違いがあって、あの本が紛れ込むことはあり得ない」


「それでなぜお前がアーカイバに拘束される?」


「アーカイバというのは、特殊書庫守護群よ。図書館の中で起こったことだもの、当然よね。彼らは当初、図書館の中にいた人間全てを疑っていた」


「どうやって容疑から外すんですか?」


 いまの魔道法廷の在り方の、いわば被害者となったプティは興味深そうに問いかけた。


「厳密には、誰も容疑から外れてはいないわよ。このブレスレット見てよ」魔法銀でできた細いブレスレットには小さな群青石が嵌められている。「これで私たちは監視されている。ただ、彼らも本を置いた人間の特定に手こずってるらしい」


「本がいつ置かれたのかは分かっていないのか?」


「もともとあった本の装丁に似せて作られていたらしく、よく分からないらしいけど、パラゴーレムが出現するよりずっと前ということはないという程度の見当を付けてる」


「じゃあ、結局、誰かは分かってないんじゃないか」


 エミリーはムッとした顔をしてグラムを睨みつけた。


「これは感謝してほしいんだけど、無駄にあなたを庇ったのよ!」


「なぜ俺が出てくる?」


 だいぶ前から飽きを見せていたグラムは、エミリーに迫られてそっぽを向いた。


「特殊開架に出入りした人間のリストにダンテ・パーシヴァルの名前があった」


 虚を突かれてグラムは思わず声を漏らした。


「それは俺だ」


「そうでしょう!」エミリーはこめかみに血管を浮かべた。「だから私もすぐに言ったわよ。それは指名手配された方じゃないって。そのせいで拘束される羽目になったんだから!」


 偽装身分の情報を与えたのであれば、エミリーが尋問を受けるのは当然の流れだ。そして、エミリーが身柄の解放のためにエニシングの名前を出したのも必然だ。


「奴は捕まったのか?」


「いえ、行方不明よ。彼の自宅ももぬけの殻。いま囁かれているのは、彼がパラゴーレムを造ったという可能性」


「エニシングが?」


 グラムには俄かに信じがたいことだった。金のためにはなんでもやる男だ。だが、魔道府という都合の良い場所に籍を置いている以上は、一線を超えるようなことはしなかった。それとも、自分の身を守る必要がなくなったのか。


「ただ、イストリアの見解とアーカイバ、つまり魔道府の見解は真っ向から対立してる。ここで亀裂が生じたら、とんでもないことになる……」


 二人の顔の間で視線を彷徨わせ、プティは難しそうに首を捻った。


「どういうことになるの?」


「魔道府というのは、超国家的機関なのよ、プティちゃん。それが様々な国に、いわば出先機関を置いている。それぞれの国がそれを了承しているからできることよ。魔道府の加盟国ならね。でも、もしイストリアが魔道府を拒絶すれば話は変わる」


「魔道府がイストリアからなくなるだけじゃないの?」


「魔道府としては、それは避けたいことだと思うわ。アーカイバはあらゆる場所で知識を取得する。それが魔法世界の発展に寄与すると信じているから。だから、イストリアが魔道府を脱退しようとすれば、少なからずなんらかの争いは起こる。それが起こるのが、紙の上か大地の上かの違い」


「それに」グラムは重々しく口を開く。「イストリアが魔道府を脱退すれば、魔法は取り上げられる。それに類する知識も全てだ。あるいは国全体を排除して異端国と看做す可能性だってある」


「ええ、そうなれば、それは国の死を意味すると言ってもいいわ」


 見えない巨大な不安がプティを押し潰すかのようだった。


「じゃあ、どうすれば……」


 エミリーは少女を安心させるように微笑んだ。


「ただ、いまのは最悪の状況を想定した場合の話よ。イストリアも、魔道府と対立したいわけじゃない。とにかく、現状はパラゴーレム事変の首謀者を一刻も早く炙り出さなければならない。幸い、時間はたっぷりあるだろうから、私たちが焦る必要はない」


「エミリー、特殊書庫守護群は特殊開架に出入りした人間を記録した台帳を持っているはずだ」


「そうだけど、それが何?」


「その台帳を手に入れられないか?」


 目を細めて訝しむエミリーの声は猜疑心を音にしたようなものだった。


「一体何を考えているの?」


「ベッドの上で暇なんだ。頭を働かせてもいいだろ」


「ダメよ。あなた、自分の立場を解っていない。あなたがいまもこうしてベッドに横たわって談笑していられるのも、ヴァージルが盾になってくれたから。そして、アリが闘ったから。そこまでしてやっとあなたはただの異端者になった。異端者が首を突っ込めるのは、せいぜい冥王世界の淵くらいよ」


