第八話 烙印の解放
──閃きは一秒と絶えない思考の連続体である。 トマス・ミューラー『脳構造論』
ヴァレスは輸送路の中継地点であり、簡易的な交易も展開される都市だ。そのため、市街地は大小様々な商店が並び、年々数を増す建物のせいで狭い路地が複雑に入り組んだ構造をしていた。
だから、パラゴーレムを路地に誘い込むのは容易いことだった。あらかじめ交戦していた部隊の情報から行動原理のほとんどが分かっていたのも彼らを助けた。
低い建物の屋上で、バルが袋小路を指差す。それを確認したクラウスが路地の入り口の方へ崩れた店舗を通り抜け、パラゴーレムの右の足元に衝撃魔法の弾体を撃ち込む。砂塵と石畳の破片が爆音と共に飛び散る。パラゴーレムが声にいち早く反応することを発見してからは、ミリアたちはハンドサインでコミュニケーションを取っていた。誘導効率が高まり、ミリア隊以外の三隊のうち一隊はダネヴェへ固定魔道砲台稼動のために向かった。残る二隊はヴァレス周辺の難民の対応のために奔走している。
パラゴーレムが袋小路に入り込む。バルが距離を取りながら連なる建物の屋上を素早く併走する。クラウスが魔道砲で繰り返し砲撃を行うことで、パラゴーレムの攻撃の機会を削ぐ。他の隊員たちは、クラウスの隙を埋めるように矢や瓦礫、投擲できるものに魔法符を貼り付けてぶつけると発動する魔法で誘導を続けた。
パラゴーレムには、攻撃対象の認識から攻撃、受ける攻撃に対する自動反撃から攻撃対象の認識・攻撃という二つのシークエンスが確認されていた。隊員たちはこれを利用してパラゴーレムの攻撃をうまく封じていた。
ミリアはパラゴーレムの背後を距離をとって追尾していた。エスペランサーを構えて、来たるべき時を待つ。
パラゴーレムが袋小路の奥まで誘導されると、作戦の開始だ。バルが大きく手を挙げる。隠れた場所から矢が飛んでパラゴーレムの肩口に直撃する。自動反撃が行われた直後、移動魔法符を手にしたバルが低い建物の上からパラゴーレムの右腕のそばに素早く近づいて魔法符を貼り付けた。バルをカバーするようにクラウスが砲撃したが、一瞬だけその対応が遅れた。石で造られた建物の天辺にパラゴーレムの腕が打ち込まれ、瓦礫と共にバルの身体が宙に投げ出される。追撃しようとするパラゴーレムの背中にクラウスの放った雷撃弾体が着弾して、閃光の花が迸った。パラゴーレムが反応を見せるよりも先に、バルが腕に残した魔法が発動した。パラゴーレムの右腕は地面に向かって急加速して、倒れる巨体が轟いた。
移動魔法は物体を指定した方向へ指定した速度で移動させる基本的な魔法だ。物資運搬にも利用され、バルの魔道砲にも用いられている。弾体を射出するロジックは移動魔法によるものだ。そして、パラゴーレムの手足を動かしているのも、様々な条件などが加味された移動魔法だと目されている。
地面に押し付けられる形となったパラゴーレムの腕のそばにミリアが近づく。煌めく剣を大上段に構え、パラゴーレムの右肘を狙って風を切り振り下ろす。見えない斬撃は、袋小路の奥にある建物を鋭いエッジで押し潰し、石畳も断ち割れた。だが、パラゴーレムの右肘の群青石は無傷だった。辛うじて自動反撃を回避して、ミリアは目を丸くした。
「防護魔法だ!」
折り重なった瓦礫の山の中で血だらけのバルが叫ぶと、パラゴーレムの左腕が打ち込まれる。瓦礫と共にバルは建物を突き抜けて裏側の通りに転がり出た。凄まじい衝撃が彼を包んでいた。立ち上がってバルのもとへ飛びかかろうとするパラゴーレムに複数の矢が撃ち込まれる。爆裂魔法がいくつか発動する。時計塔の近くで弓を構えていた隊員が標的になったらしい。パラゴーレムがそちらへ走り出すのと同時に、剣を構えるミリアが叫ぶ。その手にあるエスペランサーは煌めいていた。
「ダービッシュ、頼むから避けてくれよ!」
"女帝斬"が時計塔に斜めの切れ込みを入れた。塔の中で鐘が鳴る。崩れる塔はそのまま近づいていたパラゴーレムに倒れかかって、大音響で大地を揺らしながら砂煙を巻き上げた。
時計塔のあった向こう側ではダービッシュが手を挙げて駆けていた。ほっと息をつくミリアはバルの方に目をやったが、ちょうどクラウスが彼を助け起こしているところだった。
時計塔の瓦礫を押し上げて、パラゴーレムが立ち上がる。
「まだ黙らないか……」
ミリアは苦笑しながら剣を構えた。柄尻の群青石は劣化し始めて灰色に濁りかけている。
パラゴーレムは右腕の肘上から先を失っていた。おそらく、クラウスが打ち込んでいた穿孔弾がいまの衝撃で腕の深くに突き刺さって岩が割れたのだろう。腕の先を吹き飛ばしたとはいえ、パラゴーレムの機動力を削いだわけではない。
「ダネヴェに転進する! 全員準備しろ!」
ミリアが命令を下すとパラゴーレムが反応を示し、ゆっくりと向かってくる。
──やはり、私に対する反応が鈍い。
じりじりと下がりながら敵の様子を伺う。無言でクラウスとバル以外の隊員たちを街の外へ促す。誰もが隊長を残す決断に渋っていたが、ミリアが意思固く視線を送り続けると素早く駆け出して行った。
パラゴーレムは明らかに攻撃対象を認識しきれていなかった。そのおかげでミリアは吹き飛ばされずに済んでいる。しかし、やがてクラウスたちの位置を捕捉したのか、小さな商店を破壊し始めた。クラウスとバルはその建物の裏側にいる。
──音に反応しているのか……?
だが、それならば、鎧に身を包んで歩くたびに多少なりとも音を発しているミリアもパラゴーレムの攻撃対象にリストアップされるはずだ。
隊員たちと自分の違いはなにか、ミリアは思考を巡らせた。やはり、クラウスが言うように性別だろうか。だが、その区別を魔法式の論理に落とし込むのは非常に難しいだろう。他に違いは……?
クラウスが建物の陰から魔道砲で狙いをつけていた。そして、ミリアの合図を待っているようだった。その横では、バルが痛みに耐えるような表情を浮かべている。パラゴーレムは明らかに二人の位置を捉えているようだった。ミリアはクラウスを制止させると、十二本の小剣をパラゴーレムの側頭部に飛ばした。剣と岩がぶつかり火花が散る。短い腕を振って反撃行動を見せた後、顔のない岩がこちらを見た。空中に静止していた剣が柄を寄せ合って集まり、刀身を外側に花のように開いた。それが静かに回転を始めて、パラゴーレムの周囲を飛び回る。ミリアの持つエスペランサーで動きを制御し、時に対象に向かって鋭い刃をぶつける。"
ミリアはゆっくりとパラゴーレムに近づいて行く。これまでの分析が正確であれば、敵は攻撃されることを優先的に察知する。ミリアは自分自身が攻撃されないための保険として"花輪"を放ったのだ。エスペランサーの刀身に指を滑らせる。おそらくは、あと一、二回で群青石は使い物にならなくなるだろう。腰元に構えた剣の切っ先は真っ直ぐ前に向ける。"女帝斬"よりも攻撃範囲を絞った突き……円錐状の高密度領域を超高速で標的にぶつける技の構えだ。これは今まで実戦で使ったことはない。人間相手では不必要な威力だからだ。だから、この剣技に名前はまだ付けられていなかった。
タイミングを見計らうミリアの脳裏に閃きが訪れた。愛剣が陽光を照り返す様、それは自分自身の姿と重なった。ミリアの纏う鎧は、鋼鉄を幾重にも重ねた特注品であると同時に磨かれた表面は鏡のように美しい。だから、陽光を浴びて熱を帯びてしまう。
人間である認識を熱で行なっているなら……。そして、その温度の上限と下限に閾値を設けているとしたら……。
剣の魔法を解除して、ミリアは思い切り踏み込んで、剣で斬りつけた。パラゴーレムの自動反撃をしゃがんで回避して一呼吸置く。すぐ目の前のミリアを認識できないまま、パラゴーレムは周囲を警戒し、再びクラウスたちが潜む建物へ歩き出そうとする。