「酷い言われようだ」


 その一言は、エミリーの中に鬱屈していた過去の感情に火種を飛ばすのに充分だった。


「魔道を違えた男が、のうのうと生きていられると思わないで」


 彼女はそう言い捨てて、靴音荒々しく部屋を出て行ってしまった。プティは肩をすくめて呟いた。


「大人の喧嘩って感じ」




 ダネヴェに置かれた治安維持局の長、ネルセス・ベルコーゲンは、その神経質そうな目を、回復したばかりのミリアに向けた。


「病み上がりで呼び立てて申し訳ない」


「いえ、局長」


「今回はの件はご苦労だった。グラム・グランの存在は想定外だったが、まだ奴に利用価値があったとは」


 ミリアの内心に憤りが芽吹きかけたが、ここでの言い争いには何の意味もない。彼女はじっとネルセスの言葉に耳を傾けた。


「西方魔道府の本部がパラゴーレムの群青石を回収して行ったが、どうやらパゴタ鉱山で産出されたものらしい。含有鉱石の特徴が似通っていた。これは問題だ。分かるな?」


 ミリアはゆっくりと頷いた。


「パゴタ鉱山襲撃で奪われた群青石資源がイストリア領内に持ち込まれた。近く、フーレの治安維持局が調査にやってくる」


 フーレはダネヴェの遥か東方、ヴァレスの向こうに位置するイストリアの都市だ。イストリアの治安維持局の本拠地でもある。ダネヴェに置かれている西方魔道府の治安維持局とは毛色が違う。


「遅からず、この件での西方戦線激化は起こり得る。イストリアは群青石ではなく、パラゴーレムを主体に見るかもしれない」


「パラゴーレムを、ですか? 資源的な問題ではなく?」


「パラゴーレムはイストリア領内に被害を及ぼした。アルテアがパラゴーレムを投入したという論理も立つ」


「イストリアとしては、イザベル・エルを嫌疑対象においているのでは?」


「イザベル・エル特別自治区はパゴタ鉱山の群青石を輸入している。イストリアとの小競り合いがあった後はアルテアの鉱山管理局を通してな」


「そんな繋がりが……」


「イストリアはイザベル・エルの背後を見ている。アルテアがイザベル・エルに与すれば、状況証拠として見るだろう」


 ミリアは黙っていた。国家規模の話は彼女の範疇の外にあることだ。やがて、ネルセスは執務机に肘をついて身を乗り出すように切り出した。


「我々としては、両国対立の緩衝材の立場を取るべきだ。魔道府からの通達があった。グラム・グランとウォルター・スペンサーはダンテ・パーシヴァルと共謀し、パラゴーレム事変を引き起こした。そのための告発に備えよ、と。ヴァージル、君には告発のための作戦に従事してもらう」


 ネルセスの言葉がミリアの耳朶に木霊する。「まだ奴に利用価値があった」というのは、そういう意味だったのか。ミリアは奥歯を噛み締めた。国同士の戦争を回避するために、異端者を利用する。


 局長室を出たミリアは項垂れて、床に目を落とした。その場に立っているのか、定かでない。それに、さきほど突きつけられた恐ろしい事実がミリアの心を揺さぶっていた。


 ──今回パラゴーレムに使われた群青石量は、パゴタ鉱山から奪われた量の半分にも満たない。




 ロティア教の総本山、聖都サントプテスには、三つの戦闘部隊がある。聖都防衛隊、教徒守護隊、巡教者親衛隊だ。


 巡教者親衛隊は、異教者の襲撃からロティア教徒を守るための部隊だ。宗教的な争いが頻発していた時代に設立されたが、いまでは巡行する教主などの警護を行うことを主な任務としている。


 カル・ブライトは巡教者親衛隊第七班、通称"ハリ"の班長として西区教主フース・ミルケアの巡行護衛任務についていた。ロティア教の西区支部が置かれたイストリア北方、カズヴェルの都市ユステル・ヘウムを出発したのは、ダネヴェでの慰霊祭の十日前のことだった。三十名の班員が四十五名の巡行を護衛する。その行列の中程にある立派な白亜の馬車、そのひとつ後ろのごく普通の幌付き護衛馬車にフースが乗り込んでいる。