ミリアは早足で歩きながら"花輪"を放ってパラゴーレムの背中に火花を散らした。案の定、石の擦れる音と共にパラゴーレムは背後を振り向いて周囲を見回した。クラウスに魔道砲と弾を寄越すように合図を送ると、ミリアは素早く移動して魔道砲と弾をひったくるようにすると、クラウスたちから離れるように小走りで駆け出した。パラゴーレムを中心に弧を描いて移動しつつ、金属弾を装填する。一発を脇腹に命中させる。パラゴーレムの腕は空を切った。その隙に間合いを詰めて通常穿孔弾二発を素早く左膝の群青石に撃ち込んだ。左腕がミリアの側面を強打して、彼女の細い身体は独楽のように回転して吹き飛んだ。クラウスたちが遮蔽物から飛び出そうとするのをミリアは怒号で制した。
「こいつは人間の体温付近の温度を感知して攻撃対象にしてる! 私はこの鎧で攻撃対象から外されてるんだ!」
バルはヴァレスの周囲の防護壁の向こうで太陽がゆっくりと明るさを減じているのを見た。つまり、ミリアの鎧の温度も落ちているということだ。
「隊長、ダネヴェに戻ろう。これ以上は、後がなくなる」
パラゴーレムの頭部に移動魔法弾を撃ち込んでミリアは立ち上がる。岩の巨体がバランスを崩して仰向けに倒れた。
「クラウス、バル、私の馬と隊のみんなを連れて来い。こいつをダネヴェまで誘導する。それから、さっき落としたこいつの腕も回収だ」
二人は頷いて走り出した。ミリアは立ち上がろうとするパラゴーレムの頭部に立て続けに移動魔法弾を直撃させた。地面に頭を押さえつけられる格好となったパラゴーレムは姿勢回復のせいかジタバタともがき出した。弾はそれだけで尽きてしまった。隊員たちがやってくる僅かの隙に、パラゴーレムは立ち上がった。街を遠ざかるように走る馬と併走しながら、追跡してくる岩の巨体に振り向いたミリアは煌めくエスペランサーを突き上げた。
何かが空気の壁をぶち破って、凄まじい爆発音と衝撃が隊の周囲の石畳を粉砕した。ミリアの身体も大きな圧力に強く押されて地面に背中をぶつける羽目になる。その瞬間には、パラゴーレムの頭部は身体から引き剥がされ粉々に吹き飛ばされていた。遥か後方の空にたなびく雲に大きな穴が空いて遠雷のような音が降り注いできた。
馬に飛び乗るミリアにクラウスは驚愕の表情を向けた。
「なんっ……なんですか、いまのは!」
「俺たちに隠していたな、隊長?」
バルに笑いかけてミリアは剣の柄を掲げた。群青石は灰色に変色してボロボロに朽ちていた。
「実践試験だよ。いまので打ち止めだ」その手で魔道砲をクラウスに投げ返す。「弾は撃ち尽くした」
「いや……いまのを最初から奴に喰らわせてれば……」
「馬鹿か。早く行くぞ!」
ミリアが叫ぶ視線の先で、頭のないパラゴーレムが何事もなく立ち上がろうとしていた。身体に負荷のかかる剣技を繰り返したせいで、ミリアの腕どころか上半身が軋むような痛みに襲われていた。それでも、馬を駆って風を切った。
まるで、治安維持局特殊強襲部隊第三部隊が武装蜂起しているようだった。ダネヴェの東門屋上には、試作型固定魔道砲台が設置され、普段は局員の警備態勢が敷かれていたが、いまは固定魔道砲台の周囲には白い兵装の部隊が陣取って睨みを効かせていた。
「いますぐこの場を明け渡しなさい」
報告を受けて、駆けつけたゼンティーダ・フロフツは息を切らせながらも静かにそう発した。ゼンティーダは西方魔道府治安維持局魔法開発室の室長だ。常に革製の防護服を身につける出で立ちは"職人"の異名を持つ。白髪の男で、長身で痩せた身体は遠くからでも彼と判るだろう。西方魔道府治安維持局の統括管理者の一人にも名を連ねる重鎮ではあったが、第三隊の隊員たちは頑として譲らなかった。その中の一人が静々と歩み出て進言する。
「フロフツ室長、現在ヴァレスを襲ったパラゴーレムがダネヴェに向かっています。いまあれに対抗できるのはこの固定魔道砲台のみ……」
「なりません」ゼンティーダは粛然としていた。「これは実践投入はおろか、試験的利用の認可を申請している最中」
「時間がありません!」
隊員が東の方を指差した。森を切り開いた街道を、首のない石の怪物が物凄い速さでこちらへ向かっていた。もうもうと立ち上がる砂煙を引き連れて、馬に乗った第三部隊の主力部隊が馬を疾駆させている。先頭を行くのは、夕日を受けて炎のように輝く鎧に身を包んだミリアだ。