 馬車の中で、カルはフースに心配げな瞳を向けた。


「フース様、折からのお身体のご不調はいかがですか?」


 フースは齢七十八の温厚な老紳士だ。いまは白い巡行用のローブに金色の帯を肩からかけ、首からはムズラの枝を模したロティア教のシンボルマークのネックレスを下げている。彼は軽く咳き込みながら、小刻みに揺れる馬車の座席に身を預けた。


「ああ、カル、大したことじゃない。この山道で少し空気が瑞々しくなって咳が出ただけだよ」


 この山はイストリアの北方にカズヴェルとの自然国境を築くアレネール山脈の一端だ。かつては急峻な地形のためにここを交通路として使う者はなかったが、やがて山を切り崩した縦断道が開通すると、輸送路としても活用され交通の要衝として重宝された。


「ご無理をなさらずともよかったと思いますが……」


 来月にはロティア教最大の祝祭日ロティア開教祭が控えている。世界中のロティア教徒が、聖都サントプテスでロティア教総主アルバデウス四世の祝辞を耳にしようと押し寄せる。そのための巡礼がすでに始まっている地域もあり、高齢のフースにとっては相当な負担を強いるとカルは案じていたのだ。


「カル、ロティアが説いた宿命の話を知っているかな? 我々は天上へ向かうために神に身を捧げるのではない。心からの善が天上をなすのだ。その流れは自然なもので、心からの善が我々を導く。その導きに無理などはないのだ。亡くなった人々を想い、祈ることは彼らを天上へ誘うだろう。そのために、私は導かれる」


 ロティア教の教典『サンヴァーダ』を幼い頃から読み聞かせられてきた身としては、ここで心からの善を説かれることは恥ずべきことだった。少なくとも、カルはフースを気遣うあまり矮小に陥った自我を内省する他ないと感じていた。


「仰る通りです」


 馬車の車輪の音に身を委ねる時間は唐突に終わりを告げた。巡行列の前方で大きな音が響いた。すぐに巡教者たちの悲鳴と馬のいななきが山間に木霊する。


「班長!」


 速馬にまたがった女がフースたちの乗る場所の脇に蹄を滑らせた。レア・フィーア、副班長だ。


「"冥王の舟"です……、"冥王の舟"が……」


 優秀なはずのレア副班長の報告が曖昧だ。"冥王の舟"は地下の軍勢が地上に現れる時に乗ってくる舟だ。もちろん、それは神話の出来事だ。


 カルも判断を誤っていた。レアはフースの乗る馬車に一目散に駆けつけた。それでは、囮馬車の意味がない。強く彼女を叱責するのが順当だ。それを忘れて、カルは馬車の扉を開いて巡行列の前方を見つめた。大きな岩の円筒が横倒しになって、山道を下ってくる。円筒の両側は太さを増し車輪の役割を果たしているらしい。見るからに子供の頃から挿絵で見た"冥王の舟"だった。"冥王の舟"は山道を転がるにはあまりにもゆっくりで、コントロールされたように真っ直ぐに巡行列を押し潰しながら進んできた。


 レアが槍を構えて投擲した。移動魔法が施された槍は人力で投擲される速度を遥かに超えて"冥王の舟"を直撃した。同時に大爆発が起こったものの、大質量の岩の塊は表面を削られただけで、進行を止めない。後方からも援護の魔法が飛ぶが、焼け石に水だ。


「私が出る! レア、フース様をお守りしろ!」


 巨大なランスを背中に背負い、長弓を掲げながら、後方からやってきた愛馬に飛び乗る。魔法銀の矢を"冥王の舟"へ向けて思い切り射る。衝撃を伴った矢は、しかし、岩の塊を止めるにはあまりにも無力だった。高さなら人の三倍ほど、幅は二台の馬車が大きな余裕を持ってすれ違う広い道幅ほど。あまりにも巨大だ。


 カルは馬上でランスを構えた。轟音を唸らせて迫る"冥王の舟"へ向けて馬を走らせ風になる。囮馬車が激しく弾け蹂躙される。カルはその向こうに、二体の石の怪物を見た。冥王の軍が侵攻してきたのだ……カルは自らの内奥から湧き上がる絶望に震えずにはいられなかった。




 第一部 完

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異端の魔術師 山野エル @shunt13

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