ゼンティーダの目の色が変わる。
「パラゴーレム?」
「ゴーレムを擬似的に再現したものだと聞いています」
考えを巡らせるゼンティーダの向こうの方で見張り塔の警鐘がけたたましく鳴り響いていた。
「この街の戦闘員は?」
「我々とこの街の防衛部隊だけです。他は地域派遣に」
ゼンティーダの脳裏には、最も手っ取り早い方策が浮かんでいたが、口に出せるようなものではない。ダネヴェ中央図書館に常駐する特殊書庫守護群は、おそらくのこの街で最も魔法知識と戦闘能力に長けた集団だ。だが、彼らは都市防衛戦力には数えられていない。彼らはアーカイバと呼ばれる独自の魔道府機関に所属する。アーカイバは知的財産の統括者で、各地で人類の叡智を運用、保護している。特殊書庫守護群は、叡智の集合体である図書館を防衛するための部隊だ。街自体の防衛には与しない。それに、彼らを頼るというのは治安維持局の威信に関わる問題でもある。治安維持には魔法が不可欠だが、その魔法の実質的な管理と運用を行なっているのはアーカイバだ。魔道士制度の中核をなすアーカイバは、治安維持局に対し絶大な力を行使しており、その力関係に局内部では不満が燻っているのが現状だった。
パラゴーレムがもたらす地鳴りが迫る。ダネヴェの街には恐慌が雪崩れ込んできていた。街の防衛以前に治安を保つことができていない。ゴーレムに対する畏怖は幼い頃から抱いていた。子供の頃にこの街を包む戦火は、ゴーレムがもたらしたのだとさえ思っていた。パラゴーレムの街への侵入を許せば、多くの被害が生まれるだろう。ここ数日報告に上がっていた、各地の襲撃情報がゼンティーダの頭をよぎる。
「こいつは試作型だ。まだ魔法弾を搭載できない」
「問題ありません。奴は防護魔法で守られています。高威力のキネティックを使うしかありません」
ゼンティーダは頷いた。
「ならば、それでいい。下の階に専用の弾体を置いてある。急いで持ってきてくれ。私は砲身の射出魔法のチェックを行う」
隊員たちが気合の入った返事を残して散っていく。固定魔道砲台に手を置いて、迫るパラゴーレムの姿を見下ろす。ダネヴェ平定前の戦争で兄を亡くしていた。あたかも、その復讐を遂げるような心持ちだった。
やがて、弾体が魔道砲に装填完了する。ゼンティーダが発射準備完了を告げた。
隊員が閃光魔法を上空に打ち上げる。直後にパラゴーレムを誘導するミリアたちが射線を開けた。ゼンティーダが砲身の表面に掌で幾何学模様を描く。
刹那、固定魔道砲台が設置されたこのスペース全体が軋み揺さぶられた。砲口から放たれた鉄の弾体が凄まじい速度で飛び出した。空気を切り裂く衝撃が辺りを轟音と突風で支配した。
照準は正確ではなかった。弾体はパラゴーレムの左腕全てを刈り取って、数メートル後方に着弾。大地が揺れて、大量の土が空高く打ち上げられる。大気を引き裂くような大音響と爆発音。想定を超える威力だった。砲身内部に記述した移動魔法式の調整が必要だと感じながらも、ゼンティーダは興奮したような面持ちで仰向けに倒れたパラゴーレムを見つめた。短く残った右腕に肩から先を失った左腕。しかし、それでもパラゴーレムは立ち上がり始めていた。
「次弾装填!」
早くしなければ、パラゴーレムが射程圏よりもこちら側に到達してしまう。角度の関係で弾体を当てることができなくなってしまう。
「早く!」
ゼンティーダは自分の決断の遅さを悔いていた。弾体が装填され、急いで行なった砲撃は、すでになくなっていた頭の上をかすめて街道の土を爆散させた。
グラムはプティの手を引いて、魔道法院に向かっていた。さきほどの高威力の砲撃は確かに強力だが、あれを市街地に向けて放つことは許されない。確実に街の外で仕留められなければ、パラゴーレムは人々を死に追いやるだろう。グラムはズボンのポケットに入れていた偽物の魔道士バッジを手にとって握りしめた。これに仕込んだ魔法に連動した魔法符を街の至る所に貼り付けてある。いまグラムが手にできる武器はこれだけだ。だが、魔法を発動させるには、魔道法院の弁護人控え室に置き去りにしてきた手帳が必要だ。おまけに剣も。
魔道法院の窓口で仮面をつけたグラムが忘れ物を問い合わせるが、返事は芳しくない。ネイサンが引き取って行ったらしいが、詳細は知ることができなかった。得体の知れないボロボロの男だ。こういった場で願いがすんなり受け入れられるはずがなかった。追い返されたグラムの肩にプティが自信ありげに手を置いた。
「私に考えがある」
窓口に向かう背中はなぜか頼もしく見える。プティは係員に困惑したような表情を向けた。
「あの、今日、措置所の保護申請をして外出したんですが……」
「お名前は?」
「プティ・パルヴィです」
係員は台帳を繰って、しばらくして答えた。
「ええ。四時間前に。ご用件は?」
「弁護人のネイサン・アリが保護申請してくれて、一緒にいたんですが、はぐれてしまって……」
プティがまんまとネイサンの住所を手に入れるのを見て、グラムは思わず苦笑した。
「状況はうまく利用しなきゃね」
「恐れ入りました、パルヴィ様」
結論から言うと、ネイサンは自宅にはおらず、近所のバーに出かけたという隣人の声で、薄暗いバーカウンターに向かうと、彼を見つけた。
「ネイサン、この非常事態に何してる?」
「ここは世界の終わりでも酒を楽しむ場だよ、お客さん」
老紳士のマスターが笑いかけてくる。
「そういうことですよ……」ネイサンは疲れ切っていた。「私の出る幕はありません」
「ネイサン、俺の剣と手帳はどうした?」
「ああ、家にあります。あなたが連行されていったんでね」
「返してくれ」
「これを飲み終わったら……」
ネイサンが掲げたグラスを引ったくって壁に投げつける。グラスは音を立てて木っ端微塵になった。バーの客が迷惑そうに闖入者に目をやる。
「困りますよ、お客さん」
「すぐ出て行く。おい、ネイサン、パラゴーレムが街にやって来た。戦わなきゃいけない時が来たんだよ」
「勝手に家捜ししてくださいよ……」
「なんだ? どうした、ネイサン? エミリーに何か言われたのか?」
ネイサンは図星を突かれた悔しさからか、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「そういうわけじゃありません。ただ、彼女は図書館へパラゴーレムに繋がる情報を探しに飛んで行きましたよ。私は、ただ取り残されただけです。助力を請われることなく」
長い年月でエミリーは変わった。いまの彼女は、独りで立つことが当たり前になっているに違いない。
「あいつは助けを必要としない人間なんだ。気にするな」
「だけど、彼女があなたを助けたのは、あなたが必要だったからだ」
グラムはネイサンの首根っこを掴んだ。
「その通りだ、ネイサン。だからお前は俺を案内する役割がある」
袖口を引っ張るプティが真っ直ぐにネイサンの目を見つめる。劣等感に曇った瞳に、少女の眼差しが突き刺さった。
「アリさんは私を助けてくれた。正義を信じてよかったと思った。私はいまも正義を信じてます」
ネイサンは目を閉じて深く息を吐き出した。
「参りましたね……」
そのまま立ち上がって、バーを飛び出すネイサンの背中を二人は追った。
崩れるように落馬したミリアのもとに隊員たちが駆け寄ろうとしたが、叱責の声が飛んだ。
「パラゴーレムは街に入った! 何を優先すべきか考えろ!」
街の入り口付近で石壁が破壊される音がする。クラウスとバルは駆け出した。東門は治安維持局の人間による矢の嵐が降り注いでいた。パラゴーレムは自動反撃こそ振るわなかったが、攻撃対象を足で吹き飛ばし始めた。腕を失ったパラゴーレムの行動原理が変更されたのだろう。
剣を杖代わりにして立ち上がるミリアは、自分の身体が思った以上にダメージを受けていることに気づいた。すでに夕闇が迫り、鎧も熱を失った。苦労して鎧を脱ぎ捨てる。半袖の肌着は汗でぐっしょり濡れていた。筋肉質だが華奢な身体は痣だらけだ。パラゴーレムの攻撃に加え、剣技を短時間に放ちすぎた。それでも、ダネヴェを守るために妥協は許されなかった。鎧から二本の小剣を抜き取って両手に掴むと、重い足取りで街の中へ向かった。小剣にも魔法は施され、小さめの群青石が柄に象嵌されている。一方は剣自体を爆裂させる魔法を、もう一方には刀身を領域で覆い、単純に物理的な強度を上げる魔法が組み込まれている。
隊員たちは、武器や瓦礫でパラゴーレムの攻撃を封じるのに必死だった。隙を作り出しては、一人また一人と犠牲になっていった。
ゼンティーダが城門から躍り出て、移動魔法符を貼り付けた固定魔道砲台の弾体をパラゴーレムに向けて加速させた。弾体はパラゴーレムの右足を払う形になって、石の巨体が通りのど真ん中でドシンと尻餅をついた。よろめきながらミリアがやって来る。
「フロフツ室長、そいつは音と体温に反応して攻撃対象を認識する」
「ヴァージル隊長、満身創痍じゃないか」
「気にするな。とにかく、キネティックで行け」
パラゴーレムが立ち上がって、すぐそばの隊員を蹴飛ばした。ミリアの檄が飛ぶ。
「馬鹿野郎! ボーッとするな!」
そばに転がっていた拳大の石を、吹き飛んだ隊員の追撃に向かうパラゴーレムの背中に投げつける。その隙を突いて、クラウスが魔道砲で小さな石を発射する。パラゴーレムの左膝の群青石に直撃するが、放った石は弾けてバラバラになるだけだった。クラウスは足の一撃をまともに受けて数メートル先の壁に背中から打ち付けられた。
治安維持局の方から新しく警邏隊が駆けつけて、爆裂魔法を仕込んだ魔法銀の投擲弾を放ったものの、それが岩を砕くような威力でないことは誰の目にも明らかだった。岩に穴を開けてその内部で爆裂させなければ、満足な破壊力は出せない。十数発の投擲弾の爆発を受けてもパラゴーレムは何事もなかったように警邏隊に突進した。また血が流れ、遠くの方で見ていた野次馬の中から悲鳴が上がる。
その群衆の中から、ラフなシャツを着た巨漢が躍り出た。筋骨隆々で、長い金髪を無造作に伸ばした男。
「隊長……」
ミリアが小さく呟く。グラムは後ろにプティとネイサンを従えていたが、武器らしいものといえば腰に下げた一本の剣のみ。右手には革張りの手帳が握られている。
「まだいたのか、異端者!」
クラウスは恨みがましくグラムを睨みつけた。ゼンティーダは目を細めて久しぶりに見る男に警戒心を剥き出しにした。
「グラム・グラン……お前か、こいつを創ったのは」
ゼンティーダの手に拘束魔法具が握られている。ミリアが爆裂魔法の小剣を立ち上がろうとするパラゴーレムに投げつけて唱えた。
「
パラゴーレムの懐で小剣が爆裂して破片が通りの石畳やパラゴーレムの身体に突き刺さった。ミリアはグラムの前に駆け出していた。
「隊長、ここでは、あなたはどんな行動も許されない。私がいくらあなたの味方をしようとも……!」
パラゴーレムが立ち上がる。ゼンティーダが移動魔法符でその動きを封じつつ、厳しい叱責の声を上げた。
「グラン、お前をパラゴーレム作成の廉で治安維持局に拘束させる!」
グラムは十二年ぶりに自分の心に投げつけられる言葉のナイフを前に、思わず尻込みした。プティも社会という巨大な歯車を前に押し潰されるしかないグラムの小さな背中に声をかけることができない。その脇を、着崩したスーツを翻してネイサンが歩み出た。
「魔法令目、第九十二章第三条! 魔道府とそれに類する治安維持機構は、非常時において任意の人員を緊急戦闘員として任命することができる! その際、魔法行使の全責任は、任命者が負うものとする!」
『任意の人員』の定義は学者によって曖昧だ。だが、そこに異端者を除くという一文がないことは確かだった。
突然、魔法令目の一文を諳んじたネイサンの姿に、ミリアは笑みをこぼした。
「グラム・グラン、貴殿を非常時緊急戦闘員に任命する……!」
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